日影集落から桜沢峠桜沢峠

中央本線大月駅から行くセーメーバンという山を訪ねた折り、下った尾根の途中に桜沢峠というものがあることを知った。とくにいわれがあるものでもなさそうだが、眺めがないわりには広く明るい佇まいに惹かれるものがあった。セーメーバンそのものが宮地山からの縦走の途中に立ち寄っただけなので、この山だけの再訪を兼ねて、峠越えをしてみることにした。


4月下旬の穏やかな陽気の日、大月駅からバスに乗って日影と呼ばれる集落に着いた。ここが桜沢峠を東から登る起点である。ところで登り口はどこだろうか。じつはこちら側から登る道はガイドが出ておらず、地図上に残る波線表示のみを頼りに現地で探す方針で来ていたのだった。その地図によれば春日神社を右手に見るようにして車道を行き、左手に落ちてくる尾根の末端に出会ってそこから上がることになっている。ではまず神社から探すことにしよう。
バス停広場の脇にある家の住人らしき高齢の女性が散歩されていたので声をかけて聞いてみる。春日神社はすぐそこに社叢林が見えるところだった。林がややいびつに見えるのは、何十年前かに落雷で半分燃えてしまったせいらしい。「神社にはいまだに正月になると梵天柱が立つよ。向こうには川が谷になっているけど、いまの季節は野生の藤の花が端から端まで咲いていて見事だよ。時間があったら行って見てみるといい。」バスでやって来た方向に顕著な山があるので名前を訪ねてみると、このあたりではカズノ山と呼んでいるという。葛野山と書くそうだ。あとから考えてみると百蔵山の西端のコブのことらしく思えた。
葛野(カズノ)山
カズノ山
また来ますと挨拶して、左手から流れ落ちてくる尾根を巻くように車道を山奥へ歩いていく。意外に多い家並みが尽きるころ、尾根の末端が削られミルクセメントで固められているところまでやってくる。手元の地図ではこの上を歩くように見えるので、やや戻ってみると農道らしきが上がって行っている。これを登ってみると、道幅が狭まって軽トラックも入れなくなるあたりで地元の方が三人ほど小さな倉庫の前でなにかの作業をされている。念のため桜沢峠への登路のありかを訪ねると、この尾根ではなくもうひとつ先の支尾根だという。バスが登ってきた車道を進み、左右に分かれるところを左に行き、堰堤が出てくるところを右へ行くと、「あそう」という民宿があるのでそこでまた聞いてくれと言われた。
教えられた尾根は直接セーメーバンの山頂につながるもののように思えるのだが、ここは言われたとおりに行くことにする。途中、道ばたの家で男性がひとり、軒先に出て煙草をふかしていた。「桜沢峠?最近は山に上がらないからよくはわからないが、沢沿いの道を行けば上がれるだろう。このうえにはセーメーバンと呼ばれる平らな山がある。」この方の口ぶりからすると、セーメーバンは山頂というより尾根を指す言葉なのかもしれない。
このひとも、先ほどの人たちが言っていたのと同じ尾根を行くのが桜沢峠への道だという。「だが誰も歩かないので道形も消えてしまっているだろう。近頃では誰にしても自分の山の範囲さえよくわからない。植林の下枝払いも、大きく育った木にはする必要がないので、やはり山には入らない。山では食っていけない。」
桜沢峠近くの山の神の祠
桜沢峠近くの山の神の祠


さて教えられたとおりをなおも行くと、林道のような道も尽きるころ、古民家風情の民宿「あそう」の玄関先に着く。その上には小さな家がもう1軒あって、登ってきた道はそこで途絶えているように見える。どこが登山口にあたるのかうろうろしていると、民宿の玄関前でなにやら仕事をしていたおばさんが声をかけてくる。「一人で山を歩いているのかい、寂しくないかねー。」のっけからの挨拶に面食らいつつ、桜沢峠への登路をたずねてみる。「わたしは山は上がらないからねー、でも上の稜線にはいい道があるそうだよ。GWのころになると10人くらいが鍋を持ってやってきて、山菜をとって天ぷらにして山の上で食べて行くみたいだよ。あの小さな家の庭先から上がっていって、こちらには下ってこないから、どこか七保のほうにでも下っているんだろうね。」なるほど、ここが峠道かどうかはともかく、山には登れそうだ。
おばさんの話は続き、なかなか山に上がらせてもらえない。しかし苦痛でもないので山を放っておいて聞き役に回る。「昨日寝たのは夜の一時でね、11時半ごろまでお客さんが宴会していて、それから後かたづけやらなにやらしてたらそんな時間になったんだよ。タケノコが食べたいと言うんで親戚のほうで持っていたのを出したんだよ。このあたりのは出る前から猪が掘り出して食べちゃうんだ。去年の11月からことしの2月まで3ヶ月、猟の期間があったんだけど、狩りの人が猪を30頭も獲ったそうだよ。猿もいるし、鹿もいる。その猟の期間に立派な角の雄鹿も獲ってね、肉をいくらかもらったんで、少しずつお客さんに出してるんだよ。あの角は高く売れるんだろうね。」
桜沢峠からセーメーバンへの道
桜沢峠からセーメーバンへの道
おばさんは山の登り口はどうやら知らないらしかった。けらけら笑いながらひとしきり話を聞いたあと、お礼を言って踏み跡探しを開始する。登ってきた道に沿っていた沢はここで二俣に別れており、まずは右手の沢底を行ってみるが、どうも人の歩いた形跡がなく、しかもものの10分もたたないうちに両側の斜面が急角度に落ち込んでミニV谷となってくる。登路そのものの傾斜も増し、植林の倒木が横たわっていて歩きにくい。どうもこれは違うと判断し、もういちど家のあるあたりまで戻る。


