大菩薩の稜線というと自分がまず思い浮かべるのは大菩薩嶺から小金沢連嶺を経て南下する主稜線であり、次いでこの稜線から東に派生するものになる。しかし目の前にあるものが意外と気づかれないように、大菩薩嶺そのものから派生する稜線は忘れがちだ。つまり山頂から唐松尾根を下って上日川峠に至り、源次郎岳方面に向かうものである。
源次郎岳はこの稜線が顕著に派生させた支稜線にある。稜線末端にある恩若峰(おんじゃくみね)と合わせて歩くと、塩山からなら源次郎岳までは5時間近くかかるとガイドマップは教えている。しかも「道標ほとんどなく判断力を要す」とも書かれ、軽い気持ちで行くんじゃないと脅かされもする。源次郎岳のピークを踏むだけなら甲斐大和駅からバスで嵯峨塩温泉に出れば1時間半かからないが、どうせなら下から登って源次郎岳の山の深さを実感した方が面白かろうと、塩山に前泊して長いルートを歩くことにした。


前泊した塩山温泉を出発したのは7時だった。休日の朝だからか人影のない駅前の通りに出て東へ向かう。重川という名の川を渡り、すぐ左へ分岐する車道に入る。湾曲する幅広の車道を丁寧に辿ってしまったが、まっすぐ山に向かって上がっていけばよいらしい。左右は果樹園だが今は4月、季節はまだ先だ。ビニールハウスの上に塩山市街地とその上に高まる山並みが浮かんでくる。
重川を渡り、果樹園のなかを行く途中で振り返る塩山市街
重川を渡り、果樹園のなかを行く途中で振り返る塩山市街
左手前に塩ノ山、右奥に小楢山、左奥に水ヶ森
フルーツラインという広域農道を渡ると、文珠院を案内する標識があり、辿っているルートが間違っていないことに安心する。車一台の幅になった道を上がり、文珠院へを右に分ける。傾斜は徐々に増していく。軽トラックでにせよ、果樹栽培にここまで来るのはたいへんだろう、歩いて上がるのはなおのことたいへんだけれどとか考えつつ登って行く。舗装はいつしか途切れ、砂防堰堤の前で左に迂回し、堰堤を越えた先で、ようやく山道となった。
果樹園脇で咲いていた桜
果樹園脇で咲いていた桜
山道の初めは植林の中で、沢沿いに上がっていくのだが、似たような作業道が繰り返し横切る。ガイドマップではどこかで左に曲がり、尾根に乗るようなのだが、「標識がない」というコースなので間違えたらどうしようかと心配でもある。若干の不安を抱えつつ直進を続けていくと、谷底がV字になったところで、山道は明確に左に折れていく。無理に沢沿いに行こうとするなら狭い沢底そのものを歩かなければならなくなるので、間違えようがない。
山腹を伝う歩きやすい径を行くと、新緑の谷間越しにあらためて塩山市街地が望める。立ち止まる周囲にはヤマザクラもちらほらと咲いている。尾根の上に乗り、あいかわらず歩きやすい道幅と踏み固められた平坦路を行く。恩若峰まではよく登られているようなので、コースが荒れているということもないようだ。
尾根通しに行くのかと思っていた径は尾根のわずか右下を行く。急激な上り下りはなく、快適に高度を稼いでいくと、正面に顕著なコブが仰がれ、その右手へと巻くように、雑木林が広がる稜線の鞍部に出る。何の用途か、ビニールがいくつか散乱しているものの、幅広の稜線で林内の見通しもよく、なかなか気持ちよいところだ。荷は下ろさないものの、しばらく足を止め、周囲を見渡して穏やかさに浸る。
恩若峰から南方に延びる稜線の撓みに出る
恩若峰から南方に延びる稜線の撓みに出る
稜線上に乗ってからは左へ、北へと幅広のものを辿る。途中、小さな盛り上がりの合間を縫うような、道筋が深く抉れてそうなったようにも見える地形のなかを行く。昔から歩かれているのか、じつは作業道なのか、律儀に稜線を辿ることはせず、巻けるものは巻いていく。稜線に乗るまでに見えていたコブはただのコブで、次に出てきた岩を乗せたコブが恩若峰かと思ったが山道は左を巻いていく。そろそろのはずではと訝しみつつ次の鞍部に出てみると案内板があり、源次郎岳は目の前のコブを右に巻けと教えている。恩若峰はやはり背後のピークらしい。
