花崗岩に覆われた稜線である淡雪山。背後は興因寺山方面 古湯坊から興因寺山、淡雪山
甲府市街地の北側には要害山を初めとする低山が居並んでおり、そこここにハイキングルートが切られていて半日から一日の散策に好い。”甲府北山”という呼称がどのあたりまでを表すのかよくわかっていないのだが、積翠寺南西、相川右岸に上下する稜線の興因寺山と、南下した先にある淡雪山は少なくとも含むようだ。
2014年の夏は雨がちで、ようやく9月の敬老の日を前にして、雨の降らなさそうな連休になる見込みとなり、「日帰りではもったいないので少なくとも一泊」と計画を考え出すに、有名山岳はいまだ人が集中するだろうから避け、甲府の町中に泊まって周辺を歩くことにした。初日は積翠寺奥にある要害温泉古湯坊前から興因寺山、淡雪山と歩いた。とくに淡雪山は小規模ながら奇観で悪くなく、全行程を通して人影のない、その意味では静かな山だったが、この季節なら誰もいないのも当然と納得した山でもあった。


甲府駅から積翠寺まではバスが通っていることは通っているのだが、近年に本数をだいぶ減らされたのか、時刻表を見ると朝の7時30分と夕方の18時15分の2本しかない。あとはみな途中の武田神社止まりだ。しかたないのでタクシーを奮発し、積翠寺の集落を越えて古湯坊の手前まで上がる。相川の水音を耳に少々車道を下り戻り、右手斜面に始まる「武田の杜遊歩道」に入る。
よく踏まれた幅広の径が山腹を巻いて続く。木々に覆われて眺めはないが、ときおり差し込む日差しが9月なのにまだ暑く、これが最後の頑張りどころとばかりにセミの声が喧しい。瀬音も高い沢筋を回り込み、道程は基本的に下っていき、稜線は右手に相変わらず高く、このまま甲府盆地に戻ってしまうのではなかろうなと少々不安にもなる。
事前に当たった山村正光『中央本線各駅登山』によればコブシやヤマボウシが植栽された小さな広場から山道とのことだったが、その植栽を告げるように読める看板に出会う場所では、古びたベンチがあるだけで山道の入り口が見当たらず、本日は遊歩道を歩くだけで終わりかと思いながらなおも先へと遊歩道を行くと、小さな沢筋を回り込む場所に至ってまたコブシやヤマボウシがある旨の標識が立っていて、ようやく標識付きで明瞭な山道が分岐している。さてようやく本来の山歩きができそうだ。
「武田の杜」遊歩道を行く
「武田の杜」遊歩道を行く
山道(つくし坂)に入り、相川左岸の山を仰ぐ
山道(つくし坂)に入り、相川左岸の山を仰ぐ
出だしには花崗岩が崩壊してできたような細かい砂礫の表土も見られ、先に出てくる淡雪山を期待させる。周囲は広葉樹が広がり植林は目立たない。きっと紅葉時はよい雰囲気になるだろうが、この日は晩夏の真っ最中、変わらずセミが賑やかで、蜘蛛の巣も多い。
斜面に立つ木々の上に対岸の稜線が覗かれるようになってくると、峠状の平坦地に出た。見れば舗装されており、右手から下ってきた車道は正面へと下っていく。ルートは左へ、相変わらずの山道を行くのだが、興味を感じて峠を越えるように舗装路を2,3分ほど下ってみると、林の中には使われているのかどうかわからない別荘風の建物が建ち、車道反対側を窺うと、イノシシを捕獲する檻が設置されている。下っていく先では森が開け、大きな家が建っていて家人らしきかたが洗濯物を干していた。
穴口集落の上にて
穴口集落の上にて
戻って再び山道を辿り出す。ほんの少し行くとススキが赤い実を付けて穂を出し径を塞いでおり、通り抜けてみると上半身が実だらけになってしまった。見上げれば赤松らしきが立ち並ぶコブが目の前で、頭上の空が広がり多少気分がよくなる。上がってみると山の肩のようなところで、左手に踏み後が分かれるように見える。そちらを辿っていくのが正しいのだが、ただの寄り道と思ってしまい、まっすぐ続く踏み跡に入ってしまった。徐々に足下は山腹を行く頼りなげな踏み跡となって、左手彼方に稜線を見上げ、高度を下げていく。右手の木々の合間には下方に昭和池と思しき水面らしきも見える。このあたりで間違いに気づいて踵を返す。
さて改めてコブを越え、稜線を追う。いったん下ると、下った先で右手から送電線鉄塔巡視路でよく見かける黒い樹脂製の階段が上がってきている。これを見送り、正面に立ち上がる斜面を登っていくと、鉄塔基部が現れ、芝生のような草地となって、興因寺山の山頂に着いた。送電線のおかげでと考えると複雑だが、やっと落ち着いて腰を下ろす気になる場所だった。
山頂は樹林に覆われ、一角が切り開かれて甲府盆地の彼方に山が見えるものの、夏の雲に覆われてしまって何の山なのか判然としない。鳳凰三山あたりのように思えたが定かではない。湯沸かし道具を持参してきているが、湧かすのは眺望のよいはずの淡雪山でとしよう。
<font size="-1">興因寺山頂</font>
興因寺山頂
芝生の山頂からは南へ、武田神社方面へと巡視路が延びており、広く刈り払われていて快適そうで、蜘蛛の巣やらススキのヤブやらに悩まされた身としてはそちらに下りたくなるのだが、淡雪山へのコースを確認してみると巡視路とは反対側に進めとある。その反対側はススキのヤブだ。「やれやれ」とふたたび実だらけになって背の高い草のなかをくぐると、ありがたいことにすぐさまうっとうしいのは終わった。
出だしこそなだらかな稜線上の踏み跡だが、傾斜が徐々に大きくなってくる。甲府盆地側の遠望が利き始め、稜線続きの小さな山々が二つ三つ丸く膨れており、その左手に甲府市街地が広がっている。市街中心部の左下には武田神社の社叢林が広い。市街地が予想外にかなり下に感じるのは、歩き始めの積翠寺が高いところにあるため、あまり登った気がしていないからだろう。
茅ヶ岳が遠望できる
茅ヶ岳が遠望できる
甲府北山の稜線、直下は金子峠
甲府北山の稜線、直下は金子峠、彼方は甲府市街
倒木をやりすごしつつ一コブ越えると、足下には期待の花崗岩が地面から顔を出し始め、淡雪山が近いことを教えてくれる。しかしこの稜線は下る一方だ。正面には木々に覆われて丸く盛り上がる小さな山が近づくばかりで、その間のどこに一面花崗岩の展望地があるのか未だにわからない。ときおり現れる岩をまわりこみ、先ほどから手前の山との鞍部に見えている大きな屋敷らしきに着いてしまうのではというあたりで、ようやく目の前が白々と開け、花崗岩の露出する場所に到着する。淡雪山とはピークではなく、ザレの稜線部分を指して付けられた呼称なのだった。


