立山山頂から朝の大日連峰

大日連峰

大日連峰には冬になると恐ろしい規模の雪庇ができると聞いている。思い出すのは2000年の暮れ、崩れないと思われていた雪庇が崩れ落ち、11名が転落、うち2名が亡くなられたという事故のことだ。崩れた雪庇の規模たるや小さな家一軒くらいの大きさだったらしい。雪のない季節の大日連峰は晴れて風がなければ眺めても歩いても穏やかなものだが、冬場は日本海からの湿った風をまともに受けてまったくの別世界が現出するのだろう…。
その大日連峰を歩いたのは9月の初め、剱岳に登った翌日から二日かけて室堂から大日平までをミニ縦走した。称名川の深い渓谷に隔てられて室堂の喧噪も届かず静かなもので、一泊を過ごした小屋に集う人たちも穏やかな、よい山行だった。


立山の隣、真砂岳の肩に建つ内蔵助山荘で迎えた朝は強風が吹き荒れていた。5時頃に激しい雨音のようなもので目が覚めたが、トタン屋根か何かが風に煽られてばたついているのだった。窓から外を窺えば天気はよい。小屋の玄関を出てみれば目の前の別山が朝焼けに大きく染まっている。間歇的に吹く風によろめきながら別山に続く稜線に向かえば、徐々に風もおさまり、剱もきれいに見えてくる。あれに登ったのかと感慨に耽るハイカーの足音に驚かされたのはライチョウの親子で、たまたまササのあいまに伸びる山道に出ていた6羽くらいがそのまま道沿いにとことこと逃げていく。足取りを緩めて後に続いた。
ライチョウの親子、「早く来るのよ!」
ライチョウの親子、「早く来るのよ!」
剱御前小屋は7時半に着いた。もう皆出払ったのか、登ってくる人もまだ少ないのか、あたりは静かなものだった。この小屋は昨日も一昨日も立ち寄って牛乳を飲んだが、今朝もそうした。一息ついてから新室堂乗越へとゆっくり下っていくと若い女性に追い越される。背負っているのは大荷物なのに足取りが驚くほど軽い。室堂平から登ってくる人もちらほらと見られる。まだ立山は逆光に黒く、奥大日岳はかなり高く見える。そしてもう暑い。
新室堂乗越から室堂乗越を経て、まずは奥大日岳への登りだ。奥大日と剱御前の山体のあいまから剱が厳しそうな顔を出している。振り返れば立山が台形の姿で重量感十分だ。登山路の周囲は柔らかな草原で、季節柄彩りは少ないが十分に目に優しい。眺めは申し分なしだが、昨日の剱がこたえたのか、暑さもあってかのろのろ登り、何人もに抜かれつつ山頂に着いた。正面に剱。左に毛勝三山。大休憩にふさわしい開けた眺めで、さっそくお茶の用意を始める。
東大谷が突き上げる剱岳
東大谷が突き上げる剱岳
天狗平を超えて望む北アルプスの山並み
天狗平を超えて望む北アルプスの山並み
さきほどの大荷物の女性がかなり前に着いたらしくのんびり空を眺めていたが、若い男性がひとり上がってきて、二人でわりとすぐ賑やかに話を始めた。青年は室堂平の山荘でアルバイトをしているが、山登りは趣味ではないらしい。しかし休みをもらったので目の前の山に登りに来たという。ちょっと興奮気味の青年に対して、女性の受け答えは山慣れしているせいか肩の力の抜けたものだった。お茶も飲んだことだし、二人を残して縦走路へ出た。


