”六華寮”(りっかりょう) |
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六花寮の正面写真は、この一枚しかない。3年間をこの六花寮で過ごした。
寮は5つの棟に分かれていた。
海側に向かって「西寮」そして、「南寮」「中寮」「北寮」、そして、「東寮」。
1年の新寮生は、まず西寮からスタートするようであった。6人部屋だったと思うが、何故か高田市(上越市)周りの者が多かったと記憶している。
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まず、食券の確保
寮には食堂があり、3食付きであった。なにわともあれ、この食事を確保するのが最優先であった。
「朝食」「昼食」「夕食」の3種類あり、短冊のような紙片で色で区別されていた。1か月分を全て確保出来ればとにかく安心出来たが、そんなことはまずなかった。 |
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インキンタムシの共同風呂
寮には共同風呂があった。新入生の間では「あの男とは一緒に入るなよ!」と言われていた上級生がいた。空手部だという。確かに、坊主狩りで目つきの鋭い先輩であった。生来生意気で怖いものしらず、気にもしなかったが、共同風呂で移されであろうこの病気にはまいった。 |
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待ちに待った「現金書留」
あの当時、皆貧しかった。4人兄弟の次男、長兄は金沢大学3年、妹・弟はまだ高校生、中学生であった。苦しかったと思う。
多分、仕送りはまず長兄へ。「書留」などの郵便物があると、寮の玄関脇にある事務室から呼び出しがかかる。この呼び出しはとにかく嬉しかった。 |
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「洗面うどん」
皆洗面に使うのはアルマイトの洗面器であった。ただ、この洗面器は、顔を洗うだけの者ではなかった。
「西寮と南、中、北寮」の間に洗面場所があり、「ガス設備」もあった。
洗面器はうどんをうでるための容器でもあった。
洗面うどんと呼んでいた。
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煙草とドイツ語辞書
煙草をすい始めたのは、この学生時代からである。学生になったら吸う、当たり前と思っていた。当時はほとんどの人は「しんせい」であった。当時苦労したのは、まだ煙草に慣れていないためか、食事の前に吸うと食欲が出ないことであった。
現在のように自動販売機もなく、夜遅くまで仲間とダベッテいて煙草が切れてしまうと悲劇であった。溜まった吸殻を崩し、ドイツ語辞書の使用しないページを破り、巻きつけて吸っていたものである。 |
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【自伝(六花寮)】 |
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