左から、真砂岳、立山(富士の折立、大汝山、雄山)、浄土山

立山

山歩きを始めて約20年、その間、北アルプスを訪れたことは一度もなかった。この立山が初めての北アルプスになった。


長いこと北アルプスに足が向かなかったのは、まずは自分の力量にあっていないから、と思っていたからだった。それ以上に足を遠のけたのはうわさに聞く混雑度だった。やれ山小屋で畳一畳に3人寝させられただの、身体を仰向けにして寝られず一晩中腕枕して横向きで寝ただの、槍の穂先は常に渋滞しているだの、かと思えば山上の小屋には贅沢路線まっしぐらのものもあって、ワインは出るわステーキは出るわ風呂はもちろん個室もある、そんなところに群れ集う人たちの中には勘違いするのも現れてきて、やれサービスが悪いだの部屋が汚いだの、ここは山の上だということを忘れてものを言う人たちも多いとか。
そんなところに出かけていって不愉快な思いをするのも嫌なので、訪れたいところは多々あったものの、かつて「混んでいるのが嫌なら山に来るな」とどこかの小屋主が言ったという言葉通りに行かないことにしていた。静かなコースを辿りたければ時期を選び、期間と体力を準備すればよいのだが、勤めているとこれがなかなか難しい。
しかしこれらの条件を全て呑んだ上でも行きたい山はあった。剱岳である。槍穂の縦走も魅力的であるし、いつかはと思うのだが、単独の山としては剱が最初に手招きをする山だった。かつて戸隠は越水ヶ原にある山小屋に泊まった折り、戸隠山はスリリングで面白いですねとご主人に言うと、明日から息子さんたちの付き添いで剱岳に行くとのことで、曰く「剱というのは、戸隠山なら二時間程度のハードな部分を一日中やっているような山なんですよ」と聞かされたことがある。ガイドブックを開けば「岳人の憧れの山」と呼ばれる理由を繰り返し教えてくれる。そして写真で見るあの山容。これは人混みを措いてもぜひ行かねばならない。
室堂ターミナル前の玉殿湧水
室堂ターミナル前の玉殿湧水
こうして、ある日に思い立って北アルプス最初の山を剱にすべく計画を考え始めた。やはり剱はまず室堂から入ってカニのタテバイに代表される岩稜を辿ってみたい。とすると大日連峰と立山を左右に眺めつつ登山基地となる剱沢源頭に行くことになるが、これらの山を素通りするのももったいない。いろいろ考えて行くにつれ、立山を最初に登ってから剱、大日連峰としたほうがよいことに落ち着き、自分にとっての北アルプス最初の山は立山ということになったのだった。


時期は夏の盛りを避けて9月にかかる頃合いとしたが、それでも信濃大町からバスやらロープウェイやら乗り継いで着いた室堂は、周囲を取り巻く高山風景、神秘的な紺碧の池、地獄谷の灰白色の光景、日本最古の山小屋などを擁する、ただの観光地だった。もちろんこれら一つ一つは日本のどこに持っていっても恥ずかしくないものだが、最近の尾瀬と同様に、ここもまた真剣な山姿がやや浮いて見える場所になっている。深田久弥言うところの「繁華な山岳遊園地化」だ。
ミクリガ池と浄土山
ミクリガ池と浄土山
秋の気配の室堂平
秋の気配の室堂平
それでもみくりが池は間近に眺めたく、遊歩道を辿る。周囲の喧噪をはねつけるように静まりかえった青い水面は恐ろしいほどだった。しかし池にまつわる故事などを自然観察指導員らしきかたがしているのを脇から聞けば、すっかり観光気分になってしまう。歩き始めから山はみなガスに包まれており、唯一見えていた浄土山もすぐ姿を消した。興奮してか昨夜寝付かれず、三時間ほどしか寝ていない状態でいきなり標高2,450メートルに登ったものだから身体も頭もかなり重い。こんな調子ではどこも登る気がせず、散策もそこそこに立山の肩に建つ今夜の宿の一ノ越山荘へと向かった。
小屋では個室に通された。この小屋は個室主体なのかもしれないが、一人で一部屋を占有できたのは8月とはいえ月末で、しかも木曜だったからだろう。まだ三時だというのに涼しい玄関前の広場に出て、受付で求めたコーヒーを飲みながら目の前の針ノ木岳から白馬岳に続く稜線を眺めていると、子供連れの家族が立山から下ってくる。母親が小学生くらいの子供に「よく歩いたね」と言ってねぎらっていた。
夕食後に再び外に出てみると、ガスが上がり、大日連峰が室堂平の向こうに姿を現して夕日を背景に美しいシルエットとなっていた。雄山も見上げれば山頂近くの大きな社務所に灯がともっている。一ノ越小屋付近の影も薄闇と混じり始めている。こうして初日は静かに暮れていった。
一ノ越山荘より暮れなずむ大日連峰
一ノ越山荘より暮れなずむ大日連峰


翌朝、早々に朝食を食べて山頂への急斜面を登っていく。朝の斜光線を受けて周囲の山々が銅色に光っている。昨日の身体の重さは解消されていて、高度を稼ぐにつれて周囲の見晴らしが広がるのも心地よい。隣の浄土山の向こうに柔らかな草原風情の五色平が現れ、薬師岳が北薬師岳と茶褐色の双子峰となってせり上がり、その左手彼方には笠ヶ岳が均整で美しい三角形の姿を見せている。山頂近くになれば、雄山と真砂岳を結ぶ稜線の向こうに剱岳も見えてくる。眼下には暑苦しいまでに緑色した黒部湖の湖面、そのうえに針ノ木岳が逆光に黒々と屹立する。
一ノ越の登路から薬師岳、五色平(中景)
一ノ越の登路から朝の薬師岳、五色平(中景)
山頂付近から御前沢の残雪
山頂付近から御前沢の残雪
立山は西暦だと701年の開山とのことで、伊邪那岐神(いざなぎのかみ)、天手力雄神(あまのたちからのかみ)を祀る。それぞれが阿弥陀如来・不動明王に擬せられてきたらしく、明治維新の廃仏毀釈までは神仏習合の一大霊場だった。雄山山頂にある巨大な社務所はかつての賑わいを伝える感がある。その先にある立山頂上雄山神社へはここで入場料を払って登る。
小さな社の建つ山頂では橙色の狩衣を着た神官のかたがここまで登ってきた登山者のために祝詞をあげてくれる。まだ朝の6時過ぎとはいえあの格好で暑くないのだろうか。きっと生地は風通しがよく、袖や裾の長さとゆったりさ加減は日差しを防ぐ上で着心地がよいに違いない。涼しい顔で社に向かって榊を振りながら「日本の遠近から来た善男善女のために山行の無事をお願い奉る」旨を唱えている神職の後ろで、登山者たちは正座して畏まっているのだった。
立山雄山神社から社務所を見下ろす
立山頂上雄山神社から社務所を見下ろす。
彼方に富士山を望む
彼方に富士山を望む
下って社務所の前に戻り、周囲の山々の名を調べたり神官さんに聞いたりしているうちに、ラジオ体操が始まった。いっしょになって体操してから、岩だらけの稜線を立山最高点の大汝山へと歩いていった。槍・穂高に富士山まで見渡せる周囲の光景は豪勢なもので、立山は眺望の点ではまったく申し分のない山だった。
2002/08/29-30 (全行程:2002/08/29-09/02)

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