母のガン(癌)闘病記・脊髄圧迫骨折と介護

今年(2004)、米寿の祝いをする歳になった母の胃癌体験記です。
2005年 母の脊髄圧迫骨折と介護記録
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妻の奇跡のがん闘病記 トツプHome
奇跡の免疫力、ストレスと免疫力と家族力家族力を科学する。
自然力でがんに勝つ方法は免疫力を回復または上げることです。(八ヶ条)
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2004/2/27母の闘病記 早期の胃癌
私の母88歳は2003/11ごろの老人検査で早期の胃癌の疑いでかかりつけの町医者で3度の
胃カメラ検査、細胞診によりほぼ胃癌であるという診断でがんセンターへ紹介されました。
母は妻と同じ煎じエキスを飲むように私が薦めたのですぐにがんであることに気がつきました
ので比較的すんなり言うとおりにしてくれたので助かりました。
ただ私達の経験で妻の予防用煎じエキスを少し濃い目程度でなんとかなるかなと多少過信して
妻の分を作るときに2倍の濃度を作って半分にすればいいとがんセンターの検査日まで続けて
いたのですが、がんセンターの細胞診でまだ癌細胞があることがハッキリしたので反省して
本格的に妻の分とは別に煎じエキスを作りました。
その時の組み合わせはアガリクス30gメシマコブ10gキャッツクロー10〜5g
☆☆☆5〜10gを煎じて飲ませていました。キャッックロウーと☆☆☆の量に変動
があったのはブラジルからの入荷が止まってしまい、在庫でなんとか長く使えるようにと
考えていたからです。
2004/2/23に入院2004/2/24に内視鏡による切除2004/2/27退院という
超スピードの経過です。
私が考えていたことは進行をくい止めること、うまくすれば縮小していて内視鏡で簡単
にとれるようにすることでしたが、ほぼ思惑通りでした。
あまりにも早い退院でまだ医師からの詳細を聞いていないのですが、婦長さんも次の
検診のときでいいでしょうということで本日2004/2/27退院して今この記録を書いて
いるところです。
2004/3/2の配合 アガリクス20g メシマコブ10g ☆☆☆☆☆☆10g☆☆☆10g
ボケの改善のため☆☆☆☆☆☆を加えました、キャッックローがないのは在庫が
ないから。
2004/4/13
本日(今胃カメラ検査が終わり、自宅でこの闘病記を書いています)胃カメラの検査の日で
朝8時半に病院に着きすぐに胃カメラ検査が始まり、完治したと言うことで次の検診日を予約
しましたが、先生からの話によると治っているので次の検診に本人が来てもこなくてもよい
と言うことを言われたようです。
本人は最近がんセンターの薬を朝晩の2回飲べばよいのに3回飲んでしまうので薬がなくなって
しまうのですが老人ボケなので困ってしまいます。本人が薬を飲みたいと言うことで薬を出して
もらっているのですが、老人は薬を飲んでいれば安心しているところがあるのです。
この薬をとりあえず出してもらっているので次の検診日が必要になっているわけです。
今回は弱い薬にしてもらったので単なる胃薬のようなものと考えています。
今までの配合はアガリクス20g メシマコブ10g ☆☆☆☆☆☆10g☆☆☆5g
でしたが次からはアガリクス5g メシマコブ5g ☆☆☆☆☆☆10g☆☆☆5gにしたいと思って
います。キヤッツクローはあいかわらずブラジルから入荷していないので加えていません。
ブラジルの人はのんびりしているらしく思うように手に入らないので困っています。
2004/5/6
診察の説明で薬は飲まなくて良いとのことですが最初に出してもらった薬を飲むと便秘しない
ということで本人の希望で出してもらうことにしました。先生の話によると単なる胃薬でまれに
副作用で軟便になるということで本人の希望だからと苦笑していました。
今回早く治ったので今度は腸の検査をしたいと言い出して今度は腸カメラの予約をしてきました。
下剤を大量に飲ますことになりますので大変になります。
年寄りというのは一度言い出すと頑固で検査するのだときかないのです。
アガリクス10g☆☆☆☆☆☆5gキヤッツクロー5g☆☆☆5gシイタケ5gメシマコブ5g
2004/5/24
