部屋の明るさに驚いて目を覚ますと5時30分だった。起床予定時刻を大幅に過ぎている。慌ててふとんをたたみ、荷物をまとめて外に出る。

小金沢連嶺(二)

 こんな時間に目を覚ましても寝坊なのだから、家にいるときの寝坊なんて山の感覚で考えるとひどいものだな、などと思いながら大菩薩峠に続く林道のような道を進む。ほとんど登りのない広い道だ。勝縁荘を右に見るとすぐ沢をわたって斜面を登るようになる。笹原が目立つようになると介山荘の建物が頭上に見え始め、大菩薩峠がすぐそこであるとわかる。稜線に出て小屋の前を通って峠に立つ。
 久しぶりに見る大菩薩嶺がすぐそこだ。左手には甲府盆地が広々と広がっており、その向こうには期待通りの南アルプスの眺め。


 しばらく眺望に浸ったあと、介山荘前に戻って軒先を眺めたが、それは文字通りウィンドウショッピングだった。「店を開けている」と言うのがまさに的確な表現だろう。前に来たときは文字通りただの山小屋だったような気がするが、現在は昨日見た長兵衛ロッジも叶わないほどのたくさんの品物を軒先に並べている。これも百名山ブームのおかげなのだろう。越後の八海山にある千本桧小屋のような小屋の雰囲気が別世界のようだ、などと考えつつも、しっかりイオンサプライの飲料を買って飲む私だった。あたりには学生らしい人たちがおおぜい朝御飯を食べている。若者の山離れとかが言われているようだが、昨年の奥秩父といいここといい、そうでもないのでは、と思う。
 今回は長丁場なので大菩薩嶺には登らない。その反対側の小金沢連嶺目指し、目の前の熊沢山の暗い樹林帯の中に向かう。落ち着いた樹林の中をほんの少し行くと急に視界が開けて眼下に笹原がたわむように広がり、真ん中にぽつんと標識が立っている。石丸峠(いしまるとうげ)だ。笹の彼方には再び樹林に囲まれた小金沢連嶺最高点の山が黒々と盛り上がっている。その山めがけて登山道が笹原の中を伸び、標高が高まり始めるところで樹林の中に消えている。まだ朝早くなのにもう雨が降ったり止んだりし始めたので、樹林に入る前に雨具を着込み、今では小金沢山と呼ばれている連嶺最高点に登り出す。甲府盆地は雲がわだかまり始めて底が見えなくなってきているが、それでも東方は丹沢や奥多摩が遠望できる。もうしばらくは天気が保つかもしれない。
 狼平から小金沢連嶺最高点 狼平から間近に見る小金沢連嶺最高点
 新たにできたダム湖を登山道右下側に見やり、ときおり後方の三角形の形良い大菩薩嶺を振り返りながら登り着いた小金沢連嶺最高点は、標柱が一本立つだけの狭い山頂だった。だが展望はすこぶるよい。大菩薩方面は樹林が邪魔して見えないが、その他は全てさえぎるものがない。進行方向には牛奧雁ヶ腹摺山(うしおくのがんがはらすりやま)から黒岳への稜線が伸び、その右手には富士が頭を雲に覆われて浮かぶ。黒岳左手には丹沢の山々。そのさらに左には奥多摩三山が大岳山を中心にやや左手前に御前山、同じ間隔でやや右手前に三頭山というようにきれいに縦に並んで見える。そのさらに左手奧には石尾根が高まって雲取山に行き着き、奥秩父主稜線に続いている。こちらの方向からの奥多摩の眺めは奥行きが深く、趣があってよい。


 連嶺最高点に別れを告げて次のピークの牛奧雁ヶ腹摺山へ向かう。ここの間の山道はひどい笹原で、一度ばかり道を見失いさえした。道はよく踏まれているものの完全に笹で隠されており、目を凝らしていないと妙な方向に行ってしまう。道を外れると数メートルくらい離れただけで笹に隠された正しい道を見つけることができない。道に迷ったのは小さな鞍部だったので、目の前のコブを登るのは確かだから上がればルートが見つかるだろうとも思ったが、ひとりのときに不必要なまで強引にやるのも考えものだ。こういう場合は確実な地点まで戻って進行方向を考え直すに限る。
 牛奧雁ヶ腹摺山の山頂は小金沢連嶺最高点と同じく眺めがよい。こちらはもっと広く、テントの二張りくらいなら何とか張れそうだ。目の前に黒岳が大きく見える。左手にはここと同名の雁ガ腹摺山も負けじと大きく構えている。山のてっぺんから、そこと同じ名の山を眺めるのも奇妙な感じだ。
雁ヶ腹摺山(左)と黒岳 雁ヶ腹摺山(左)と黒岳
 次のピークの黒岳に行くにはいったん賽の河原というところに下らなければならない。そこは一面の明るい笹原で名前ほどのおどろおどろしさはなく、ここにもテント一張りほどのスペースがあり、実際に昨夜ここで幕営したパーティが実際にあったと山行中に耳にはさんだ。そのパーティーはかなり気持ちのいい夜を過ごせたことだろう。ほかにも牛奧ヶ雁腹摺山から湯ノ沢峠までの間は適度な間隔で一張りか二張りほどのテントスペースがあって、日帰り客があまり来ないため重たい荷物をものともしないならば瞑想的な幕営山行に向いていると思える。黒岳山頂に着くとその感がいっそう強まる。眺めが何もない樹林の中の頂だが、奥秩父東半部で感じられるような静寂な空気に浸ることができた。
その三に続く)

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