鹿倉山の稜線にて鹿倉山

鹿倉山(ししぐらやま、ししくらやま)は山系としては大菩薩山域になるが、アプローチが奥多摩駅からとなるため奥多摩の山として扱われることが多いようだ。そのアプローチにしても駅から遠く、しかも近隣には石尾根や三頭山があってお客を取られてしまうのか静かな山であるという。雪の付いた2月ともなればさらに静謐なことだろう、そう思って出かけてみた。


本日の天気予報は曇り時々晴れなのだが、都内は雨だった。これが奥多摩の山中に入るとすぐそこまでガスが降りてきているのが目に入り、気分はやや憂鬱だ。御嶽では霧雨さえ降りしきる。それでも久しぶりに多摩川を巡る急峻な渓谷を目にして嬉しくもなる。10時も半ば近くに奥多摩駅に着いたが下車する人々の中にハイカーの姿はなく、駅前で待っている小菅行きバスの車中にも見あたらない。白地に黒木が目立つ山々を奥多摩湖越しに眺めつつ小菅に向かう。気のせいか車の数も少ない。奥多摩湖を離れると華奢と評される小菅川が車窓を流れていく。
冬枯れの寒々しい景色を眺めながら小一時間も揺られ続け、登山口となる川久保バス停に着く。このあたりは小菅の中心部で、山間に佇む小さな町という風情だ。民宿や旅館の案内板が賑やかに立っていて観光に力を入れているのがわかる。停留所近くには箭弓神社(やぎゅうじんじゃ)という立派な神社があり、これが岩科小一郎氏の『大菩薩連嶺』に矢弓明神と書かれているものと思われる。
小広い敷地には舞台が併設されていて夏に奉納されるという獅子舞が行われるのだろうが、神社と舞台のあいだにある観劇場所を覆う大屋根がとくに目を惹く。優美な曲線を描く柱は近寄ってみると2センチほどの厚さの板を何枚も合わせて造られていて感心させられるが、できれば舞台のほうも簡素なままではなく意匠を合わせられればと思いもする。小菅は由緒ある地らしく、小振りとはいえ諏訪大社20番目の末社という神社も建っていれば、平将門にまつわるという一戦場(いっせんば)という地名も残っている。
箭弓(やぎゅう)神社
箭弓(やぎゅう)神社
見上げれば雲間に青空が覗き始め、本日の天候に期待を持たせてくれる。すでに11時も半時近く過ぎており、いつまでも人家近くでぐずぐずしてはいられない。まずは大丹波峠、古くは大田和峠と呼ばれた尾根のたわみを目指して舗装された車道を登っていくと、15分ほどで右手に山中へ導く案内板があり、鹿倉山ハイキングコースなるものをガイドしている。植林のなかの道を辿り、行き止まりになったところで左手の林道に上がるとそこは未舗装で、5分強も行くと大丹波峠への分岐があり、ぽっかりと開けた峠が見えてくる。そこにはどう見ても造営された塚にしかみえないものがあるが、手前の案内板によれば古墳だそうだ。こんなところに造られるものだろうかと不思議に思う。
昼を過ぎたのでおにぎりを一つ食べ、行き先を見るにここからの道筋は一面の雪なのでスパッツに軽アイゼンも着けて出発する。左右は整然と並んだ植林で、林床が真っ白のせいもあって幾何学的なミニマルアートを見るようだ。足下を見ると雪の上に新しい踏み跡があり、山に入っているひとはいるらしい。山靴の跡に重なるように何かの動物の足跡もある。よく見るとどうも犬のもののようだ。
いっとき急な登りがあったが、全体に気持ちのよい斜度で上がっていくので適度な負荷に調子も上がる。だが道のりが平坦になってきたので山頂はすぐかと思っていると、そうでもない。なかなか着かない。この山は頂稜というのが長いのか、ゆるやかに起伏するコブが多いのか、とくに今日のようにガスで見晴らしが悪いとどこが山頂になるのかよくわからず、じつはそれほどでもないのに長く歩いているように感じる。
大丹波峠
大丹波峠
いきなり犬の吼え声がするので驚いて顔を上げると、山頂の手前だった。二匹の犬とその飼い主たちが休んでいた。ここまではときおり薄い日差しがこぼれて天候が良くなるのかと思うことが二、三度あったが、山頂ではすっかりガスに覆われてしまっていて、大菩薩方面が大きく見えるという展望もまったく望めなかった。これではあたりの雑木林を眺めていた方がよく、じっさいそうしながら湯を沸かし、温かい飲み物をつくった。
もう3時近くで気温は否応なしに下がってきている。大丹波峠からこのかた一面の雪であることは変わらずレジャーシートを重ね折りして雪面に敷いて座っていたが、腰が冷えて困る。つくづくエアーマットの座布団版があればと実感した。さいきんでは山道具も必要なものが少なくなり(スノーシューはほしいが使うときがないだろう)、山用品店にもあまり行かないのだが(ストーブの燃料は買い込んであるのでしばらく保つ)、まだ雪のある山には行くだろうから暇を見つけてマットを買いに行こうかと思う。