本日大腸検査でした。
私が前日に飲む下剤と前々日に飲む下剤を間違えてしまい。日曜日にもう一度下剤
をもらいに病院へ行ったりで大変でした。
幸い検査の結果は大腸が特別長いくらいで異常はないということでした。
病院への付き添いは疲れますよね。
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免疫というのは単に食品を食べたり、薬を飲べば済むというものではありません。
免疫力を上げるためには家族の笑顔、家族が毎日作ってくれる、運んでくれる、
家族がキノコをノミで砕く姿、粉にして一つ一つ袋にれる姿、土瓶の前で一生懸命
煎じている姿、これらすべての行為が免疫力を上げるためには有効なのです。
家族一丸になって一緒に闘う姿勢が最も大切なのです。免疫というものは不思議で
これらすべての要素がうまく回転はじめるとある日突然奇跡が起きるように思えます。
家族も本人もあきらめずに最後の最後まで闘う気持ち持ち続けることが大切です。
ある日本女性が米国でがんになって全身に転移してせめて死ぬときは日本でといって
帰国して余生を好きなことをしながら生活していたら不思議にもがんが消滅して
しまったと言う例をTVで見たことがあります。このように何もしなくても環境が
変わり周りの人たちとおだやかに暮らしているたけでも
奇跡の起きるときは起きるのです。
私の知り合いの女性はルルドの奇跡の泉につかっただけでも良くなったと言って
いました。その人の信仰心の深さにはあたまが下がるがでも何でもいいのです、
信じて今、選択した手段を一生懸命になればもしかして奇跡が起こるかも
しれないし起こることを信じたい。
人間は本来がんと闘う力を持っているのです、食べ物はその働きが少し弱っている
免疫へ手助けをして元気になってもらうだけです。
ストレスと免疫力と家族力(愛情)
ストレスは、がんの原因になる。患者の立場から考えると自分が本当はがんでないか
と悩んでいることがかなりのストレスになると思います。適切な治療を行うには
隠し通すのは不可能ですし治療経過から本心はわかっていると思います、
わかりたくないという心理も働いています。
それでもあえて隠そうとするならばストレスは益々過剰になってしまい、それが悪化
させる原因にもなる。本当のことを知ったほうがそれ以上悩まなくていいので
かえって知ったほうが良いケースが多いと言われています。
ただし本当のことを知ったことにより、より落ち込んでしまうタイプの人もいます、
その患者の性格にもよるわけですが、このどん底から救えるのは結局家族力しかない
のです。このときに夫婦、家族の結びつきが普段からどの程度かが重要です。
本当のことを言っても家族の信頼関係の薄いひとはまだまだ隠していると疑います
からストレスの解消にはなりません。信頼関係の強い家族なら現況を冷静に受け止め
て信じ合い一緒に闘うぞという気力が最後まであきらめないで闘う気力に
転化できるのです。
免疫力とは=【免疫細胞の活性+プラス思考+家族力+食べ物】
一般的に薬物療法、放射線療法は免疫力にダメージを与えます。
一部漢方による免疫力の活性と免疫療法の活性が免疫力をアップさせる。
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ストレスががんを悪化させるを科学すると人間はストレスを感じると脳内ホルモンのノルアドレ
ナリンが分泌されるのです。これは非常に毒性の強い物質です。
ノルアドレナリンが多く分泌されると血管が収縮して活性酸素が大量に発生して遺伝子を
傷つけて老化物質を作り出し免疫力を低下させて細胞を癌化させる。本人にとってがんで
ある事実そのものは当然ストレスですし自分の本当の真実を知らせられていないという
不信感はもつとストレスになります。
この状態を継続しているのはノルアドレナリンの大量分泌を促進しているのです。
生命力のある人なら現実を受け入れて平常心を早く取り戻したいと動きます。この早く平常
心を取り戻すには原因の認知という過程がどうしても必要なのです。人間はこれ以上のものが
ないと認識するとそこから立ち直るために脳内ホルモンのセロトニンを分泌しホルモンバランス
を平常に戻すのです。癒し(家族力)を受けると身体の生理作用を「自律神経」がキャッチ!
