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戦後補償講座 法律編

第6回 『戦後補償裁判と時間の壁』 パート2 除斥

1 「除斥」とは何か

 除斥とは、一定の固定した期間が経過すると、もはやその権利を行使できなくなる(あるいは権利が消滅する、裁判で訴えることができなくなる)とする制度であると説明されるのが一般です。除斥は、時効とは異なる期間の制度とされています。時効との違いは、@中断がないこと(時効は権利の行使とか、債務の承認など、法律の定める一定の事実があると、振り出しに戻って、時効期間が新たに進行します。この一定の事実を「中断事由」といいます)A当事者が援用しなくても、裁判所は、除斥の効果を認めることができることなどがよく挙げられています。

2 除斥かどうかは、解釈による。

 ところで、民法には「除斥」「除斥期間」と明文で定める規定はありません。したがって、法律にある期間が定められているとき、それが、時効なのか、除斥なのかは、あくまで解釈(,裁判においては、裁判官の判断)によって決められます。さらに、除斥の概念自体も「権利の行使期間」とするもの、「権利の存続期間」とするもの、「訴えの制限期間」とするものなど諸説あり、判例上の除斥概念も各規定ごとに違って解釈されています。また、除斥には中断や援用が不要であるとされてきましたが、最近ではその点についても争いがあります。
 要するに、除斥とは何か、その規定を除斥と解釈すべきかどうか、除斥と解釈するとしても、いかなる効果を与えるのかは、すべて法律の解釈により定まるのです。

3 不法行為と時効・除斥(民法724条)

 戦後補償裁判では、国や企業に対して、不法行為に基づく損害賠償を求めています(民法709条、715条)。不法行為について民法は、「不法行為に基づく損害賠償の請求権は、被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知った時から3年間行使しないときは、時効によって消滅する。不法行為の時から20年を経過したときも、同様とする。」(民法724条)と規定しています。前段の「3年」が時効期間であることは争いがありませんが、後段の「20年」が時効なのか、除斥なのかについては争いがありました。

4 最高裁平成元年判決

 平成元年(1989年)12月21日、最高裁は、民法724条後段の20年期間は、「消滅時効」ではなく、一定の時の経過によって法律関係を確定させるための請求権の存続期間を画一的に定めた「除斥」と解すべきであるとの判決を出しました。最高裁は、除斥の性質上、援用は必要ではなく、裁判所は当事者の主張がなくても、20年の期間の経過により損害賠償請求権が消滅したと判断すべきであり、従って、(援用が)信義則違反、権利濫用であるとの主張は、主張自体失当(主張すること自体がはじめから誤り)として排斥しました。
 この最高裁判決に対しては、かつて例を見ないほど厳しい学説の批判が集中しました。批判に共通することは、このような硬直的な除斥期間説は、当然に救済されるべき被害者の権利を言われなく一律機械的に切り捨ててしまい事案に応じた柔軟な解決を不可能にするもので、一方で被害者に過酷な結果を強いるとともに、他方で加害者の義務を不当に免脱させて、法の正義と公平の理念に反する結果を招来するという点にあります。

5 画期的な最高裁平成10年判決

 生後5ヶ月のときに受けた予防接種により重い種痘後脳炎を発症した上告人の両親が、発症後32年目に、上告人の後見人(法定代理人)となって弁護士に訴訟委任をした事案で、1998年6月12日、最高裁は、『被害者は、およそ権利行使が不可能であるのに、単に20年が経過したということのみをもって一切の権利行使が許されなくなる反面、心神喪失の原因を与えた加害者は、20年の経過によって、損害賠償義務を免れる結果となり、著しく正義・公平の理念に反するものと言わざるを得ない。』として、このような場合には、条理に基づき民法724条後段の効果を制限すべきである』と判断しました。
 最高裁自らが、批判を受け入れ硬直した法律の運用の誤りを修正し、正義・公平のもとに、加害者側の事情と被害者側の事情について実質的な考量を行い、条理に基づき除斥の例外を認める道を開いたのです。

6 戦後補償裁判と除斥

 2001年7月12日、劉連仁訴訟において東京地方裁判所は、平成10年最高裁判決以後、初めて除斥の適用制限を認める判断を下しました。劉連仁判決に続き、2002年4月26日福岡地方裁判所強制連行強制労働事件判決、2003年9月29日東京地方裁判所遺棄毒ガス等1次訴訟判決が、相次いで当該事案の内容や特殊性を実質的に判断して、正義・公平の観点から、条理に基づき除斥の適用を制限する判断を下しました。
 時を同じくして、除斥と並んで、当時、最大の難関と思われた国家無答責を否定する判決が相次ぐようになりました(2003年1月15日大江山強制連行事件京都地裁判決、同年3月11日強制連行強制労働2次東京地裁判決、同年7月22日アジア太平洋戦争韓国人犠牲者訴訟東京高裁判決)。しかし、国家無答責の壁が崩れた先に聳えていたのは、一度は克服したかに思えた時の壁・除斥の壁でした。2003年9月29日の毒ガス1次判決以後、除斥についての勝訴判決は現在まででていません。

7 時の壁は誰のためにあるのか

 除斥の適用を認め原告等の請求を棄却する判決は、すべて「法律関係の速やかな確定」が何よりも優先することを理由とします。しかし、戦後補償裁判で見るとき、「法律関係の速やかな確定」の要請とは、具体的に何を指しているのでしょうか。戦争中日本軍、日本企業が中国の国民に対して行なった数々の虐殺事件や慰安婦、強制連行、人体実権、毒ガスの使用と遺棄など人道に反する罪の数々について、未だに中国の人たちがこだわり続けるのは何故か。彼等の受けた傷は未だに癒されていません。癒されるどころか度重なる日本政府の不誠実な言動によって日々新たに傷口を広げています。事件の解決を長引かせ、法律関係の速やかな確定を阻んでいるのは一体誰なのか。終戦前後に国家を挙げて徹底的な証拠隠滅を行い、事実を封印してきたのは誰なのか。
 不法行為をめぐる法律関係の速やかな確定とは、加害者が事実を認め、すみやかに被害者に対して賠償義務を果たすことによって、本来実現されるべきではないでしょうか。 事情がどうであれ、時が経てば被害者による責任追及の道を封じて加害者(国)を保護することが、果たして法の要請する法律関係の安定といえるのでしょうか。
 裁判所には、かかる事実を踏まえ、正義公平にかなう判断をなすべき使命があります。

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