別山北峰から剱岳

剱岳

晩夏の好天の朝、一の越山荘を出て登った雄山からの眺めは北アルプスのほぼ全域から富士山に至り、雄大そのものだった。やや高くなった朝の光のなか、頭上に抜けていく空は青く、右手の後立山連峰は紫の山襞を並べ、左手では室堂平が柔らかな緑の草原を広げている。しかし剱岳はここからだとよく見えない。
大汝山、富士ノ折立と岩の稜線を辿り、砂礫に覆われた真砂岳を緩やかに越え、別山に登り返す。広い稜線に出て剱沢を覗き込むところまで歩みを運べば、そこには剱岳が谷間を丸ごと受け止めて屹立している。幾重にも重なる地の刃、凍れる岩の炎の群れ。間近に対峙するのは初めてで息を呑む。


立山に登った日、別山から別山乗越へと稜線を歩き、剱沢方面に下ってキャンプ場を右手に眺めながら本日の宿、剣山荘に向かった。着いたのは昼を少し過ぎたばかりのころで、案内された二階の部屋には誰もいない。応対のよいスタッフにコーヒーなど頼んで一服したあと、夕方まで間があるので一服剱を周遊する散歩に出た。剱御前を結ぶ尾根筋には人影がほとんどなく、あたりを見回せば、別山乗越から次々と登山者が山荘やテントサイトに向かってくるのが目に入る。真正面の剱岳から下ってくるひとたちも見上げられる。
この日、十二畳ほどの部屋に単独行者ばかり六人くらいが相部屋になった。明日の予定など誰ともなく話し合ううちに風呂もあると声をかけられ、汗だけでも流すのもよいかと渡り廊下を渡る。夕食後、早朝出発の人にあわせて早めに消灯した。
朝の四時になると階下の団体客がざわめき始め、瞬く間に小屋中に出陣前のような喧噪が広がった。ゆっくり出ようと言っていた同室の何人かも諦めて準備している。寝ていられないので前夜のうちにまとめておいた日帰り用ザックを手にして外に出た。外は冷え冷えとした漆黒の闇で、キャンプ場のほうからランプの光が三々五々、こちらに向かって続いているのが目をひく。一服剱までは昨日の散歩で道筋を覚えていたので、なんとかなるさと半分眠っている重たい身体を引き上げるように登り始めた。
半時ほどで達する一服剱の小さなピークでもまだ夜だった。風は強くないが気温は寒い。目の前にそびえ立つ前剱の暗い斜面を見上げると、何条ものランプの光があちこちで登山道を探り、右往左往しているのが見える。同部屋だった人たちのうち二人がやってきて、三人で道筋を検討した。どのあたりで道に迷うのか見きわめたつもりになって、意を決しつつ岩がごろごろとした斜面を登りにかかった。ここから下山までこの三人で行動した。
鹿島槍の夜明け
鹿島槍の夜明け
前剱付近(の筈)
前剱付近(の筈)
岩礫斜面のかなり長いジグザグ登りを経て、前剱でちょうど夜が明けた。鹿島槍の左手から曙光が差し、本格的な岩場登りの幕開けを告げている。夜明け前の寒さは爽快な涼しさに取って代わり、頭上に広がる空の高さは本日の好天を保証していた。行く手を見ると、剱の山頂はかなり低くなっているように思える。これから鎖場が続くことはわかっていたつもりだったが、それでも高度を稼ぐ点ではやや楽になったものかと思っていた。
もちろん、前剱を越すと鎖の連続だった。これが細かく登ったり下ったりするうえに、当たり前だが腕力も使うので全身疲労度は通常の山歩きとは比べものにならない。斜めに傾いだ岩肌を鎖に頼ってトラバースしたり、樋のようになった岩溝を登ったり、滑りやすい一枚岩のようなものを足がかりを探りつつ鎖で下ったりしたが、なにがどういう順番で出てきたのかは、山を登っている最中からすでに思い出せなくなっていた。同行者がいたおかげで気が紛れて助かっていたが、あまりに変化の激しすぎるルートで、どこにどういう鎖場があったのかなど初訪の者には覚えていられず、どちらかといえば無我夢中で登っていたのだった。
数あるトラバースの一つ
数あるトラバースの一つ
中央に人影アリ
中央に人影アリ
カニノタテバイ(だったと思う)
カニノタテバイ(だったと思う)
それでも徐々に剱岳山頂部が近づいてきたと思うころ、巨大な屏風のようなところをまっすぐ縦に登っている登山者の姿が見えるようになる。カニノタテバイだ。だいぶ前に剱岳を登った友人が「このボルトを踏み外せばと思うと恐怖感が涌く」と言っていたが、ここは平常心で通過できた。とはいえなぜ落ち着いていられたのかよく覚えていない。きっと三点確保でバランスを取るのが楽だったのだろう。腕力も消耗してきていたはずなので、基本的に脚力で登れたのに違いない。タテバイの上から岩の合間のガレを上がっていくと斜度がゆるまり、小振りの社が見え始めた。やっと最高点だ、そう思うと足取りも軽くなった。
山頂は岩だらけだったが、そこここに人が座って休憩できる場所がある。思い思いに陣取って立山やら鹿島槍やらを眺めた。この日も富士山まで見える好天で、眺望については言うことなしだった。お茶を入れ、食事にして、高ぶったままの気持ちを鎮めていった。
山頂から立山、薬師岳方面を望む
山頂から立山、薬師岳(右奥)
ここまで一緒に登ってきたかたの一人は、かつて剱に登りに来たものの、登山当日が恐ろしいほどの強風で、剣山荘から小屋のひとに付き添われて団体で室堂まで戻ったという。今回は再挑戦なのだった。もうひとかたは、定年退職されて一人で車を駆り、百名山を登って回っているかただった。おふたりとも足腰は強靱で、歩みを遅くしてしまっているのではないかと気になるほどだった。ともに登りはしなかったが、相部屋になったかたの中には80歳にもなるおじいさんがいた。皆が食事のさなか、このおじいさんも登ってきたことに気がついた。本人はもちろんのこと、みな嬉しそうにしていた。