セロトニン神経が集まる縫線核に直接伝わり、セロトニンを分泌する。
(バナナ、乳製品はセロトニンを多く含む食材である)
だから真実を告知してこれ以上のストレスの持続を断ち切らなければならないのです。
この現実から本人を立ち直らせてよい脳内ホルモンを分泌させるには家族愛しかないので
人間は家族力の力強さを感じると脳内ホルモンのβーエンドルフィンを分泌しますこの代表
として大脳基底核、大脳新皮質の前頭葉、側頭葉、大脳辺縁系に分布するドーパミン
が挙げられる。ドーパミンが分泌することで、意欲的な精神状態を作り、プラスの方向に
作用する。βーエンドルフィンは免疫力を強化し自己治癒力を高めるのです。
自然力
自然環境の中でゆったり過ごすことができればこれも免疫力を上げるのには有効です。
思考方法の回路を変えるには自然環境のなかで脳の中を一度ゆつたり整理するのも
よい方法です。現実を受け入れてこれ以上のことはもうないと居直る余裕がマイナス思考
で頭が凝り固まっていた思考方法をブラス思考に変えるキッカケになります。マイナス思考
からは何もよいことは生まれない。プラス思考からは少なくとも家族愛に感謝できる余裕
が生まれるしβーエンドルフィンは分泌されるようになる。ダメもとで家族一丸になって
闘う思考ができるようにお祈り申し上げます。
(大自然は癒しホルモンのセロトニンを分泌させてβーエンドルフィンを分泌しやすくなる。)
がんに勝つ方法は免疫力を回復または上げることです。(八ヶ条)
(1) 本来自分にある免疫細胞を活性化させる。→免疫力を取り戻す。
(2) 徹底したプラス思考をする。→よい脳内ホルモンの分泌を促進させて
自己治癒力を活性化させる。(本人と家族の強い意志)
(3) 活性化に役立つ食品をとる。→賦活食品を摂取して免疫力の援護
(4) 家族力→よい脳内ホルモンの分泌を促進させて免疫力を活性化させる。
(5) 腸内環境を改善させる。→免疫システムの正常化(便秘、軟便の改善)
免疫生産細胞の80%が腸にあってがんと闘う最前線だ。
(6) ミネラルバランス→腸内環境の改善と免疫力の援護
(7) 自然力→癒しの環境でよい脳内ホルモンを分泌させる。
(8) できないのではなく具体的に行動を起こすのです、頭で考えていても何も始まらない。
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私的見解2005/6/30
がんという病気は治るときは自然になおる病気である。人間は毎日発がん物を摂取したり発がん
環境にさらされていて、健康な人でも毎日がん細胞ができていてそれを健康な肉体と、健康な
精神をもっているひとなら免疫機能が働いて無毒化しています。
その働きが弱ったときがん化するのです。先日のラジオの漢方相談番組で健康で体力のあると
思っていて寝る時間をさいても平気と思っている人にがん患者の発生率が高いとその先生は話して
いました。私もこの見解には同感です、妻も同じタイプでしたから。
この番組ではがんによい漢方の処方をすすめていましたがその中のいくつかは私が更年期のときに
受けていた処方と同じで、気を高める処方でした。生薬も食べ物ですから免疫賦活作用はあります。
今日のテレビ番組で肉腫の少女が奇跡的に治った番組を放映していましたが、なるほどと納得できる
食事内容でした。海藻と人参、ミネラル水と沖縄の伝統料理を中心にしていました。
私のホームページに乗っている食品とほぼ一致しています。
抗がん剤は正常細胞・免疫細胞も破壊する両刃の剣ですのでこれだけでは限界があるのは常識
です、医者まかせだけではなく自分の免疫力の活性化を自分なりに努力しなければ体力が
持ちません。がんと抗がん剤のマイナス要因に打ち勝つには体力の活性化は重要です。
また食品を取る場合一種類しか使わないのは逆効果になることもあります。抗がん剤も含めて
食品も偏らないで組み合わせることが大切なのです、どんなに良いと言われている食品でも必ず
マイナス要因はあります、しかし組み合わせると不思議にマイナス要因が消えてプラスだけに
なるのです。伝統的料理法というのは組み合わせにより、その食品のマイナス要因をプラスにする
ようになっています。免疫力を活性化して健康な免疫細胞の増殖を計ればがんに勝てます、
それが人間の自然治癒力なのです。
余談になりまが沖縄の少女が治った番組のコメンテターが後から抗がん剤が効き始めたのかな
とコメントをいっていましたが、この人の見解は間違っています、がんに勝てたのはこの少女の