冷えるなと思いつつ眺めが得られることを意識せずに期待していたのか、そろそろ行こうと立ち上がったころにはすでに半時ほどが経過していた。往路を戻らず、予定通り深山橋方面に向かう。大丹波峠から山頂まではほとんど植林のさなかだったが、深山橋へのルートは右手は植林でも左手が雑木林で明るく楽しい。ガスで霞みがちとはいえとりどりの姿をした木々が予想外のパターンを見せて目を楽しませてくれる。
それにしてもしばらく歩いてみたがこちらもなかなか頂稜の斜度が下がらない。もう少し天気が佳ければ稜線漫歩の気分に浸れそうなものだが、すでに薄暗くなってきているうえに下山先でのバスの時間が気になるのでそうもいかない。それでも左下に奥多摩湖畔に佇む鴨沢あたりの集落が見えると高揚感が沸いてくる。この高みには雪原の木々が立ち並ぶのみ、風もなく、人の姿もない中を一人行く。
山頂を越えても同じく雪原の森
山頂を越えても同じく雪原の森
ゆるやかな上下を繰り返していくと左手前方に小屋が二つほど見えてくる。このあたりが仏舎利塔のある大寺山だなと当たりを付けて近寄っていくと、ガスのなか、目の前にコンクリ製らしき施設が浮かび上がってくる。これもまた小屋かと思いつつ見上げてみると、なんと巨大な塔の先端が遙か上に霞んでいるのだった。何度も遠望していた建築物だが、間近に見ると想像以上に大きい。白い紗を通して眺めるとなかなか荘厳だ。
しかしここはあたりの佇まいについて芳しくない評価も聞くところでもある。事実10年以上前から聞かされているとおり、周囲にはいまだに足場用の鉄パイプなどが置かれていた。幸いと言ってよいのか、今日のところは雪が目障りなものをかなり覆い隠していてそれほど気にならずに済んだ。
大寺山の仏舎利塔
降雪に霞む大寺山の仏舎利塔
先行者の踏み跡はこの仏舎利塔に登っていく。まさか山頂から遙拝して戻っているのではないだろうかと恐れたが、足跡は壇上を一周して尾根の下降点に向かっていく。安心してトレースを追うと、奥多摩湖畔に向けて落ち込む尾根筋の急降下が始まる。しかもところどころが痩せており、そういうところに限って木々もまばらで滑ったらどこまで落ちるかというところも一カ所ならずだ。
かなり下ったつもりでもまだかなり高いところにいる気がする。しかし急降下なものだからか、ほとんど足下ばかりに注意して下っているといつのまにか車道に降り立ってしまう。誰も歩いているひとのいない深山橋を渡ってバス停の時刻を見ると、あと2分ほどでバスが来て、その後一時間半近くない。本日は心がけがよかった。大急ぎで雨具の上着をヤッケに着替え、ストックをしまって乗車に備える合間にも、東京方面に帰るらしい乗用車が何度も走りすぎるのだった。
2005/2/20

回想の目次に戻る ホームページに戻る


Author:i.inoue
All Rights Reserved by i.inoue