二ツ山への縦走路から俯瞰する高ボッチ

高ボッチと鉢伏山

首都圏から中央本線ないし中央高速道を北上していくと、諏訪湖を見送ってトンネルを潜り、松本盆地に出る。いままで別段不思議に思わなかったが、いやちょっと待てよ、ここはフォッサマグナの西端(糸魚川−静岡構造線)ではないか。日本海から太平洋まで延々と平らな部分が続いていると思っていたが実際にはそうではないわけだ。峠は塩尻峠、標高は1,012メートル。霧ヶ峰と美ヶ原を結ぶ稜線から山稜が派生して伸びてきており、その途中には先に挙げた有名どころに規模では叶わないものの、もう少し落ち着きがありそうな高原状の山岳がある。その一つは高ボッチ、奇妙な名だ。もうひとつは鉢伏山、名は体を表すの口だろう。
この高ボッチや鉢伏山、頂稜がなだらかなものだから山頂近くまで車道が通じているのに、公共交通機関はない。みな自家用車で日帰りするからだが、往復にタクシーを使おうものなら簡単に一万円を超す。では宿泊して、と考えると、電車で行って下から登ろうものなら首都圏からだと二泊は要する(最低でも前夜発)。いろいろ考えて、現地で車を借りて山頂周辺周遊とすることに決めた。ひと山を下から登り上げる達成感より、二山の山頂部がどうなっているか見てみたいという興味を優先したのだった。(よく考えてみるとただの観光ないしピークハントに近いが、細かいことはまぁいいや。)


前泊から明けた朝の岡谷で車を借り、塩尻峠を目指す。峠を越えて東山という地区から標識に従い高ボッチ高原へ続く細い道に入る。集落はすぐに途切れ、あとは坦々と山中に伸びる舗装道をたどる。まだ9時前だからか対向車は二度ばかり出会ったバイクだけ、擦れ違うのに気を遣いそうな舗装道を9キロほど上がり続けると、空が大きくなって、草地が広がる高ボッチ高原の一角に着く。
まず目に飛び込んでくるのは牛の形をした標識で、8月4日(2013年)に観光草競馬が行われる旨を告知している。なぜ競馬なのに牛?きっと競馬場に隣接して牛の放牧場があるからだろう。馬場は都会にあるのとは異なり少々短めな気がする。それよりなにより上下に波打っている。幅も狭く、ぶつからないか心配になるほどだ。半月ほど先の開催に向けてか、ブルドーザーが一台、整地のために動いていた。見上げれば空が青い。写真を撮って振り返ってみると、今しがたまで晴れていた辺り一面がガスで覆われている。うわなんだこれはと驚く。
高ボッチ牧場で寝そべる牛たち
高ボッチ牧場で寝そべる牛たち
晴れている間に見るべきものを見たいと心は急くが、いきなり慌てて山頂を目指しても天気は変わりやすいものだし、そもそもガスが晴れなければ眺望を当てにして高みに立っても意味がない。ならば視界がよいところに向かった方が得策と、高ボッチ高原荘の跡地とされる場所に移動して車を降り、晴れている松本盆地側に足を向ける。先には牧場が広がり、草原の青さが目に心地よい。牛の姿は、まずは見あたらない。まだ放牧の時期ではないのか・・・と見渡してみると、一番高そうな場所に、ホルスタインの何頭かが寝そべっていて、こちらを伺っている。牧場沿いの遊歩道を緩く登っていくと、仔牛らしきとその脇のがこちらを見送る。用心深い母牛かもしれない。
草原の彼方には北アルプスの連嶺が山屏風となっているものの、稜線部を全て雲に覆われてどれがどれだかピークが判別できない。せいぜい、あのあたりが穂高連峰、あのあたりが白馬というところだ。左手に平たく丸い頭を二つ並べる山が近い。鉢盛山と小鉢盛山で、本日、高ボッチの後に予定している山と名前が似ているが、全然別の山である。
いつしかガスは晴れ、諏訪盆地の空が高くなった。なので車を停めたところに戻り、牧場とは反対側の斜面に続く遊歩道に入る。眼下に沈む長野県最大の湖は、雲が多い空を映して銀色に光っていた。湖畔には人間の生活圏が広く、自然のものというより巨大な溜め池のように見える。上空彼方には正面に富士山が鎮座し、左手には八ヶ岳が雲の下に編笠山だけ全身を見せ、残りの頭は蓼科山まで雲の中だ。富士の右手には南アルプスが大きな塊となって、甲斐駒、北岳を尖らせ、千丈ヶ岳を重しのように載せている。
南アルプスの足下に広がる諏訪湖、左手奥に富士山
高ボッチ高原荘跡地付近から、
南アルプスの足下に広がる諏訪湖、左手奥に富士山 
目の前すぐに、左手から右手へと草原の斜面を伸ばして諏訪湖側に落とすのがいる。高ボッチだ。車で直下まで行くことができるが、草むらの中に伸びる遊歩道が心地よさそうで、徒歩で山頂を目指すことにした。散策する人は皆無ではなく、カメラくらいの軽装で歩き回っている。だがそこに予想外の雨だ。当方はザックから傘を取り出せるが、空身の人たちは慌てて自分たちの車に戻っていく。
登りらしい登りはなく山頂とされる場所に着いた。四囲が開けて眺望は申し分ない。雨天とはいえ見上げれば雲は高いので、先にそびえる鉢伏山がガスにまとわりつかれているくらいなものだ。山名表示板があり、戸隠連峰まで見えるとあったが、北アルプスと同じく雲の中だった。御嶽も乗鞍岳も同様だ。それでも諏訪湖側の眺めは遊歩道入口で見たのと変わらず闊達で気分がよい。つまりは第一級の展望台で、人がおおぜいやってくると言われるのも頷かれる。グライダーを飛ばして遊んでいた中高年の団体が止まない雨に音を上げて雨宿りしに山上の舗装道側へと下っていく。そちらには広い駐車場があり、レインスーツに身を固めた若いカップルやら、傘を差した観光の親子連れや仲間うちのグループが上がってくる。


