明星ヶ岳の下りから仰ぐ明神ヶ岳

明神ヶ岳

箱根は言うまでもなく大観光地だ。静かな山が好きな身としては避けて通っても不思議ではないのだが、それでもときおり出かけたくなる。カルデラ火山の構造は見飽きないし、子供のころから家族や友人とともに、または一人で何度も訪れている懐かしさもあるからだ。「いまさら××の山なんて」という言い方をするならば箱根を卒業できていないことになるかもしれないが、無理に卒業することもないだろう。
外輪山の最高峰は金時山で、茶屋が二軒あることもあっていつも賑わっているらしい。かつて正月に上がったことがあるが、山頂は雪が積もっていながらも年初の休みのせいか人が多く、さすが人気の山だと思わせられた。そのときは金時山から外輪山の稜線を明神ヶ岳(みょうじんがたけ)を経て明星ヶ岳(みょうじょうがたけ)まで縦走し強羅に出たのだが、明神ヶ岳までは見晴らしがよくて結構なものの山稜が屈曲しているせいでなかなか着かず、やっと着いた明神ヶ岳山頂はここもまた見晴らしがよいもののそれまでさんざん眺望を堪能してきたため有り難みを感じずに終わってしまった。
3年前に神山を訪れて以来の箱根は、長い距離を歩きたいがために、その明神ヶ岳を登ることにした。この山については東麓の最乗寺( 道了尊 )から碓井道と呼ばれた最古の東海道を歩くものがよくガイドされる。この道は未踏であり惹かれるものもあるのだが、今回は箱根の塔ノ沢から塔ノ峰に上がり、明星ヶ岳を経て明神ヶ岳に達するという計画を考えてみた。いずれにせよ明神ヶ岳を最終目標地にしているので山頂での眺めの良さは前回に比べて強く印象に残るに違いない。全体を通してみると徐々に標高を上げていくので鍛錬にもなる。


こうして10月のとある日曜の朝、箱根登山鉄道塔ノ沢駅に下り立ったわけなのだが、そのときすでに10時をまわっていた。「箱根だから」とのんびり家を出たせいである。しかも駅構内には”深沢銭洗弁天”というものまであって寄り道せざるを得ず、なかなか出発させてくれない。境内に入ってみるとあちこちに山からの水が引かれており、そこここに秋の花が咲きこぼれていた。後に調べてみると、この弁天様は近代になってからの建立だそうだ。
ようやく塔ノ沢駅を出たのは11時近くになってからだった。民家の裏を抜け、立派な山門をくぐって阿弥陀寺というお寺の参道を上がっていく。傾斜がやや急なので蒸し暑い本日は一汗かいてしまう。この寺は深沢弁天を上回る由緒を持つようだが、今見るとおりの立派なものになったのは現住職の努力があってのようだ。琵琶の名手であり、書家でもいらっしゃる。本堂に座して毛筆を運ぶ姿は落ち着いたもので、機会があったら法話を伺ってみたいと思わせられる。ここもまた人の足を引き留めるに足る場所で、山に登る時刻はさらに遅くなっていくのだった。
阿弥陀寺本堂
阿弥陀寺
寺の裏から始まる山道に入ったのは11時も15分を過ぎてからだった。まずは細かくジグザグを切る急な登りだ。海に近い地域柄で照葉樹の灌木が目立ち、照り返す光は重たげだ。ほんとうに登っているのかと疑わしく思えるほど水平に山腹を横切り、尾根筋かと思えるものを登っていく。風がなく10月とは思えないほど蒸し暑く、手に触れる常緑樹の葉の冷たさが心地よい。盛んに流れ出る汗をぬぐいつつ、ちょうど正午に塔ノ峰に着いた。樹林に囲まれて眺めはないが、それ以上に平坦な山頂部がどう考えても「塔」の名にそぐわない。山名の由来は仏舎利を納めた宝塔が阿弥陀寺上方の岩屋で見つかったことである旨、山頂標識も兼ねた案内板に書かれていた。


