獅子岳中腹から五色ヶ原、薬師岳を振り返る。五色ヶ原山荘の上は鳶山、薬師岳の手前は越中沢岳。

折立から薬師岳、五色ヶ原(二)

折立から太郎平に登って薬師峠に幕営した翌日、薬師岳を越えてスゴ乗越に二泊目のテントを立てたものの、日焼け止めを塗らずに短パンで歩いたツケがたたって相当な日焼けで寝苦しい夜を過ごす羽目になってしまった。熱をもっている脚がこのままの状態であれば停滞しようかと考えながら山中二日目の夜は過ぎていった。


<<三日目 8/3(月) 五色ヶ原キャンプ場泊>>
夜半、テント泊のそもそもの寝苦しさに何度か目が覚めたものの、睡眠不足にもならずにまだ暗いうちに目が醒めた。日焼けであれほど熱を持っていた膝回りも冷めてきていた。夜が明けてきたのでテントから頭を出してみると、昨夕はガスで閉ざされていた眺めが開け、木々の上に突兀と聳える二つの峰が逆光に黒い。右手のやや低いのがスゴノ頭、左のが越中沢岳だ。昨日の午後に薬師岳を下る先に見えていて「あれを越えるのか」と憂鬱になっていたものだが、間近に仰ぐとさらに苦労が予想された。
朝日を真横に受けるスゴノ頭(右)と越中沢岳
朝日を真横に受けるスゴノ頭(右)と越中沢岳
あれを登るのは嫌だなとテントのなかでぐずぐずしていたが、日焼けは治りかけてきたためもはや言い訳にできず、日が差してくると早朝だというのに蒸し暑くなってきて一日ここにいるわけにはいかないということもわかった。では出かけることにしようと昨日より多少早く、5時半にはキャンプ場を後にしたが、そのとき残っていたテントは2張りのみだった。
テント場から少々下り、低くわだかまるコブを一つ越えてさらに下り、スゴ乗越の名のある鞍部に着く。やや開けて休むにはちょうどよい場所だ。さて見上げるスゴノ頭は登り200メートル。日帰りの山歩きなら大したことはない高度差だが、登りだしてみると尋常ではない傾斜に驚く。岩が出ているので歩幅を大きく取らざるを得ないのがまた疲れる。荷も重いので20~30分登っては休むを繰り返す。
チングルマ
チングルマ
コイワカガミ
コイワカガミ
大きな岩がごろごろする中を登るようになってしばらくでスゴノ頭頂上手前の折り返し点に着く。日はすでに高く、ハイマツがつくるわずかばかりの日陰に逃げ込み、グラウンドシートをそのハイマツにかけてさらに日陰を作って休む。目の前の越中沢岳が高い。向かって左側にガレた斜面を落とし、手前側の縁に登山道を細く這わせている。白く伸びたルート上に日影など少しも見えない。改めて日焼け止めを塗るが、今日もまたかなり日焼けしそうだ。休んでいるうちにもその越中沢岳方面から人が来る。五色ヶ原を出発したにしても早い。テントを背負った30代くらいのひとは「今日は薬師峠まで行くので」と言いながら、ろくに休憩もせず下っていった。
スゴノ頭から越中沢岳
スゴノ頭から越中沢岳
座っているうちにも日は高くなり、なけなしの日影も心許なくなってきた。決意を籠めて立ち上がり、登りよりは多少ましな斜面を下り出す。左右はお花畑なのが救いだ。下りきった先の鞍部には花はあまりなく、カメラを出してもなかなか撮るものがない。かわりに谷間の彼方に見える山は何かと地図を取り出し山座同定する。ルート左側に見えるのは鍬崎山とわかる。かつて大日三山を下ったときに見上げたときより小さく見えるが、それはこちらが今相当高いところにいるからなのだった。
スゴノ頭と越中沢岳の鞍部から鍬崎山
スゴノ頭と越中沢岳の鞍部から鍬崎山
スゴノ頭と越中沢岳の鞍部から奥木挽山
スゴノ頭と越中沢岳の鞍部から奥木挽山(右)
三角錐のように見え始めた越中沢岳に登り返していく。予想通りこちらも厳しい登りだ。昨日、五色ヶ原方面からスゴ乗越小屋に着いたと思しき人たちのなかから「今日は久しぶりに足に来た」という声が聞こえてきていたが、さすがにこれを下りスゴノ頭を下れば足にも膝にも来るだろう。その五色ヶ原を今朝出発した人たちがしきりに下ってくる。見晴らしの良い地点で足を止めて下向きにカメラを向けている人たちがおり、なにがあるのかと目を向けてみたらライチョウの親子が岩場を移動しているところだった。背後には赤牛岳が高く大きい。背後から顔を出す黒岳はすでに存在感が霞んでいる。