駐車場に下って、牧場に続く遊歩道を辿って車まで戻ると雨は止んだ。再び駐車場まで車で移動する。ここからの目当ては、山を少々くだったところにあるひょうたん池だ。舗装道を鉢伏山方面に歩いて下り、大きな木製のルート案内図のある分岐から未舗装林道に入る。左右はうってかわって森のなか、鳥の鳴き交わす声が山の静けさを強調する。日の光が回って明るい池は、名前とは異なり胴体部分だけになってしまっていて、首から上は干上がって久しいようだった。背後から人声がする。意外にも自分と同時にここに来る人たちがいた。だが静けさは変わらない。森を映す水面を眺めながら昼食とした。
明るく静かなひょうたん池
明るく静かなひょうたん池
車に戻り、途中の見晴らし台に寄って再び周囲の眺めを堪能してから、鉢伏山に向かった。雨も上がり、ガスも吹き払われてすっかり晴れ、高ボッチからすると300メートルは高い山が堂々とした姿を現してきている。標高2,000メートルに達しない山域だが、日本の分水嶺にあたるせいか天候の移り変わりはだいぶ激しいようだ。ガイドブックでは高ボッチから鉢伏山へは車道をたどるとあるが、長々と続く舗装道を歩くのはあまり愉しいとは思えず、実際この日は歩くひとの姿は見えなかった。扉温泉に下るのを左に分けると、あとは鉢伏山直下の山小屋で行き止まりになる道のりだが、車とバイクと自転車しか見なかった。
高ボッチ山頂直下の駐車場から望む鉢伏山、左奥は前鉢伏山
高ボッチ山頂直下の駐車場から望む鉢伏山、左奥は前鉢伏山
ハンドルを右へ左へ切って上がるようになると鉢伏山の草原状の山体が大きくなってくる。途中、車を停めて振り返れば高ボッチが低い。山荘脇にある駐車場に駐車料金を払って車を置き(他には停めるところがない)、高ボッチよりは少々登らさせられそうな山頂へと歩き出す。
鉢伏山荘、奥は松本盆地、山荘上の山は鉢盛山
鉢伏山荘、奥は松本盆地、山荘上の山は鉢盛山 
山頂へは20分もあれば到着するのだが、歩き出してすぐ正面に美ヶ原の溶岩台地が広がるのを目にして驚いてしまい、先に行けばさらによく見えるところはあるだろうと思うものの、扉温泉への道に入り込んで谷間を隔てて山と向かい合うところまで行ってしまったり、雲が多いせいで日の当たる部分が移ろいゆく周囲の山を何度も写真に撮ったりしていると、なかなか歩みが捗らない。
それでも半時かからず着いた山頂とされるところは草原の一角で、広々としてよい場所だ。ただし美ヶ原方面は木々が育っていて眺望はない。諏訪湖も見えない。さらに先にある見晴台にまで歩を進めると、右手に松本盆地、左手に諏訪盆地、正面には先ほど歩き回った高ボッチの高原地形が一望にできる。腰を落ち着けて写真など撮りたいところだ。
鉢伏山頂。奥に見えるのは美ヶ原の溶岩台地。左端に王ヶ鼻、その右に最高点の王ヶ頭
鉢伏山頂。
奥に見えるのは美ヶ原の溶岩台地。
左端に王ヶ鼻、その右に最高点の王ヶ頭
 