努力とお母さんが何がなんでも子供を助けるのだという気力・愛情と考えた食事と沖縄の自然環境
にあふれる気の作用がうまく組み合わせられての勝利です、抗がん剤はそこまで延命させたまで
の力が精一杯だつたと思います。このお母さんも私も医者に余命を宣告されたことにより始められた
がんとの闘いに勝利できたのです、ある意味では医療の限界を宣告されたからできたことなのかも
知れません。
がんに勝つ方程式は数種類の食品の組み合わせと量と愛情と現代医療のバランスです。
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【闘病記録その2】
知人の会社の社長さんが町の検診で肺に影があるということで
がん専門病院で再検査したところ肺がんであることが確認され、
入院手続きをしたそうです。
やはりベットあきまち一ヶ月でその間ろくに眠れない日を過しました。
その人は野菜のモロヘイヤがいいと何かでしったのでしょう、1日3回、
一ヶ月約15万円分のモロヘイヤを食べ続けたそうです、その結果
一ヵ月後の入院検査でガンが一筋の線として確認できるだけの残像
程度に消滅 して、そのまま入院しないで、抗癌剤も飲まず完治した
そうです。もちろん私の知っている限り今も元気に社長業に頑張って
います。
モロヘイヤのヌルヌル成分の多糖体がよかったのでしょう、大量の
野菜を食べ続ける根性はなかなかですね、できるようでできないこ
とです。この例もすなおなチャレンジ精神とワラをもつかむ思いが
奇跡を起こしたのでしょう。
〈教訓〉
たかが食品でも害を起こさない範囲内で沢山食べれば身体
に変化をおこす。 |
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【聞いた話し3】
がんセンターの検査の結果余命3ヶ月と言われたところ次の検査ではがんが消えていたという
奇跡です。誤診したのではという人もいると思いますが、がんと言う病気はこのようなことが
ありうるものと私は思っています。
以前テレビ番組で米国在住の日本人が末期のがんと診断されて、全身に転移して手のほどこし
ようがないと宣告され、本人がどうせ死ぬのなら母国でと日本の病院への紹介状をもって日本
でも検査して同じと宣告されたが、余生を好きなことで静かに暮らそうとしていたところ
がんが消滅してしまいました。がんとはこのようなこともなんら不思議ではない病気なのです。
自分の免疫力が活性化されれば瞬時に消える可能性のある病気なのです。
肝臓、すい臓に10ヶのがんを宣告されて余命3ヶ月のひとががんを消滅させた例もあります。
内臓のがんとてあきらめる事はないのです。奇跡の起きる可能性の高い病気なのです。
妻の場合でもたった2週間で奇跡が起きたのですから。 |
母の介護
2005/1/13
母から一本の電話は入った救急車を呼んでおくれ。
その電話は夕方で私は仕事中だったのでとりあえず妻を行かせ。
救急車を呼んだのですが普段の住まいが2階のためそのまま下ろせないということで、今度は消防車
が来て、消防隊員も含めてたいへんな救助になってしまつた。
母の話しによるとドアを開けたところそのまますべって転んだということです。
病院で検査したところ骨には異常ないという結果でしたが痛がっているのでそのまま入院。
入院したのは良いのですが傷みの関係でしょうが滅茶苦茶の半狂乱状態で、またボケ症状らしい
言動も発して、このままになったら大変なことになると思いました。
とりあえず安静ということで1週間様子を見ていたのですが医師も精密な再検査ということで調べた
ところ圧迫骨折といことで背骨が潰れていました。
ボケ症状は激しくなる一方で毎日幽霊が首を絞めにくるとか、この病院は猛獣を夜になると放し飼い
するとか、男のひとが夜になると叩きにくるとか、もう大変でした。
看護師さんの話しによるとその逆で夜は男の看護師さんが夜勤のとき巡回するのでしようが
その時におばあちゃんに叩かれるそうです。幻覚と現実はごちごちゃになっているのでしよう。
看護師さんにはすまないと思っています。年寄りは昼間よく寝ています、家に居たころも同じで
昼間寝たことはないと言っていました、そして夜眠れないと。
昼間寝て夜眠れなくて幻覚と現実が一緒になって無茶苦茶するようです。
骨折というのは基本的に安静ですが寝たままにすると動けなくなるということで今は早めにリハビリ
をはじめると言うことでコルセットを製作して動かすようにしたのですが本人に気力がなくて自分から
治すという行動になりませんでした。