越中沢岳の登りから望む赤牛岳、黒岳(中央)、残雪の祖父岳、三俣蓮華岳 ライチョウの親子(親は右手前)
越中沢岳の登りから望む赤牛岳、黒岳(中央)、残雪の祖父岳、三俣蓮華岳 ライチョウの親子(親は右手前)
休み休み登ったものの、山頂に着いてザックを下ろしてもまだぜいぜいいっていた。せっかくたどり着いた山頂だが登っている最中から湧きだしたガスが視界を閉ざしてしまっている。見るものがないならば割り切るのも早い。目を開けていてもしかたないので出ている岩のひとつに腰を下ろしザックを枕に横になった。顔を帽子で覆い、湿度の低い風が身体を撫でていくのに任せる。周囲のハイカーどうしの会話を聞くともなしに聞いているうち、歓声があがったので起きてみると、ガスが切れて黒部湖とその上の針ノ木岳が姿を現したところだった。しかしわずか数枚の写真を撮るくらいで再びガスがあたりを覆ってしまう。
越中沢山頂よりガスに霞む後立山連峰 山頂のお花畑
越中沢山頂よりガスに霞む後立山連峰 山頂のお花畑
あまりに長いこと休憩して山頂に人の姿もなくなったのでそろそろ出発することにした。越中沢岳の下りは登りと異なりハイマツに覆われた緩やかで広い斜面だった。あいかわらずガスで遠望が効かないが、そのため実際以上に斜面の広がりを感じさせ、闊達な高原を歩いているようにも思えた。しばらく下ると残雪があり、下方の縁に夫婦が陣取り雪解け水をペットボトルに集めている。ボトルのキャップで地道に雫を溜めてはボトルに入れているという。自分も持参の水不足が心配になってきていた頃なので、真似して多少集めてみた。炎天下でぬるくなったのとは違って、口中に響く冷たさだった。
斜面の幅が狭くなり始めると木道が現れ、隣の蔦山への登りとなっていく。疲れた身にはこの登りがまたきつく、ちょっと歩いては休むを繰り返す。ガスで日の光が遮られて若干涼しいのが幸いで、少しでも明るくなると暑くなるのでもう出てこないでいいなどと太陽に向かって勝手な文句を言う。山頂手前では疲労がピークに達し、地面に横になっていたら眠ってしまい、自分はどこにいるんだと訝しみながら目が覚めるほどまで熟睡した。
蔦山山頂には誰もいなかった。本日薬師岳方面から五色ヶ原に向かう人たちは全て自分に先行している状態になったのだろう。閉ざされた眺めが開ければ立山カルデラの底を眺め渡し、立山温泉跡地や湯煙を上げているという新湯の在処を探り、大鳶山の大崩壊地というのも見てみたかったのだが、いずれも叶わない。長居は無用ということだが、やはりここでも腰を下ろして呆けるように休むのだった。
下る方向には漂うガスの下に雪田のようなものが見えた。下っていくと、すでに五色ヶ原の一角だった。右手に五色ヶ原山荘の赤い建物が見えてくる。近いように思えるのだが木道が敷設されたルートは原を大回りしているので近づくのにかなり時間がかかる。ハクサンイチゲの群落がそこここに広がるなか、丹念に木道を辿る。一面がお花畑かと思っていたが、そうでもないように感じた。いままでの縦走路で各種の花を見てきたことであるし、そもそも現在咲いているものが大きなものでないため遠くのものは目立たないからかもしれない。
五色ヶ原山荘へ 斜面を彩る花々
キャンプ場から夕暮れの山々 (左上) 五色ヶ原山荘へ
(上) 斜面を彩る花々
(左) キャンプ場から夕暮れの山々
左端は北葛岳。右に船窪岳と七倉岳が重なる。右中央は不動岳。