鉢伏山は山頂到着まで一手間必要なので、高ボッチのような喧噪はないが、それでも観光客が来ないことはない。もう少し山の雰囲気に浸りたかったので、登路途中から分かれる二ツ山から三峰山に続く行路に入り、脇に逸れる踏み跡を辿って名もない笹原のコブに入って腰を下ろした。さすがにここまで来ると人の気配はない。振り返れば鉢伏山が谷間を隔てて大きく、その彼方には高ボッチが低く広がる。季節柄、湯沸かし道具を持ってこなかったのでコーヒーなど淹れられず残念だが、正面の美ヶ原を眺め渡しながら呆けるにはじつによい場所であり時間だった。あまりに呆けすぎて日焼け止めを塗るのを忘れ、必要以上に焼けてしまった。
そのまま駐車場に戻るのも歩き足りないので、前鉢伏山とされる場所にも寄ってみた。山荘前から続く未舗装林道を行き、途中からよく踏まれた山道に入る。堅い土の表面が足裏に快適だ。平坦か下るかだけの道のりで着く前鉢伏山は、鉢伏山ほどではないものの、松本盆地のよい展望台だった。ここから下っていく山道があるが、本日はその山道がどこに続こうと辿ることはできない。すでに時刻は3時に近く、ほとんど歩くだけだった一日でも時間は容赦なく経つ。そろそろ下界に戻るべき頃合いだ(車を返さなければならない)。容易に来られるわりには人の訪れが稀そうな前鉢伏山を後にして、鉢伏山荘の駐車場へと戻った。


車を出す前に、鉢伏山荘の売店に寄ってみた。高原牛乳とある。一杯所望してみると、これがまた美味い。山の上で飲む牛乳はとにかくおいしい。山荘のかたに話を伺うと、この日、山の朝は20度行かなかったらしい。充分な高山の趣だ。山頂への道は随分と広く整備されているが、これはこの山が雨の神様の山であり(竜王権現が祀られている)、そのために整備されているからだという。観光客のためだけではなかったわけだ。ツツジの季節は混雑するが、その他の時期はそうでもないとのこと。高ボッチと同じく、またゆっくり訪れてみたい山なのだった。
2013/07/14

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