早く死にたいとかおじいちゃんが毎日迎いにきているとか、幻覚と早く痛みから解放されたいとう意志
が生きる元気につながらないのでこのまま寝たっきりになる可能性が高いと医師からも告げられるし
困りました。
幽霊が毎日出るらしく塩をもってこいと言われましたが病院にまかれても困るので看護師さんに
相談したところ本人がそれで気が納まればいいということで塩を買ってきてお茶碗に少量を入れて
ここにあるからと告げて、本人はそれで納得したのですが、次の日に塩が少ないとか言っていました
がなんとかごまかして効果にはかわらないからと。でもそれから幽霊騒ぎをあまりしなくなりました
から気持ちは治まったようです。
でも長く入院していると序々にですが痛みも軽くなったようで家族の話しも冷静に受け止めるように
なりました。孫からの説得が効いたようで、自分から動かないと家に帰れないよということがわかる
ようになつてから、かなりよくなりました。少なくても何かにつかまれば立てるようになりました。
立っても脊髄に力が加わりますから痛くなって少しだけです。
おしめ
入院してはじめて大人用のおしめを買いに行きました。
病院でも出してはいただけるのですがドラックストアーで購入したほうが安いので自己調達するという
ことでスパーへ向かったのですがチンプンカンプンでもう一度病院へ戻って看護師さんからどのような
タイプが必要なのかを聞いたが実際にお店に行くとどれがそのタイプなのかわかりませんでした。
店員に聞いてもわかる人もいるし、わからない人もいるし、また経過により必要とするタイプもどんどん
かわるし。厚手、薄手、昼用、夜用、サイズ、男用、女用、男女兼用、リハビリ用とどれを選べば
よいのかわからない。
爪の水虫
おばあちゃんは親指の爪に水虫があって痛いらしいのですが最初は病院でもわからないところも
ありましたが水虫といわれてから治療をしたのですが飲み薬が胃があれるということで飲まなかったので
なおらなかったのですが、入院してから自分でいじれないので靴下も履かないでいるのが幸いして
病院でだしていただいた付け薬がよく効いて、少しずつよくなっているように感じられます。
同じような症状をもつている年寄りをかかえていたらこんな方法もあるということで参考になると
思う。
鼻血
鼻の粘膜が弱くよく鼻血を出していたが入院してからは一度見ただけだった。
耳鼻咽喉科の先生の話しでは鼻血をとめる薬をだすとかえってまずいことも想定できるので老人病
とおもってなにもしないほうが良いと言われていました。入院していると鼻血がでないとなると動く
ことが鼻血の原因にもなっているということでしょうか?
2005/12/12
年内一杯でリハビリを終わりそのあとをどうするかですが病院の相談員の方も一人での療養は無理
ということでどこか施設を探すという話をしましたが冬というのは入所希望が多く空きがないとも言われ
ました。
22時ごろ妹より電話があり勤め先の社長さんも介護の経験があって自分で動かないとどうにもならない
よと言われたから明日にでもすぐに役所に出向いて相談したほうがよいと言われました。
2005/12/13
役場へとりあえず相談に行った。
今まで介護サーピスを受けていましたので要介護度ということでこのランクのままでは施設へ入れない
ということです。介護度1以上でなければ施設介護は受けられないということです。この介護度変更に
手続きというのはケアマネージャーさんがするということで、今まで居宅介護支援を☆☆☆ケアーサービス
というところで受けていてその中のケアマネージャーさんがその認定手続きをするとのことです。
11時に役場へ向かい11/30分に☆☆☆ケアーサービスへ電話をかけケアマネージャーさんが13時ごろ
介護保険被保険者証を受け取りにくるという事でこの文章を書いているところです。
ケアマネージャーさんの話しでも空きはないとうことでしたが介護度の変更手続きをしてもらわないと次
の対策へ進められないのでお願いしますということで話しを先へすすめました。
13時ケアマネージャーさんの訪問を受けてこれから本人に合って介護度変更の手続きに入ると同時に
入所施設に連絡を取って次の手続きを進めて欲しいと言われて
15時に入所予定施設の面会の手続きの連絡をいたしました。
早め早めに手続きをとらないと退院日に間に合わないということで12/15の2時に面会の約束をいたしました。
けっ液検査等の入所前の検査を主治医にお願いしなければならないとうことでした。
12/14は施設の休日ということです。