いくつか分岐する木道を見送り、なかなか着かないものだと思いつつ、ようやくのことで山荘に着く。テント場の申し込みをし、目に入ったのでフルーツジュースと牛乳とビールと飲料ばかりを買って10分先にあるというテント場へ向かう。歩きながら牛乳を飲む。美味い。疲れた身には牛乳が美味い。200mlパックが250円もしたが、それだけの価値がある味だ。
キャンプ場にはすでに1ダース前後のテントが設営されていた。水場に近いところで脇にベンチまである場所が空いていたのでこれ幸いと荷を下ろし、フルーツジュースを飲みながらテントを立てた。テント場は全体として広いのだが、地面が土で平らなところはそう多くない。ただ広々としているので居心地はよい。外国から来たキャンパーも何人かいた。Lonely Planetの"Hiking in Japan"には立山から上高地までのガイドがあるので、これに従ってプランニングしてきたのかもしれない。もっとも五色ヶ原から薬師峠まで一日で行けとガイドされており、小屋泊まりでもきついのにテントでの縦走としてならさらに厳しいものだろう。


<<四日目 8/4(火)>>
昨日同様に、朝は天気がよい。昨日以上に、雲がない。そして昨日の朝と同様に、縦走路の先に急峻な山が立っている。昨夕はガスに隠れていた獅子岳と竜王岳だ。二山のあいだに鬼岳があるが五色ヶ原からだと竜王岳にかぶって目立たない。それにしても三山とも険阻な名前を付けられたものだ。立山信仰由来のものと思うが、これらの山々を越えなければならない身にとっては相応しく思えてしかたがない。
本日は山中にある日としては最終日なのでキャンプ場からの出発はゆっくりとした。東に向かって傾く五色ヶ原にあるキャンプ場からの眺めはよく、先に書いた獅子岳と竜王岳を北に立たせて、南には赤牛岳が急峻な口元ノタル沢を誇示している。昨夕と異なり後立山連峰や裏銀座ルートが東の空の下に長々と延びており、槍ヶ岳らしきが穂先だけ赤牛岳の左手に出している。よくわからない山々の名を推量すべくテント場のまんなかに移動して地図を広げ山座同定を試みていると、多少離れたテントの住人がやってきて仲間に加わる。あれは鹿島槍か、いや針ノ木岳だ、とすれば蓮華はどこだ、針ノ木の後に隠れている、などなど。
朝の五色ヶ原 右奥に赤牛岳
朝の五色ヶ原 右奥に赤牛岳
五色ヶ原を覗き込む竜王岳(中央)と獅子岳
五色ヶ原を覗き込む竜王岳(中央)と獅子岳
2、3張を残すばかりのキャンプ場を後にしたのは7時ごろだった。通過すべきザラ峠に直接向かうルートもあるが、今朝も牛乳が飲みたかったので五色ヶ原山荘に立ち寄ることにした。全館掃除モードになっていた小屋はスタッフ以外に人影がなく、小屋泊まりの登山者はそれぞれの目的地に向かったようだった。屋内に日帰り程度のザックがいくつも置いてあった。連泊して五色ヶ原を心ゆくまで散策というプランかもしれない。
驚くほど人影のない高原台地を木道で横切っていく。明るく広がる草地のそこここに夏の小さな花が咲く。彩りの広がりは無造作で、見るものを不必要に構えさせることなく穏やかに高揚させ、揺れる草葉が高原の柔和さを演出する。首を左右に振りつつ歩いていけば正面の獅子岳がいつのまにか大きい。ザラ峠も近くなると左手が絶壁となって立山カルデラが見下ろされる。カルデラの内側は段を成す垂壁で、赤褐色の断面が威嚇的だ。開けた奥には鍬崎山がひとり高みを誇り、背後の富山平野やさらに彼方の能登半島が夏霞越しに揺らめいている。
ハクサンコザクラ
ハクサンコザクラ
ザラ峠と獅子岳(右)、竜王岳
ザラ峠と獅子岳(右)、竜王岳 
ザラ峠は明るく静かな峠だった。戦国時代に武将が越えたとの逸話があろうがなかろうが、足を止めたくなる落ち着いた場所だった。小憩後、獅子岳へ登り出す。傾斜はあるものの山道が基本的に平らで足を出しやすく、昨日のスゴノ頭や越中沢岳の登りに比べて遙かに楽だ。登るにつれ五色ヶ原の緑の原が広くなり、その上に立つ蔦山が形よい三角形となり、彼方の薬師岳がせりあがってくる。