下りはカニのヨコバイが怖かった。岩場を横にトラバースした先で、一段下の岩場に下りる瞬間にこの日一番の冷や汗が出た。考えている以上に疲労していた。前剱への登り返しはもとより、なんと言うこともないはずの一服剱への登り返しでさえ疲れ切った。足腰のバネも利かなくなり、段差の大きい下りで疲労困憊した。剱山荘前に戻ってきたときには、心底、無事下山を祝った。そこで飲んだ牛乳がこれまた旨かった。
剣山荘でデポしていた大型ザックに日帰り荷物を詰め直して外に出た。一緒に登ったお二人にお礼を言い、次の宿泊先の内蔵助山荘に向かった。別山乗越から昨日とは逆方向へ、別山の中腹を歩いて真砂岳まで出たが、剱岳を上下した後とあってさすがにくたびれた。
まさに目も眩む下り道
まさに目も眩む下り道


大日小屋から夕照の剱岳
大日小屋から夕照の剱岳
ここで改めて剱岳周辺の地図を眺めてみる。室堂から別山乗越を経て剱沢に入るという一般的なルートを考えると、剱岳に最も近い山小屋である剣山荘、もしくはキャンプサイトである剱沢キャンプ場の標高はそれぞれ2,600メートル前後。現在の剱岳の標高は2,998メートルなので、標高差はわずか約400メートル。しかし一般登山者にとっては、なんと容易ならざる400メートルだろう。朝の明けないうちからヘッドランプの光を放射しつつ、岩と鎖の世界に挑んでいかねばならなかったのだから。
2002/8/30-31(全行程:2002/8/29-9/2)

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