農鳥小屋から間ノ岳

白峰三山(二)

早朝三時に目覚め、お茶を飲むだけで朝食は再び"いりこ"だけとする。身体がなかなか動かないうえに、咳や痰も出始めて、予定通り三山縦走を貫徹するか、北岳を登ったことに満足して八本歯のコルから下山するかテントのなかで迷い続けた。間ノ岳に向かうととにかくもう一泊しなくてはならなくなるが、広河原に下山すれば今日中に家に帰れる。だがあと一泊くらいなんとかなるだろうと当初予定通り三山縦走をすることに決めた。
朝の北岳
朝の北岳
ぐずぐずしていたせいで食事が簡単だったわりにはもう五時になってしまっている。昨日の経験から八時までに見晴らしの良いところに行かないと展望では得るところのない山行になってしまうから、道草を食わずに山頂を目指そう。そう考えて歩き出そうとすると、隣のテントの人から話しかけられる。返事を返すと、自分の声が全然出ていない。愕然とした。いくら朝でも声のかすれ具合がひどい。それでも飴を口に放り込んで間ノ岳に向かう。
テント場から最初のピークの中白根まではすぐ着く。遠望すると間ノ岳の山体の一部に見えて目立たないのだが、ここも立派な三千メートル峰である。振り返って見下ろすと、北岳が左面を黒く落としたハーフシャドウの粋な三角錐に見え、その下に続く岩だらけの稜線に北岳山荘の屋根と周りのテントの色彩が華やかに点在する。
中白根に向かう
中白根に向かう
中白根から間ノ岳は近そうに見えるのだが、これまたなかなか着かない。岩だらけのコブが並んでどこがピークだか判然とせず、とにかく人がたくさん立っているあたりが山頂だろうと昨日の北岳同様に他人任せの目標設定で進んでいく。周囲はハイマツと砂礫と岩の世界だ。左手に稜線を見ながら行くのだが、ガラガラの岩がうずたかく積もっている景観が続き、昨年登ったトムラウシの山頂風景を思い出させる。
仙丈ヶ岳と仙塩尾根
仙丈ヶ岳と仙塩尾根
遠望を遮られない右手には雲海のはるか彼方に中央アルプスの核心部が頭だけ出している。その後ろに頭だけ見えるのは御嶽山で、さらに右手には乗鞍岳、北アルプスの山並みだ。今日はガスが湧く前の早朝に高みを歩いているので見晴らしがよい。身体をさらに後方にねじ曲げると、仙丈ヶ岳が胸元に雲を浮かべて品のある姿を現している。もう少ししたら甲斐駒ヶ岳も見えてきそうだ。雲海は間ノ岳に近づけば近づくほど薄くなっていって、しまいに伊那谷がほぼ晴れ渡り、恵那山までもが姿を現した。前方、間ノ岳の右の肩口からは塩見岳も顔を覗かせている。
塩見岳(右)、蝙蝠岳(左)、悪沢岳(奧)
塩見岳(右)、蝙蝠岳(左)、悪沢岳(奧)
風通しがよくて寒いくらいの山頂に着く。まず目に飛び込んでくるのはここでようやく見ることのできる南アルプス南部の山々だ。谷間越しに見える力強い姿は、背後の山々を従えるように立つ塩見岳だ。蝙蝠岳、悪沢岳がその後ろにこちらも巨大な姿を見せている。左手には西農鳥岳と農鳥岳が急激に立ち上がって障壁のようだ。ここからだと低く見えはするものの侮りがたい。今回の山行で「これはいい」と心底思えた眺めはここ間ノ岳からが初めてだった。
農鳥岳(左)、西農鳥岳
農鳥岳(左)、西農鳥岳
しかし寒い。まだ七時前だし、いかに晴れていても三千メートル強の高さなので、歩みを止めたまま風を直接受けると身体から熱がどんどん失われていく。体調がよくない身には堪える。感激もそこそこに、シャツを着込んで20分くらい休憩しただけで風通しのよい山頂から逃げるように下り始めた。


