洒水の滝から矢倉岳洒水の滝遠望

箱根の矢倉岳は小振りながら登りごたえがあって展望もよく、季節を変えて歩きに行っている。山頂を足柄峠側に下るとすぐ分岐があって、洒水の滝へを示す標識が立っている。ここから滝へとは意外だった。だが、どうせなら逆に滝から歩いてきた方が面白いのではないか。長々と下るよりは長々と登ってきた方が心理的な疲労も少なそうだ(肉体的には逆かもしれないが)。朝寝坊した休日、予定の山を諦め、では例の矢倉岳をと家を出た。


本日の出発点である山北駅に降りたのはほぼ昼時だった。今では無人駅の駅前は小さなロータリーがあるものの、日曜だからか閑散としている。定休日だらけでこれまた人影のない商店街を抜けて、開花の季節には見事だろう桜の大木が並ぶ御殿場線沿線を辿る。視界が開けると行く手近くに顕著な山が二つ隣り合う。その合間に洒水の滝が落ちている。
滝見物に来たのはこれで二度目だが、最初はいつだったかすでに記憶があいまいだ。車で来てちょっと立ち寄っただけだからか、滝の大きさに驚いただけで終わってしまっている。駅から歩くと初回ではわからなかった滝の意外性が感じられる。なにせ商店街から一時間かからない場所で、山奥に落ちる豪勢な滝を見上げるのだから。新緑のなかを落ちる滝は新鮮だった。観光客でごったがえしているわけでもないのがまたよかった。
滝の手前にある最勝寺に立ち寄ってみた。幅広の石段を上がると、広い境内の向こうで、お地蔵様たちが左右に広がってカラフルな風車を回している。異様といってよい光景だ。さらさらという回転音があちこちから響く。水子地蔵かと思ったが、立て札によれば受験支援のお地蔵様だという。詳しくは見なかったが、これだけの石仏が集まっているのはなにか別な謂われがありそうだ。
最勝寺
最勝寺


矢倉岳に向かうには、まずは行路途中にある”21世紀の森”なる場所を目指すことになる。林業や森林について学ぶ県立の施設ということだ。滝近辺からは駅から歩いてくると最勝寺手前で”森”方面の林道が分岐していて、標識も出ている。そちらに入ったのは1時だった。
林道最初のカーブを曲がると、洒水の滝仮展望台なるものがある。かつて滝の足下に行けない時期があったときにしつらえられたものだろうか。次のカーブ地点では、よく見ると山腹の防護壁が破壊されている。見上げてみれば沢筋に植林が散乱している。どうやら小規模な山崩れがあったらしい。高度を稼ぐと植林帯が切れ、広々とした西丹沢が彼方に浮かぶ。わりと近くに草原の頂稜を伸ばすのは大野山だろうか。その左手手前の山腹では山の緑に埋もれて洒水の滝が小さく落ちている。ふと自分の足下を見ると、背中に二本の線がある茶色の蛇、60センチくらいのが鎌首をもたげて横目で様子を窺っている。カメラを向けて撮る振りをすると、するすると草むらに逃げ込んだ。
シャガの咲く道
シャガの咲く道
周囲は檜と竹の混合林になった。傍らにはもう使われていないように見える作業小屋が点在している。車道から山道に変わる。道筋はよく踏まれていて安心感を与えるものだが、山腹を行くようになって足下から落ちる斜面を窺ってみると、かなり急だ。そのせいか、高みから落ちてくる沢筋に出会ってみると、小規模な山崩れ状態になっていた。この沢を越すと今まで頭上をところどころで覆っていた竹が消えた。沢筋を越せないのだ。次に出てきた沢筋はさらに崩壊していた。このあたりも山腹斜面はかなりの斜度だ。沢筋でなくでも手が届く距離で大きな木の根が露出している場所がいくつかあり、岩盤が目に入る。よく見ると崩れやすい礫岩だ。なるほど沢筋が荒れるわけだ。
よく踏まれている道
よく踏まれている道
右手下方で騒がしい音が始終聞こえている。どうやら洒水の滝の落下音のようだ。山腹斜面が緩やかになると、ようやく21世紀の森の端に到達する。大きな看板があり、傍らには標識が立って、左上に向かえばテレビ塔、まっすぐ林道のようなものを行けばセントラル広場とある。なぜ素直に中央広場と命名しなかったか、と思える広場に出ることができれば、あとは矢倉岳まで稜線歩きのはずだ。なので標識に従って林道を辿りだしたのだったが、これがなかなか高度を上げず、右手の谷間を見下ろし対岸の山を見上げを繰り返させるばかりで延々と歩かされる。あとから考えるに、テレビ塔に出て、そこから広場を目指した方が早く到着できた気がする。
林道の行く手上空には三角錐の小さな山が見えてくる。もしや矢倉岳か、と思ったが、鳥場山という名のコブらしい。まるで登っている気のしない道が左手に回り込むところで、今まで聞こえていた洒水の滝の音らしきが途絶え、聞こえるのは鳥の声くらいになった。山に浸っている気分が強まってくる。雑木の枝が差し渡すようになったのをくぐりぬけるとすぐ舗装道に出た。左に行けば目指す広場だとある。正面に高まる稜線の上あたりがそれではないかと思うのだが、わからないところを無理に登っても疲労と所要時間が増えるだけだろう。ともあれ歩きづめでここまで来たので少々疲れた。腰を下ろして簡単な食事を摂ろう。