2時からの面会は新規の入所者ができたので11時からということで時間の変更がありました。
仕事中ですが、しかたないです。入所先を速く決めなければならないので。
ただこの日は妻のがんセンターでの定期検査の日にもなっていることを忘れていました。
場所の検索はグーグルの検索機能を使って施設の場所を確かめた。簡単に調べられるので便利です。
2005/12/15
11時10分まえに施設に着いてしばらく介護施設内を見ながら待っていました。
11時に担当の介護師の方と手続きについて話をして介護施設 情報書というものを病院へ持って行き
主治医に書いていただくようにお願いして下さいということでその日の内に病院へ持参しましたが
どこへ提出するのかわからないので看護センターへお願いしました。
また本日仮の介護保険証が郵便で届きました。やはり自分で動くと早めに手続きができると思いました。
病院の相談員まかせでは多分退院までに入所施設を探すのは難しいかもしれませんね。
妻ががんセンターから戻ってきてその当時まだ元気だつた人が1年前に亡くなっていたと聞いてショツク
だったようです。
私もそのひとの状態について多少は聞いていました、毎年抗がん剤での治療を繰り返していると本人から
も聞いていましたが、私の知識では延命であつて治療処置とは違うとしっていましたので、そのときが来た
なという思いです。
私はこのような人はなぜもつと治療の真実に真剣に取り組まないのかわかりませんね。現在抗がん剤で
治療できるのは血液のがんの何種類かだけでそれ以外のがんに効果のある抗がん剤は存在しません。
単なる延命で消極的延命でしかないのです。自分で自分の免疫力を高めて闘うしか方法はありません。
私はそのひとの話しのなかにそのようなことに努力しているらしいことを聞いたことがありませんでしたので
時間の問題と感じていた通りになってしまいました。ご冥福をお祈り申し上げます。
知り合いの患者仲間からその人のことをきいたわけですが、その人も妻の話を聞いてあなたは本当にがん
だったのかとかと言っていたそうです。私ならどんな方法で治癒できたのか詳しく聞き倒しますが。
ジレッタイデスネ。もつと勉強しないと時間の問題ですよと言いたいが言えません。
多くの患者さんは真実から目をそらして真実を知りたくないというのもあるのでしよう。
2005/12/19
今日は母が車椅子からベツトに移るときに車椅子が動いてコンクリートの床にしりもちをついたそうです。
また悪化しなければよいがと、とりあえず看護師には報告しておきました。
病院から介護施設への情報提供書をいただき介護施設の事務所へ置いてきた。
病院での相談員さんの話しでは介護施設をさがしたところ1月過ぎの後半なら入所できる施設が見つかった
と言っていました。
またこの日にこの相談員さんと病室で1時ごろ会う約束になっていたらしいのですが話しの流れのなかで
聞いていたことなので私はすっかり忘れていました。このようなケースもあるので何か文書にして正確に
伝わる方法を考えないと患者家族は一度にいろんなことを考えているのでうまく意志疎通ができないと
思います。患者家族の勝手な思いですが。
介護施設では受け取った情報書を委員会にかけて入所できるかを検討して、さらに担当者が病院へ
本人と面会調査して病院と施設での退院と入所のタイミングを合わせるようなことの流れになると
病院の相談員さんは話していましたが。
また入所して2ヶ月から次の対処について施設と早く決めた方がよいとも言っていました。
私も経済的なこともあって長期の入所は無理なのでとりあえず3ヶ月を区切りにその時点でまた考えようと
思っています。病院の相談員さんの話しでは今度入所予定の施設はリハビリで自立支援目的の施設だと
言っていました。
2005/12/26
入所の許可がおりましたが明日退院して入所ということで私も仕事がありますから大慌てで妹と姉に手伝って
もらうことにしました。
2005/12/27
入所 私は行っていませんので部屋の確認はまだです。
2006/1 母のわがまま
家に帰りたいと言い出してこまってしまいましたがヘルパーさんと相談して一端帰ることにしました。
目的は実際に一人ではどうにもならないことを体験すればわがままを言わなくなるだろうと言うことです。
最初の試みは二女の家に泊まる手配をしましたが当日になって気が変わって、やれやれと思っていたら
また言い出したので長男の家に泊まるように手配しました。長男夫婦は共働きですから昼間は一人で
トイレも行かなければなりません、4日泊まりました。案の定無理して歩いたからコシが痛くなったと言い出し