農鳥岳を正面に下る。こちらは登った側とは違って少々傾斜がある。鞍部に見えるのは農鳥山荘の赤い屋根の群だ。登山道の周囲は岩屑だらけで、ところどころにハイマツや高山植物の緑の絨毯が広がっている。右手、三峰岳直下のカールが灰色の砂礫を流している。雪に削られて浅いU字型になった斜面が足下に広がり、ここは高山地帯なのだなぁと実感する。そうそう見られる景色ではない。農鳥山荘に着くまでには二重山稜らしき地形も観察できる。
三峰岳とカール
三峰岳とカール
下っている途中ではライチョウの親子にも遭遇した。ハイマツの枝の間をひよこみたいなのが五羽、ちょこまかと歩き回る。そんな子供たちと、自分たちに興味を寄せている人間とを親鳥が交互に眺めている。青空を背景に凛と伸ばした首筋が氷河期を生き抜いてきた誇りを感じさせる。しかし最近では個体数が減少してきているらしい。細い首が余計に細く感じる。
ライチョウ
ライチョウに出会う
山荘に下り着いてくたびれた目で越し方を振り返ると、間ノ岳は半円形の巨大な岩山となって急激に立ち上がっている。こちら側から登るのは骨だろう。山荘脇で長いことお茶休憩し、目の前に相当高くなってしまった農鳥岳を登る前に体力を回復させる。そのあいだにも間ノ岳からたくさん下ってくる。ここで幕営して農鳥を往復し、たぶん明日に塩見岳への道を辿る少人数のパーティ、三山縦走をする高校山岳部の一団、北岳山荘当たりから軽装で農鳥を往復する若者集団など。しかし農鳥は深田百名山でないせいか、北岳周辺の混雑ほどではないようだ。
ここで朝に作っておいたアルファ米のご飯を食べようとしてみたが、一口しか食べられない。けっきょく山荘の売店で買った牛乳を飲み、"いりこ"を少し食べただけで昼食は終わった。栄養価は摂取しているつもりなので立ちくらみに襲われることはないだろう。気合いを入れ直して山頂まで一時間弱の西農鳥を登り始める。
短い時間だがちょっと急な登りで、重たい荷物では堪えた。山頂標識が立っているところで荷を投げ出して休憩する。ここは本当のところ西農鳥の最高点ではなく、少し先の岩峰のほうがはっきりと高いとわかるのだが、すでにそこまで行く気力がない。朝方飲んだ薬が切れてきたようで、しきりに鼻水が出る。しかたなく十二時間作用するはずの鼻炎カプセルを前の服用から十二時間待たずに飲む。まわりでは賑やかな中高年の団体が山名標識を入れての記念写真を撮っている。標識を写しておかないとどこに行ったときの写真なのかわからないのだそうだ。
そちらに背を向けたままあたりを見渡す。そろそろ間ノ岳も北岳もガスに覆われ始めている。伊那谷も切れ切れの雲が浮かび始めた。塩見岳以南の山々はまだ見えるが、塩見の山頂にはガスが漂い始めている。農鳥岳に着く頃には塩見岳以外の南部の山々、中央アルプス、間ノ岳、北岳がほとんどガスの中で、甲府盆地も雲が立ちこめて消えてしまった。こうなると高度感がわからず、高山という気がしなくなる。農鳥岳山頂でもあまり長く休まず、下りにかかる。


