八海山大崎登山口の霊神碑群

もう何年前のことか忘れたが、それまでわりと楽な道ばかり歩いてきた仲間たちが本格的山歩きを始めたのがこの八海山だったと思う。私とK氏はそのときの山行に参加せず、その後「あの山の小屋の食事は....」「あの山の鎖場は....」と何度も話題にされるのを一方的に聞くだけであった。ある年の夏、加賀の白山に登ったときに二人して「そろそろ八海山に登ろうか」みたいなことを言い合う。では9月の末なら日程が合う、そこで行こう。
浦左駅周辺で食料を調達後、タクシー乗り場へ。しかし駅前のお土産屋で買いもしないのにお土産を物色していると、いつの間にかタクシーが全て出払っている。仕方がないのでタクシー会社に直接乗り込む。入り口には猫が店番中だった。中にいた無線担当の女性に車を頼む。「すぐ来ますから中でお待ち下さい。これから八海山登山ですか」「ええ」「私も登りましたよ....」聞けば、ここいらの小学生は6年生になると八海山に登るのだが、それが父兄同伴だそうである。危険な山だからもっともなことだ。登るのは我々が登る大崎口からだそうで、その女性もすでに4回(うち2回はゴンドラ経由)登ったそうだが、「(山頂の八つ峰に行くまでが)長くてねぇ」。そりゃそうだ。しかし小学6年生があの鎖場のデパートを縦走するのだろうか。だとすれば魚沼の子供は末恐ろしいものだ。


さてタクシーに乗って黄色く色づいた穂並みの田んぼの中を通り、登山口の一つ大崎口に着く。ここにはタクシー会社の女性が「そばがおいしいですよ」と言っていた宮城屋が店を開けている。下山後、ガイドブックを読んでみても手打ちそばがうまいとある。檜の香りの漂う真新しい里宮とその向かいにわさわさと立つ霊神碑の脇を抜けるようにして登り出す。
最初の休憩地点は八海山随一の清水という金剛清水。清冽な湧き水が岩の隙間から流れ出している。飲んでみると口当たりが柔らかく甘い感じがする。金剛清水の前は登山道からちょっと逸れた小広い平地になっていて、すぐ上が二階建て避難小屋の霊泉小屋である。この小屋は立て替えられたばかりらしく、木の臭いが香しい。盆地に張り出した尾根の突端に建っており、周囲に高い木が一本もないせいで下の盆地の見晴らしが格段にいい。ここに泊まりに来るだけでも楽しかろう。中を見ると外同様に木肌の色が明るく清潔な感じ。入り口はサッシの扉で防寒対策も万全のようだ。本体は取り外されているとは言え入り口にはストーブの煙突まである。
緩急を繰り返す山道を登っていくと、右手前方にゴンドラの音が聞こえてくる。ゴンドラ直上には展望台があって、その下にはなんと清涼飲料水の自動販売機と水洗トイレがある。なおも歩くと、四合目の遥拝所があり、そのあたりから今にも雲に飲み込まれそうな八ツ峰が見える。この日、山頂部は結局これが見納めになってしまった。しばらく歩くと小雨がぱらつき出す。このあたりは八海山とは言え鎖場はないので問題はない。かなり緩やかになった尾根道をなおも行くと六合目の女人堂に着く。窓枠を固める木の板が洒落た飾りのカットを施されていて、堂の名に似つかわしい優雅さだ。中は風が通らないので外で休憩していると、雨はやむどころかだんだん強まってくる。
女人堂を越えてしばらくすると道の両側に黄葉した木々が目立ってくる。だが雨でガスが優勢になってきており、特に左手にあたる越後駒ヶ岳側の谷は上部がまるで見えない。それでも急峻なV字形の谷筋と向こう側の尾根筋下部は見える。豪雪に磨かれた新潟の山、という感じの眺めだ。登山道左手の間近な斜面には草紅葉の始まった草原が広がっている。
雨が普通降りになったところで薬師岳山頂に着く。浦佐側の平野は途切れ途切れに見えてはいるが、尾根の駒ヶ岳側は何も見えない。すぐ目の前に千本桧小屋が見えるが、その背後の小ピークである地蔵ヶ岳はガスに煙ってまるで妖怪「山入道」という感じだ。


小屋は宿泊棟と管理人棟との間が差し渡しの屋根でつながっている。案内を乞うと、扉が開いて中から暖かい空気が流れ出してくる。9月末だがもうストーブを焚いているのだ。戸を開けてくれたのは中年の年代で元気が良い上品な女性で「びしょ濡れになったでしょう」とまず一言。「それほどでもないですよ」と我々。その背後にいる管理人らしい老人に「予約していたものですが」と挨拶すると、管理人部屋の隣の宿泊部屋に行くよう言われる。
戸を開けてくれた女性もどうやら宿泊客らしい。夕方だしこの天気だともう泊まり客は来るまい、てことは客は3人だけと推察。空いててラッキーだ。何はともあれ濡れたものを着替えてくつろぐ。窓から外を見ると雨足は強まり、加えて風も強くなってきていて、稜線をガスが飛んでいくのが見える。「こんなになる前に着いてよかった」。
管理人の上村さんは、ちょっと見た目は60代だが、実際は82歳の好々爺だ。地元の山岳救助隊の隊長を勤めておられ、何度も遺体の収容に立ち会い、山道の補修も行われている。鎖場の岩に足場の凹みが切ってあるのは、こういう方たちのおかげなのだ。他の地域の山にも登られるようで、御岳や八ヶ岳にも車を運転して仲間の方たちと一緒に行っているらしい。終始にこやかに山の話をされ、八海山は宗教の山で遭難事故も多いから「俺は墓場の子守人だぁ、と来る人に言ってるんだ」とのこと。「でも幽霊なんて出ないよ」。
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