奥大日岳から遠望すると中大日岳への道のりはいくつかのコブを越えなければならないようだが、やはり疲れていたせいか越えるべきものの数が予想より多かった。山頂手前の七福園という日本庭園的なところは巨大な岩がそこここにころがっており、単なる山道歩きに変化をつけてくれる。中大日岳の山頂とされるところは見晴らしがよくなかった。周囲の様子から、ほんとうの最高点は密生した樹林のなからしい。
奥大日岳付近から中大日岳(左)、大日岳
奥大日岳付近から中大日岳(左)、大日岳。
鞍部に赤い屋根の大日山荘が見える。
背景は富山平野。
中大日から下ると大日山荘はすぐだった。二部屋あるうちの二段ベッドのあるほうに案内されてみると、まだ昼過ぎなので客は誰もいない。湿度がだいぶ低いのだろう、外の日差しは暑いのに小屋のなかで風に吹かれていると寒いくらいだ。荷を置いて着替えるとそのまま二時間弱ほど寝てしまった。
誰かが入ってきた物音で目が覚めてみると、先刻の若い女性だった。まだ日は高く、これ以上寝ていると夜寝られなくなるだろうから起きあがって食堂に行く。備え付けの写真集を見たり、壁にいくつも掲げられた地元の写真家の作品を眺めたり、小屋のひとや先の女性と話をしたりして夕方までの長い時間を過ごしていく。食堂にはセルフサービスのコーヒーや紅茶があり、忙しそうにしている人たちに気を遣わなくてよい。小屋番の男性がランプを掃除し始めたので声をかけてみると、北一硝子のランプだという。この著名な北海道のガラス工房でしかこういうランプは作ってないそうだ。北の国からはるばる山の上に来たランプかと思うと感慨が深い。


今日の予約は6人、まだ来ていないひとたちもいるので、調理担当らしい女性がいつ食事にしようかと迷っている。そうこうするうちに単独行の物静かな老人、男性一人女性二人の気のいいパーティが多少の間をおいて到着した。みな重そうな写真撮影機材を抱えている。本日の泊まり客はこれで打ち止めのようで、少人数のせいか今晩はちょっとした家庭気分だ。4時半を過ぎたところで、夕暮れの気配が漂いだした大日岳山頂にでかけてみた。見下ろす富山平野が広い。戻ってみると、私以外の泊まり客はみな小屋を出払い、夕日に照らされた剱を期待して三脚を立てているのだった。
夕暮れに沈む大日岳
夕暮れに沈む大日岳
小屋の人はいつになるかわからない撮影終了を待ちきれず、食堂に食器を配置し始めた。やや後ろ髪を引かれ気味に食堂に戻ってきた客一同はみなちらちらと窓越しに変わり行く剱の山肌を眺めながら食事をしていた。けっきょく剱は期待したほど赤くなってくれなかったようだ。そうでなければ皆が皆食事の途中ででも外に飛び出していったことだろう。食後に軒先から日本海を眺めていると、こちらの方がいい色に染まっていくのだった。小屋付近からは海は少ししか見えず、山頂に行っていれば壮大な光景が見られたかもしれないと思うとやや残念だ。
大日小屋に灯るランプ
大日小屋に灯るランプ
撮影するにはだいぶ暗くなったころ、寝るには早いので皆が食堂に集まり、山の四季や植生について小屋の方に話を伺った。写真撮影が趣味の人がほとんどだったせいで話題は写真のことになり、話は途切れることなくいつのまにか夜の9時にもなった。外を見れば北斗七星にカシオペアがとても近く見えており、三人組のなかの女性一人が夜の星を撮りに外に出た。しばらくして様子を見に出てみると、夜空には絢爛たる天の川が流れている。とりとめもないことを話しながら30分以上も星を眺め、寒くなってきたのでようやく小屋に戻って寝た。


最終日で気が抜けたのか起床はゆっくりになってしまった。厨房では朝食の支度が進んでいるし、泊まり客はみな朝の写真を撮ろうと外でカメラを構えている。単独行の老人は「剱沢は下れない」との現地情報を剱沢小屋から受けて計画変更を余儀なくされたのか、代わりに今日中に剱を登ってしまおうかなどとすごいことを言っている。しかし気負いが感じられない。以前に剱沢から早川尾根へと大荷物を背負って越えた事があるというくらいで心配することがないらしい。三人組パーティは三脚を抱えて大日岳を登りに行ってしまった。
本日の朝を食べない私は皆より一足先に山を下る。剱の山頂が目的になったらしい老人に挨拶し、いろいろとお世話になった小屋の皆さんにお礼を言って外に出ると、あの女性がカメラを構えて剱を見つめている。一人で立っているのが絵になる人だ。彼女にもお別れの挨拶をし、よい雰囲気で過ごさせてもらった小屋を背に大日連峰の稜線を後にした。下った先には暑くて慌ただしい下界があるのだった。
朝の大日平、奥は鍬崎山
朝の大日平、奥は鍬崎山
2002/09/01~02

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