登りは短いものの急登だったが、山頂の裏側から始まる岩屑の中のコースは緩やかで、これが大門沢下降点まで続く。稜線を挟んで山の両側の傾斜が著しく異なるのを非対称山稜というらしいが、歩くとよくわかる。ボートのように窪んだ地形も見られて、なるほどこれが「舟窪」というものかと気づく。見渡す限り岩だらけで、ここにしても「岩の殿堂」と呼ばれる資格はありそうだ。大門沢下降点に着く頃には、上空を漂っていたガスがついに稜線まで下りてきてしまい、直前まで見えていた白峰南嶺の出発点である広河内岳もまったく見えなくなっていた。見えていても山頂往復をする気はなかったのだが、まるで見えないとあれば何の未練もなく、すぐ下降を始める。
ガスに呑み込まれる間ノ岳
ガスに呑み込まれる間ノ岳
一時間四十分ほどはとにかく樹林帯のなか急斜面をジグザグに下っていく。遠くに沢音が聞こえ、あれが大門沢だろう、豊富な水で顔と手や腕をを思う存分洗えるぞと期待が高まるのだが、なかなか水の近くに着かない。だからようやく河原に出たときはとても嬉しかった。
そこから一時間弱、やや斜度のゆるんだ道を行くのだが、疲れているのか不良な体調のせいか昨日の雨のせいで細い山道の路肩が崩れやすくなっているのか、何度か足を踏み外して左手の谷側に転げそうになる。荷物が重いせいでいったんおかしくなったバランスの回復が難しく、一度はほんとうに道の下に転落した。灌木にしがみついて止まり、一メートルほど落ちただけで事なきを得たが、木々がなければ本当に遭難者の仲間入りをしかねななかった(この程度でも遭難と言えば遭難なのだが)。体勢が乱れて踏ん張りを利かそうにも利かず、あれあれあれっと思っているうちに落ちていくのである。この後は意識して道の山側を歩いていった。
大門沢小屋周辺には沢の谷間に開けた斜面をうまく切り開いてテント場が作られている。標高がだいぶ低いのでかなり暑いが、風邪ひきには好都合だ。またまた小屋で買った牛乳を飲みなが ら設営し、テントの外で何度も湯を沸かしてコーヒーやお茶を飲んでは、日が暮れるのを待った。
けっきょくこの日の夕飯も抜いた。たぶん主として疲労のせいで食欲がぜんぜんないのである。こういうのを「いっぱいいっぱい」と言うのかもしれない。ともあれあいかわらず"いりこ"と牛乳で脂肪や蛋白質、カルシウムなどは摂取しているので、食べなければ食べないでいいや、と気にしなかった。夜は再び鼻炎の薬と風邪薬を同時に飲んで寝た。それほど更けていないころ目が覚めてみると、こんな体調なのに暑いせいでシュラフを全開にして何もかけていない状態で寝ている。いくらなんでもこれはまずいと、シュラフにもぐるようにして寝直した。


そんな山行の最後の朝、もはや喉はガラガラで、喉飴を全然切らせないほどにまでなっていた。
大門沢小屋からの下りは最初こそ大石が出ていたりで歩きにくいが、そのうち沢から少し離れて山の斜面を行くようになり、山腹から棚のように張り出している平坦地を通ったりする。平らな土の道など出てくるとほんとうに心が落ち着く。一時間くらい歩くと山仕事の差し掛け小屋が見えてくるが、登ってくる人はこれを大門沢小屋と勘違いするかもしれない。北岳周辺には及ぶべくもないが、このあたりにも夏の花々がひっそりと咲いている。葉っぱを見て気づいたカニコウモリの白く小さな花は名のおどろおどろしさとは違ってかわいらしく、笑みを誘う。
視界の中にワイヤーでできた吊り橋をが出てきて、もう林道かと思わせたがそうではなく、もう二本渡って暫く行ってようやく林道に出る。ここから発電所までは思ったよりすぐだが、発電所から奈良田のバス停までは少々長く感じた。
奈良田のバス停では時間があったので、公営の日帰り入浴施設に行って久々に風呂に入りさっぱりしてきた。風邪だろうがなんだろうが四日も風呂に入っていない状態で町中に戻るのはどうも、というわけである。しかし身延駅まで行く帰りのバスは乗車が一時間半強で、ここで薬が切れたのか、咳が止まらずかなり弱った。通常運行のバスの方でなくて臨時バスの方に乗っていればノンストップで身延駅まで行ってもう少し楽ができたのだが、乗ったあとわかったのでどうしようもない。周りの目もあるし、今まで乗った下山後のバスでいちばんひどい乗車経験だった。最後の二十分ほどは早く着け、早く身延駅に着けと心の中で念仏のように唱えていた。
念仏と言えば、このバスが七面山の登山口をかすめたときには白装束の団体が駐車場に溢れていて、とくに若い女性が目立っていた。こんな観察をする余裕があったのだから風邪も大したことがなかったのだろう。しかし彼女らの笑顔と白装束の背中に黒い墨字で書かれた「南無妙法蓮華経」の文字とがどうもこちらにはしっくりこない。これが「こころの時代」と呼ばれる状況なのだろう。
とにかく早く家に帰りたかったので駅からは特急列車で静岡に出て東海道新幹線に乗り継ぎ、新横浜からタクシーに乗って家に向かう。帰るとすぐ近所の医者に駆け込んで薬を処方してもらった。幸いに仕事には差し支えなかったが、山を下って一週間経っても直らなかった。
2001/7/20-23

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