小憩後、緩やかな山道を軽快に下っていくとすぐに舗装林道に出る。山腹をからんで続く林道をてくてく行くと、左手にたったいま越えてきた塔ノ峰が地味な姿を見せている。車の往来がなく余計な気ぜわしさを感じないで済んだが、それでも送電線が宙に漂い、向かいの山腹には人工物が這い上がっているのを見るにつけ、山深さとは無縁と思うのだった。
車道に出て30分ほどで明星ヶ岳への登り口に着いた。のっけからまた急な登りで、登り着いたと思ったら下ってまた登り返すというのを繰り返す。予想以上の鍛錬で、もう少しのんびりした外輪山稜線漫歩を期待していたが見通しが甘かったらしい。しかし眺めがないわけではない。右手、相模平野側の眺めが開けて右端に大山を配した丹沢山塊のパノラマが展開するかと思えば、左手に箱根の(後期)中央火口丘群が突如として間近に現れたりもする。 かと思えば高さが3mはあるハコネダケが左右両側を遮りもする。
明星ヶ岳南方から箱根中央火口丘群(左から二子山、駒ヶ岳、神山)
明星ヶ岳南方から箱根中央火口丘群(左から二子山、駒ヶ岳、神山。二子山手前の平らな山は浅間山)
そのササの回廊を抜けると、ちょっとした鞍部の向こうに明星ヶ岳を仰ぐ。ここからだとごつごつとしてやや無骨だ。左手前方には神山や駒ヶ岳がすっきりと姿を現し、その手前にはかつて新規外輪山の一部とされていた(いまでは前期中央火口丘と呼ばれる)浅間山が平坦な稜線を延ばしている。
南の鞍部から明星ヶ岳
南の鞍部から明星ヶ岳
鞍部を越えて登っていくと、不動明王のように見える小振りな神像に出会う。お不動様にしては表情が柔和で、「私がついているから安心して登れ」とでも言われているかのようだ。これが地図上に”箱根御嶽山八海大頭羅神主”とされているものであるなら名前がやや仰々しいが、本人はそんなことにはいたって無頓着のようで、その親しげな様子に足を止めて見入ってしまう。しばらくすると今度は大型の石像が鎮座しているのに出会う。こちらは「知恵を授けてくれる」”刀利天宮”という神様で、勉強が専門であるせいか表情がかなりいかめしい。なぜ山中にいらっしゃるのか分からないが、楽に知恵は手に入らないということを身をもって教えているのかもしれない。
明星ヶ岳には午もかなり過ぎた1時半に着いた。平坦な頂稜が続くなかの一角を刈り払いして祠を置いただけという感じのまったく山頂らしくない山頂で、金時山から明神ヶ岳を経て初めて達したときはかなり失望させられたものだが、今回はわかっているだけ気楽なもので、とくに長居をせず明神ヶ岳に向かった。
明星ヶ岳の頂稜を行く
明星ヶ岳の頂稜を行く
山頂とされているところはともかく明星ヶ岳の頂稜を行く道は天空の散歩道で心地よい。左手に低い灌木、右手に山の斜面で遠望が遮られてはいるものの、見上げる空は大きい。だが明星ヶ岳の頂稜末端に来て空間が一気に開放され、さらなる広がりを見せる。それに比べればいままでの眺めは窮屈なものだったのだが、そんなことは思い浮かびもしない。なにせ真正面の不動の山を感嘆するだけで手一杯だからだ。それが明神ヶ岳だった。明星ヶ岳以上に長い頂稜から幅広の斜面を左斜めに落としながら外輪山に繋がる斜面は広く優しげで、重厚感では左手に丸く頭をもたげる金時山に優っている。神山を含む中央火口丘のいずれにも引けを取らない、すばらしい山容だ。
明星ヶ岳頂稜末端から明神ヶ岳
明星ヶ岳頂稜末端から明神ヶ岳