頂稜を左手上方に眺めてゆるやかな山腹道を行くようになると頂上はすぐで、登り着いてみると目の前の立山がずいぶんと大きくなっている。足下の黒部湖はいよいよ暑苦しい緑の色を濃くし、伸び上がる針ノ木岳は相変わらず黒々として重苦しい。到着時は周囲の視界を遮るものがなかったが、ほんの少し休憩していただけで富山平野側からあがってきたガスに辺り一面が覆われてしまった。
獅子岳の登りから五色ヶ原を振り返る
獅子岳の登りから五色ヶ原を振り返る。
右に蔦山、奥に薬師岳、その左手前に越中沢岳。奥に黒部五郎岳と笠山、赤牛岳が並ぶ。
獅子岳山頂から竜王岳(左)、立山(雄山)
獅子岳山頂から竜王岳(左)、立山(雄山)
獅子岳山頂から黒部湖の上に針ノ木岳(右)とスバリ岳の双耳峰を望む
獅子岳山頂から黒部湖の上に針ノ木岳(右)とスバリ岳の双耳峰を望む。
二山の間から蓮華岳が覗く。
獅子岳の下りは急な上に岩が出ていて歩きにくかった。小さな雪渓を越えて鬼岳東面に出ると傾きのある雪渓が目に入る。ひっきりなしにパーティーがやって来ては騒ぎつつ雪渓を下ってくる。間の空いたところで登ってみたが、軽アイゼンなしで滑らないように下るのは慎重さを要する斜度だと感じた。今朝の五色ヶ原で外国からのハイカーと会話した際、この先に雪はあるかと訊かれて戸惑ったものだが、きっとこの雪の上を歩いて緊張したからだとわかった。
鬼岳東面の標柱を過ぎて岩だらけの斜面を下ると竜王岳との鞍部となる。この竜王岳がまた岩だらけの威嚇的な姿で、まさに岩の殿堂小型版の様相だ。いやいや登り出すとハングしているようにしか見えない岩が頭上にいくつも仰げる。それでもよじ登るわけではなく足だけで高度を稼いでしまえるのは、楽なものの、多少なりとも拍子抜けなのだった。ガスが湧いてきたおかげで高度感を感じなくなったのも一因かもしれない。左手へ回り込んで山腹を横切るようになってくると、富山大学研究所の建つピークとの鞍部に導かれる。後方に見上げる竜王岳の山頂はまだだいぶ高く、体力が余っていて天気がよければ登らないこともないのだが、いまはいずれの条件も満たしていないのでさほど残念な気もせず歩を進める。
鬼岳東面から見上げる竜王岳
鬼岳東面から見上げる竜王岳
見送るライチョウ
見送るライチョウ
すっかり穏やかになった登山道をしばしで研究所の建つ広場に出る。さきほどから太鼓のような音がしていてなんだろうと思っていたが、ガスのなかに現れた建物は改築中で、その音が周囲に響いているのだった。広場の縁には丸太製のベンチがあり、腰掛けて休憩したが、眺めがないうえに背後の音が騒がしく、早々に先の浄土山に向かうことにした。
左右にライチョウを何羽も見送りながらガスのなかを行くと、正面に要塞のような石垣が立ち現れてくる。どことなく不気味な建造物は、正面にまわってみると、”軍人碑”なるものを取り囲むものなのだった。以前は何らかの木造建造物があったらしいが倒壊して久しいらしい。やたら明瞭な碑銘が余計に荒れた雰囲気を際だたせている。休む場所ではないとばかり、腰を下ろすことなく室堂平へと向かうことにした。
稜線のお花畑を後にする
稜線のお花畑を後にする


大石が出た急傾斜を下ると簡易舗装されたような道のりとなる。雪渓を渡って立山カルデラ展望台への道のりに合流し、あとはゆるやかな岩畳のコースを下っていく。室堂平もガスで覆われていて眺めがなく、ときおりみどりが池あたりが窺える程度だった。もう夕方4時近くなので散策する人影は少ないが、それでも玉殿湧水近辺では嬌声が響いていた。今回の山行も終点が近い。人混みのなかに戻っていくのかと思うと憂鬱だったが。もうすぐ重い荷物から解放されて好きなものが飲んだり食べたりできるようになると考えれば嬉しくもある。そしてなるべく早く、風呂に入らねば。
2010/08/01〜04 (前泊日および後泊日を除く)

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