戻るように登ってみると、先ほどの岩が出ているところではなく、樹林に囲まれて眺めはない、しかし小広く開けた山頂に出た。源次郎岳で湯を湧かそうと思ってはいるが、朝食を食べていないのでここで軽い食事かたがた熱いものを飲むことにする。曇りがちの空から日は回るものの、長袖と半袖のTシャツ重ね着では少々寒く、薄手のフリースを着た。まだ朝の9時だからか誰も来ず、市街地から上がってくるエンジン音と、時折わき起こる鉄路の音を聞きながら、ゆっくりコーヒーを飲んだ。
恩若峰山頂
恩若峰山頂
さてここから源次郎岳まではコースマップでは3時間弱だ。まずは1時間歩こう。で、歩き出すのだが、これが相変わらず歩きやすいもので、先日たどった武田の杜遊歩道のようだ。上り下りがないわけではないが、急激なものがないので楽に歩ける。季節柄かヤブもなく、拍子抜けするくらいに歩きやすい。左手、木々の合間からは彼方に大菩薩嶺が窺える。曇りがちの空だが、2,000m峰の山頂が遠望できるので天気はもつだろう、と思っていたのだが、残念ながらそうはならなかった。
源次郎岳を目指す稜線から大菩薩嶺を遠望する
源次郎岳を目指す稜線から大菩薩嶺を遠望する
予定通り、1時間ほど歩いたところで荷を下ろし休憩した。ペットボトルのお茶を飲んで雑木林を眺め惚けていると、風のない林のなかに木の実の落ちるような音がする。あれっ、と思っていると、そこここでし始める。雨が降ってきたのだった。これには驚いた。昨日の予報でも今朝のでも降水確率は降りそうなものではなかったのが、久しぶりに不意を突かれた格好だ。
しばらく待って、シャワーのような雨だが止みそうにないので雨具を着込んだ。おおよそ半分ほどの行程を来ているが、もう少し先まで降るのを待ってくれていたらというところだ。久しぶりに着込む雨具は、歩く分にはやはり面倒に思えて、しばらくすると雨が止んだものだから早々に脱いでしまう。だが、山上ではいつもの通り、30分ほど歩くとまた降ってきてしまう。そこは源次郎平という場所で、荷を下ろして休憩していたが、やはり止みそうにないのでまた着込む。
この源次郎平、地面に置かれた看板でわかったのだが、あらためて見回してみても山道が多少幅が広くなったというくらいで、「平」と付けるほどではないのではと思ったものだ。木々の上から三角錐の山が覗き込んでいる。このときは自信がなかったが、これが源次郎岳だった。
源次郎平の先から鞍部を隔てて源次郎岳を見上げる
源次郎平の先から鞍部を隔てて源次郎岳を見上げる
稜線を行くと、木々の上から頭だけ出していた源次郎岳が、ほぼ全容を現してくる。いまいるのが本峰前の最後のコブで、この先急な登りがあるとガイドマップにある。しかし山頂(というかこのときは目の前のコブとだけ考えていた)はすぐそこにあるように見えて、わりと簡単に、30分くらいで着くのだろうと思っていた。
雨が降ってくるとカメラを下げているのが心配になるのでザックにしまうのだが、格好のよい山を目にするとどうしても撮りたくなりザックを下ろして撮影し、またしまう。これを繰り返すと、頻繁に休んでいるのと同じことになり、重い荷物を背負い直す回数も増えて、かえって疲れる。休もうと思って休んでからどれだけ歩いているのかも判然としなくなる。こんな調子のまま、源次郎岳の急登を開始したのだった。天候の如何にかかわらず、雨具は着たまま、カメラは下げたままで登って行く。
源次郎岳の登りはなかなか厳しい
源次郎岳本体の登りはなかなか厳しい