その偉容を徐々に見上げるようになって着くのは明星ヶ岳との鞍部だ。宮城野に下る道が左に分岐している。ここから本日目標の山へと登り返すのだが、なだらかに見えた斜面を行くものと思わせておいて岩混じりの歩きにくい、暗く曲折のある山道に入らさせられる。侮りがたし明神ヶ岳というところだ。それでも徐々に斜度が緩みだし、稜線の明るさも戻ってくる。そろそろかと思わせられること暫しで、植生が広く失われた山頂に着いた。
明神ヶ岳頂稜より金時山と富士山を望む
明神ヶ岳頂稜より金時山と富士山を望む
すでに午後も3時だが少なからぬハイカーがいる。おそらくそれもそのはず、眺望は掛け値なしによい。山腹は足下から火口原へと真っ直ぐに落ち、その先で再び大地が盛り返して神山、駒ヶ岳を突き上げる。彼我のあいだに遮るものがないので余計に目前の山々が大きい。とくに神山は肉感的と言ってもよいくらいだ。その右手奥には向かい側の箱根外輪山が低く伸びているのだが、よく見ると稜線上に愛鷹連峰が顔を出している。富士山の手前には金時山が黒くシルエットになり、猪鼻(いのはな)山とも呼ばれる異様な姿が余計に異様だ。
明神ヶ岳頂稜より丹沢山塊(奥)を望む。右端は大山
明神ヶ岳頂稜より丹沢山塊(奥)を望む。右端は大山
本日は軽装できたので湯沸かし道具が一切ない。できればやはり熱いコーヒーでも淹れて景色に浸りたいところだがないものはしかたない。ペットボトル飲料など飲みつつぐずぐずしているうちに、風もだいぶ冷たくなってきた。そろそろ下ることにしよう。当初は明星ヶ岳との鞍部に戻って下ろうと思っていたが、それでは明神ヶ岳を南半分しか味わえないことになる。ガイドブックによれば明神ヶ岳の頂稜を北にたどって火打石岳との鞍部に下ると、エスケープルートに使える下り道が分岐しており、短時間で生活空間に出るらしい。10月の日の長さと地図上の高低感、距離感から行けるものと考え、そのコースをたどることにした(*1) 。
*1 2016年現在では、立ち入り禁止の看板が出ている模様。
明神ヶ岳頂稜は明星ヶ岳のもの以上に長い。意外と右手、相模平野側の眺めはよくなく、夾雑物がなくなるのはようやく頂稜を下りだしたあたりだ。ここでは平野部はもちろんのこと丹沢連山までが一望にできる。それはよいのだが火打石岳との鞍部までが長く感じる。実際には半時ほどで着いたのだが、やはり日の光の傾き加減と競争したので焦りが出たのだろう。この鞍部だが標識はない。地図で地形を確認し、かつ踏み跡ほどの幅で抉れたものが笹藪の中を左手に下って行っていることからそれとわかる。ヤブがかぶっているので初めはおっかなびっくりだが、入ってみるとすぐに歩きやすい道になる。足跡も多くよく歩かれているようだ。


この下山路では車道に出るまで涸れた沢を計三度渡った。最初のは沢を下っていきそうになった。二つ目を越すと植林帯の中を行くようになり、最後のでは堰堤を右に見る。そこからすぐ別荘地らしき建物が見え始める。火打石岳との鞍部から半時強、車道に出たのは4時半だった。まだ山腹にいながら日はかなり傾いており、宮城野へと下っていく途中で箱根外輪山を見上げると夕日が当たっているのは稜線部分のみだった。下りきって交通量の多い車道に出るころにはその光も消えた。
宮城野の日帰り温泉で一浴して外に出てみるとすっかり夜になっていた。強羅に出ようと車道をたどっていったところ照明のない真っ暗な道を登ることになって怖くなり、途中で引き返して彫刻の森の美術館近くにある駅へと向かった。回り道はする、坂道は上る、駅までの距離はあるで、風呂に入ったというのにまた一汗かいてしまったのだった。
2006/10/15

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