予想と異なり平坦ではなく、鳳凰三山の稜線のように岩を眺めながら砂礫地を散策気分、というわけにはいかない。深い溝のようになっているのを下っては乗り越え巻いたりして進む。お気楽散歩とはいかなかったが、小さいながら岩の稜線は来た甲斐がある場所だった。できればもう少し高いところにあればなおのことよかったが、自然の造形を相手に無い物ねだりを言ってもしかたがない。甲府盆地を見晴るかす展望地に立てば、市街地はいまだ遙か下だ。盆地側から視線をそらすと高度感が途端に減じる。叫べば声が届くだろう距離で同じ高さに、山間に広がる上帯那町の集落が見え、岩稜の足下には車道も延びてきているからなのだった。
富士山を背後の甲府市街地を俯瞰、左下は武田神社社叢林
富士山を背後の甲府市街地を俯瞰、左下は武田神社社叢林
花崗岩稜線の淡雪山
花崗岩稜線の淡雪山
この日は日差しが強く、白い砂礫の照り返しも眩しかった。松がつくるなけなしの木陰に潜り込んで食事休憩とする。だがコーヒーを淹れようとザックのなかを探してみると、肝心の粉を忘れてきてしまっていた。湯を沸かしても飲めるのは白湯だけだ。しかたがないのでペットボトル飲料を飲み干して休憩終了とした。
岩場は下るにつれて幅が増し、右手の集落側に出るのではと思い込んで右寄りに進んでいったら降りるに降りられなくなってしまった。正しくは左側、甲府盆地寄りに下るのが正しい。屋敷のように見えていた建物の玄関脇に出てみると、某宗教団体の施設だった。山道は玄関脇をかすめながら下り、隣の小山との鞍部に出る。金子峠というらしい。盆地の展望台になっていて車で来た家族連れらしきが眺めに興じていた。
目の前にある急な山道を上り返していく。この先はあまり歩かれていないらしかった。変わらず喧しいセミの声が響き渡るなか、眺望のない山中を蜘蛛の巣と倒木とヤブとイバラに耐えながら進んでいく。本日の悩みの種がすべて出揃い、しまったここを歩くのではなかったと思えるところだ。戻るのも億劫だしそろそろ荒れていないところに出ないかなと思いながら行くうちにも、踏み跡に重なるように横たわる倒木に出くわしたりしてだいぶげんなりとした。踏み跡自体は明瞭で間違いようがないのだが快適さとはほど遠く、この季節に歩きに来たのを明瞭に後悔した。これ以上稜線を追う気は失せ、中峠と呼ばれる鞍部に到着したところでこれ幸いと右手に続く幅広の径に逃れたのだった。
中峠に建つ石仏、地震時が心配・・・
中峠に建つ石仏、地震時が心配・・・
果樹園か何かの上を行くもので、すぐに舗装された狭い農道のようなところに出た。これでもう足下に気を遣う必要はない。車の走る音のほうにあたりをつけて農地と民家の合間を抜けていき、わりとよく車の通る二車線道路に出た。


ちょうどうまい具合にタクシーが来たので手を挙げ、甲府市街地まで頼んだ。ここは昇仙峡に向かう車道だった。聞けば渓谷は大賑わいでバスも満員だそうで、紅葉はまだまだであっても好天効果は絶大らしい。車窓からはいまだ低いところに市街地が見え、それなりの高度にいたことがわかった。歩いて下っていたら相当だっただろう。甲府駅まで出てもらったが、朝に古湯坊までかかった金額と1メーター分しか違わない額になってしまった。
なお、タクシーに乗った場所の近くには、NHK朝の連続小説『花子とアン』の主人公が子供時代を送った場所のロケ地があるらしい。よい雰囲気の古民家が残っているという。寄れずに残念だった。

2014/09/14


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