左手の沢底も似たようなものだろう。二つの沢に挟まれた尾根の稜線を辿って主稜線に出られるかやってみたほうが歩きやすいはずと考え、まだとりつきやすい斜面を登り出す。踏み跡らしきはないが、下草もなく、雑木林状の斜面は沢底に比べれば遙かに歩きやすい。しかし傾斜が急なことは変わらず、30分も登っていると汗が飛び散るようになってくる。腰を下ろして顔を拭いていると、左手の斜面からがさごそと何かが歩いてくる音がする。木の幹の陰からそっと様子を窺ってみると、狸が一匹、食べ物を探しているのか地面にときおり鼻面を付けながらのんびり歩いているのだった。こちらが風下に当たるので、気づかないらしい。私が歩いた踏み跡近くに来ると、人間の匂いを察したのか、やや早足になってとっとこ下っていった。
尾根の末端は急だが、ある程度登れば平坦になるはずだ。そう思っていると、案の定、斜度が緩み出す。主稜線は登っている尾根の左前方に見える。かなり低いので、そのあたりが桜沢峠だろう。前方が開け始めたように明るくなり、尾根が平になると、予想外にも送電線鉄塔の真ん前に出た。ここからは送電線巡視路があるはずなので、道筋としては安心だ。新緑の谷を見下ろす開放感に一安心して、昼にはやや早いが食事休憩とする。来し方にはカズノ山と教えられた百蔵山が穏やかに日を浴びて鎮まっている。小鳥たちの囀りを押さえてカラスの鳴き声が聞こえてくるが、それさえも懐かしい気分にさせてくれるのだった。
送電線鉄塔付近から高ノ丸
送電線鉄塔付近から新緑の高ノ丸
そこからは踏み跡は間違えようもないほど明瞭だった。主稜線直下で、稜線を右に見るように左折して山腹を行くと、再び驚いたことに桜沢峠に出た。峠から今歩いてきた道を振り返ると、9号鉄塔を示す標柱が立っている。この日登ったのは、国土地理院発行の2万5千分の1図(平成7年版)で見ると桜沢峠から真東に突き出す高低差150メートルほどの、尾根とも言えない尾根だった。直下まで林道が達しており、家影が3つほどあるうちの1つが民宿だろう。前回桜沢峠に来たときはこの道が峠道とばかり思っていたが、民宿近くにあったような急坂を峠道が辿るわけはないので、違うことがわかった。峠で休憩後、セーメーバンを往復して日影とは反対側に下った。峠からはわずか15分で舗装された車道に出てしまい、登りに苦労しただけに拍子抜けした。


さてどれが日影と峠を結ぶ本当の峠道なのだろう。先の地図で見ると、桜沢峠にあたるところからの南方から東へ、高ノ丸にあたる山腹を巻くように日影に続いている波線表示の道がある。現地でもこの道筋は確認できる。一般路になっている尾根筋を辿る道筋から分岐し、幅広なうえに平坦な、いかにも峠道と思いたくなるものだ。だが入口には木々が横たえられ、進入禁止のサインとされている。
後日、この進入禁止のサインを踏み越えて日影へと歩いてみた。入ってすぐに幅広の道はまさに踏み跡だけになり、とても崩れやすい山腹を踏みしめながら行くことになる。道筋は明瞭なのだが、地盤の固まっていない斜面はわずかな衝撃でもぐずぐずに崩れかねず、一度はほんとうに目の前でミニ土砂崩れが起きて急斜面の下に落ちていった。進入禁止にされるのも頷ける場所である。高ノ丸から続く尾根筋に乗るとようやく足下が落ち着き、小振りとはいえ明るい高原状と呼んでもよいくらいの光景が広がる。大月周辺にこんな場所がと驚きもした。
高ノ丸からの尾根を日影に下る
高ノ丸からの尾根を日影集落に下る
背後の山は百蔵山
 
平坦だった尾根筋が下り出すと植林のなかに入る。林道を越えてなおも下り、集落の中に出た。初めはどこなのかわからなかったが、よくみると驚いたことに最初に桜沢峠の道筋を尋ね、もう一つ先の尾根だと教わった場所だった。まるで化かされたような気分である。しかし集落から峠まで上がる人はもうほとんどいないのだろう。そしてごくたまに物好きな都会の人間が来て、こうして歩くだけなのだろう。


ほんの少し下って振り返ってみると、山道から出てきたところは二俣になっており、山に向かって右手は細い踏み跡、左手は幅の狭まった簡易舗装路になっていた。ここには指導標がないので登ってくればまず左手に入ってしまうことだろう。その先がどうなっているのか、これもまたいつか確かめに行ってみたいものだと思う。
2004/04/25、05/03

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