いままでが穏やか過ぎたのか、この登りは真に大変なものだった。ロープが何度も出てくるが、これを掴んで登らないと足下が危ないというところが一ヶ所ならずあった。踏み跡を間違えてコースアウトし、谷側に傾いた滑りやすい岩の上を進みかけて、これは滑落する危険が大、と気づき、なんとか退却したりと、疲労のせいで判断を誤る箇所もありもした。なかなかどうして山頂手前の最後の最後にお気楽登山を打ち砕くような試練を用意してきて、源次郎岳は侮れない山である(塩山側から登ればだが)。
源次郎岳山頂。荒れた雰囲気。
源次郎岳山頂。荒れた雰囲気
源次郎平を出発して、休憩込みで一時間弱かかって山頂に着いた。やっと出た山頂は木々が広く切り倒されていて荒涼としており、眺めがよいだろうことはわかるが、風情はまるでない場所だった。山梨百名山になって人の訪れが増えたからこうなったのか、元からなのかはわからないが、平坦地は多いものの腰を下ろす場所を決めきれない荒れ方だった。
あちこちに丸太のように切られた木の幹が転がっているので座る場所には事欠かないのだが、開け方が不自然なのでどこに腰を下ろせばよいか決めかねる。まぁどこでも同じだと適当なところに腰を落ち着け食事とする。雨はだいぶ前に止んでいたが、いつまた降ってくるかわからなかったので湯を湧かすのはあきらめた。恩若峰で暖かいのをつくっていたのであきらめはついた。なにより、残念ながらこの山頂はあまり心落ち着くものではないのだった。
甲府盆地側が開けているものの、下り気味の天候なので周囲の山々は判然としない。塩山方面の市街地が俯瞰できる程度だ。本日は眺望もいま一つだったので、早々に下ることにした。とはいえこの源次郎岳は主稜線から西に張り出した支尾根上の山であり、主稜線の方がいくらか高い。予定では天目温泉側に出るつもりなので、源次郎岳を下ると言ってもまずは主稜線を越えるために登らなければならない。幸いにこの登りは山頂直下のに比べて格段に楽なもので、緩やかにうねる地形に広がる冬枯れのカラマツ林を眺めつつ、落ち葉が敷き詰められたなかを抜けていく快適なものだった。
嵯峨塩鉱泉に向かう道のりは快適(ただし車道に出るまで)
嵯峨塩鉱泉に向かう道のりは快適
(ただし車道に出た先は不明・・・)
主稜線を越えて舗装道に出た。源次郎岳へ続く山道の入り口には、明瞭な標識はなかった(「熊注意」の案内があったような覚えはある)。ガイドマップによればすぐ反対側に山道が嵯峨塩鉱泉へと下るのだが、林道に出た気安さと見晴らしの良さに惑わされて舗装林道を下りだしてしまい、延々と南西に歩いて行ってしまった。
嵯峨塩深沢林道から源次郎岳を遠望する
嵯峨塩深沢林道から源次郎岳を遠望する
木の幹に案内書きがあった
遠くには谷間を越えて右手に源次郎岳が遠望されもすれば、近くではミルクセメントを吹き付けた山肌があちこちで大崩壊している。ある意味、見る価値のあるルートではあった。なかなか嵯峨塩への分岐が出てこないなと呑気なことを思っていたのが、さすがに変だと遅まきながら地図を見ると、勝沼に向かう林道をだいぶ下ってきている。来し方を振り返ると、だいぶ遠くのだいぶ高いところに、歩いてきた道筋のガードレールが見えている。とても戻る気がしない。


しようもない失敗だが、塩山から登って勝沼に下るのも面白かろう(暗くなるまでにたどり着く距離だ)と開き直り、そのままひたすら歩いて行った。大日陰トンネルに入り損なって近道できずに大善寺の山を丸ごと一周し、勝沼駅に着いたのは夕方6時前だった。ちょうど上り列車が出て行ったところで、次は30分後だ。街の明かりが増えていく甲府盆地を眺めながら、列車を待った。駅には飲み物の自動販売機しかなく、駅前には見る限り料理屋が一軒のみ。食べ物を買えるところがなかったのが残念だった。
2015/04/19

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