休憩後、おとなしく舗装道を歩いていく。右手にショートカットするよう踏み跡が延びていて、傍らには行き先を示す標識もある。これに入ると左右に延びる山道に出る。標識はない。このあたりは生産の森というらしく、檜の採種場と記された標識が立っていた。昼過ぎまでは好天だった空も今では雲がかなり広がり、尾根上に吹き付けてくる風はいやに冷たく、長袖Tシャツだけの身では立ち止まっていると寒い。早く歩き出さなくては。どちらに歩いても踏み跡はまずは下がるようだが、だいたい右の方に稜線が高まっている。きっと右が正しい方向だ。
21世紀の森の檜採種場付近、奥はおそらく矢倉岳
21世紀の森の檜採種場付近、奥はおそらく矢倉岳
シロバナノヘビイチゴ
シロバナノヘビイチゴ、檜採種場にて
歩くにつれて踏み跡は徐々に明瞭になり、檜の森が雑木林に変わってしばらくで、セントラル広場に出た。差し渡す広葉樹の枝が明るい。背後に立ち並ぶ針葉樹の沈んだ静けさと好対照だ。案内板があり、足柄峠まで2時間とある。矢倉岳までならその半分くらいだろう。ここですでに3時20分、晩秋や冬ならば下山すべき時刻だが、本日は夏至まであと一ヶ月と10日の時期で日は長い。矢倉岳を越しても明るいうちに人間の居住圏に出られるだろう。
セントラル広場の一角
セントラル広場の一角
さて稜線歩きだとばかりに、簡易舗装された道のりを上がり出す。とはいえこれまた失敗で、じつは時間節約の巻き道があったのだった。慌てていて案内が目に入らなかったらしい。辿っているのは林業作業の軽トラックしか登ってこないだろうと思っているような急勾配で、それはそれはきつい。このルートは二度と辿らないぞと心のなかでぶつぶつ言っているうちにこのコブの最高点に着く。登りからすると意外にもわりと平坦な土地が広がっており、説明版があってこのあたりは戦国時代の山城跡だと書いてある。それはそれは。しかし遺構が何なのかよくわからない。大きく三段くらいの階段状に盛られた部分が城跡の一部なのだろうか。前後左右に首を振りつつ歩を進める。
これを下ると巻き道が右から合流してくるわけである。知らずに登った身としてはさすがにがっかりだった。さてここからはわりとアップダウンのない道のりを行く。左手、谷間を隔てて矢倉岳が木々の幹の合間から窺える。右手下の谷間からは意外にも流水が近づいてきている。これを渡って少々で、ガイドマップ上で清水越え、現地標識で山伏平とある分岐に着いた。右に下れば足柄峠、左に登れば矢倉岳だ。猫の額ほどの平地で足を止め、ようやくよく知られたコースに出られた安堵感に浸る。ここから先は時間が読めるコースだ。
足柄峠から響いてくるエンジン音を背後に、本日最後の登りにかかる。すでに日が陰って久しく、時刻も夕方4時をまわり、背後に開ける御殿場市街地を俯瞰できても、その上に立つべき富士山は雲の中でどのあたりがてっぺんなのやら見当もつかない。ようやく着いた矢倉岳山頂は、誰もいなかった。もう4時半近くなのだから当然だろう。目の前に広がる北からの箱根の眺めを独り占めだ。広い草原の真ん中に腰を下ろし、バーナーで湯を沸かしてコーヒーを淹れる。ついでに洒水の滝近くの農産物直売所で買った清実オレンジをザックから取り出す。先日の塔ノ峰に登った折りに知って好きになった果物だ。あまりに詰め込んでいたので変形している。だが皮を剥いて食べてみると先日同様に甘くて美味しかった。
山頂から夕暮れの箱根連山(明神ヶ岳、神山、金時山)
山頂から夕暮れの箱根連山(明神ヶ岳神山金時山
いまや5時前だ。なので下山ルートは予定通り本村へ下る最短のものにした。最短だけあって傾斜は急だ。疲れた脚には堪える。山道を終えて簡易舗装道に出ても傾斜はあいかわらず急だった。
人の住む家を目にするようになってやっと斜度が緩んだ。6時近くなので駅に向かう終バスはすでに出てしまっているだろうと思いつつ、念のため停留所に向かって時刻を確かめると、あと15分ほどで来るのがある。ああよかった。関本まで一時間半だか歩かなければならないと思っていた。すぐ脇の自販機で清涼飲料水を買い、集落の下を流れる川端に出て矢倉岳を見上げつつ飲んだ。
本村バス停近くの内川畔から見上げる矢倉岳
本村バス停近くの内川畔から見上げる矢倉岳
バスの乗客は終点まで自分一人だった。日の長い季節だろうと夕暮れはやってくる。車窓から振り返る矢倉岳は、隣の箱根連山同様、徐々に陰が濃くなってきていた。
2012/5/13

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