セーメーバン新緑のセーメーバン

大菩薩山域の雁ヶ腹摺山から派生する尾根の一つにセーメーバンという妙な名の山があり、昔からそうなのかは不明だが一般には1006.2メートルの三角点峰がそう呼ばれている。国土地理院発行の地図には山名表記がないが、このあたりの山はたいがいが載っていないのでセーメーバンばかりが冷遇されているわけではない。


この山には中世に活躍した陰陽師の阿倍清明にまつわる伝説がある。諸国漫遊中の清明が近郷の村に立ち寄った折り、水不足に悩む村民の願いを聞き、翌日の朝までに水路をこの山に掘り抜くことを約束する。だが名声を妬んだ岩殿山の鬼が深夜に一番鶏の鳴き真似をし、作業中途の清明はこれを聞いてもう朝かといたく落胆し、そのまま憤死したという。伝説そのものは「一夜もの」とでも呼べる類型的な構造で、山名末尾にある「バン」の説明もないことから、いつの時代かは知らないが山名から創作されたものと思う。とはいえ、水についての懸念は山間の耕作民にとって切実だっただろうから、ただの辻褄合わせとして全てを捨て去るわけにはいかないだろう。この点は『大菩薩連嶺』での岩科小一郎氏の推察に首肯するところだ。
稀代の陰陽師を舞台に引き出すセーメーバンだが、周囲の山から遠望しても、実際に山頂とされている場所に行ってみても、地味な山だと思う。大月市街地を隔てて菊花山から眺めれば、清楚と言ってもよいくらいの整った広角三角形の山容なのだが、背後のもっと高い山々が目立つので眼を凝らさないと判別するのは難しい。大菩薩連嶺、雁ヶ腹摺山や楢ノ木尾根が目立ちたがりの年長組とすれば、セーメーバンはその足下でおとなしく座っている幼少の子供のひとりというところだろう。
この山の山頂とされる場所は南から北に高まる稜線の途中にあり、北から下るにせよ南から登るにせよ、セーメーバンへは段差の少ない佳い道が雑木林のなかに続く。平坦なところとやや急なところと交互する山道は単調にならず、送電線鉄塔が目障りと言えば目障りだが、その周囲が切り開かれて南大菩薩や北都留方面が見渡せるのはありがたい。初夏であれば新緑とヤマツツジの赤い花が華やかで、交通が不便なせいか訪れる人も少なく穏やかな山歩きができる。標高が低いから盛夏はどうかと思えるが、それでもコナラの葉擦れなどを耳にしていれば涼感を得られるかもしれない。
山頂の樅の木 山頂の樅の木
たどり着く山頂には大きな樅の木が立っていて、片側に大きな枝を張り出している。葉の落ちる季節になるとこの常緑樹の大木は近隣の山々からよく目立ち、セーメーバンの山頂を指呼しやすくしている。そのころでも見晴らしはないので、葉が茂るころになれば眺望は期待しない方がよい。下り始めれば富士山を正面にする豪華な眺めをかいま見られるが、山頂では樅の木を見上げ、あたりの雑木林を眺めて静かに休憩するにとどめよう。


山頂からは北へ大岱山(おおぬたやま)まで登って金山温泉に出るのもよい。南に下って桜沢峠から西奥山の集落に出る方法もある。いずれも遅能戸というバス停に出るが、この停留所に大月駅行きバスが来るのは午後だと二回しかない。あまり当てにせず、駅まで歩いていくことを前提に計画した方が気が楽というものである。
これらはいずれも稜線から西側に下るものだが、東側に下りる道筋もなくはない。桜沢峠と東奥山集落とを結ぶ山道については、また別の機会に。
2004/3/21、4/25、5/2

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