2度と家に帰るは言わなくなりました。
2006/2
母を家に帰す準備をしなければならないので家に手すり等の改修をしなければならないので相談したところ
介護マネージャーの担当ということで相談しました。種類の体裁を揃えなければならないということでどうする
か今考え中です。なれている工務店にまかせると簡単と言われました。また200000円を限度に9割の補助
があるということです。
20??年 忘れた。
母を引き取ってから介護のために4畳の部屋を改装しました。古い家なので市販のベツトを置くことができない
のと窓がまがってしっかり閉まらないので、私が改造することにしました。
床・天井・壁をすべて撤去して補強して窓は出窓にして水平にしました。
ベットは壁に組み込み必要がなくなったら撤去できる構造にして畳ベットにしました。ベットの下は収納できる
ようにして、床下もすべて収納庫にしました、天井は開閉できる構造にして、高さも今までより高くしました。
ヘタな大工さんよりうまくできました。予算は材料費だけで40〜50万かかりました。
基礎も補強しました。3月の地震のときにはその部屋が一番安全だったようです。約2年ぐらいかかった。
2011/11
母は94歳になりました。母の母親が94歳まで生きたので追いつきましたが認知症で困っています。妄想が
激しく、介護しているほうが死にたくなります。認知症の介護の苦労は経験者でなければ理解できないでしよう。
介護疲れで殺人を起こす事件がありますが、今の私なら理解できます。
94歳まで生きると、病気はなくなります、医師の見解では悪いところはないという診断です。
2012/8/20 他界
母は他界しましたが、大変でした。
母が動けなくなったのは兄弟に3日間母を預け、帰ってきたら、家のベットまでは何とか歩いたのですがベットに
乗る前に完全に立てなくなってしまいました、そのときからです。
この日の以前から、おもらしをして一日に何度もおしりを洗う状態になっていました。
母は妻には一切させませんでした。
私かそのたびにお風呂場まで連れて行っておしりを洗う役目をしました。
私もまさか母親のお尻を洗うようになるとは思ってもいませんでした、あらってもあらっても綺麗にならないのです、
肛門にはウンチがあるのです。
またトイレに行けていたときも手はウンチだらけで、そのたびに消毒をし、ウンチさえわからなくもなっていました。
おしめにウンチを溜まっていても平気で座っていました、匂いで私たちが気がつくのです。
こんな状態でもヘルパーさんを家に入れるのは抵抗があり、母が本当に動けなくなるまで毎日が戦いでした。
でも、動けなくなった時には恥じも外聞も言ってられないと決断をしてヘルパーさんに助けを求めました。
ヘルパーさんを頼んで3日で褥瘡ができてしまいました、そのためにレンタルで手作りベットに合う空気ベットを借り
て一日に何度も体の位置交換が私の仕事になり、それにより私のヘルニアが悪化したり、大変。
体の位置交換のときに空気ベットの上で一揆に力をいれて体を持ち上げるのですがその瞬間、母はベットの
柵をつかみ、私は腰が悲鳴を上げるしまつです。
褥瘡に薬を塗るのは医療行為のため看護士か医師でなければできない、ヘルパーさんはできないのです。
それを私がおしめ交換のときにするのです・・・・法律が矛盾している。
褥瘡は薬を塗ってラップを張ると効果的です・・・注意 薬を塗る手は必ず消毒を忘れないように。
張るテープは電気絶縁用のテープが最適です、接地面が大きいとはがすときに痛いのでテープを細く切って下さい。
もう一つ便利なのは犬用おしこシートの大判が安くて便利。
あとヘビー用の消毒シート(ぬれフキン)が便利・・大人用より安い
医師は訪問診療契約で2週間に一回だけでどうやって褥瘡の治療をやれというのか馬鹿みたいな
法律の壁で政治家はなにも考えていない。
ウンチの区別がつかなくなった時から介護のほんとうの地獄があじまる。
母か亡くなったのはヘルパーさんがひと通り清拭が済んであとかたずけを始めた瞬間、息がとまったようです。
救急車で病院に入り死亡時刻は病院内タイムですが心臓が止まったのが家なので警察の取りしらべが朝の4時
までかかりました。CT撮影は自己負担保険適応なし
母は大往生できたと思っています。
私は十分な親孝行ができたとは思っていませんが自分ができる範囲で十分に介護はしたと思っています。
介護に悔いはありません。
またヘルパーさんには本当に助けられました。ヘルパーさんが居なかったら親殺しになっていたかもしれません。
ほんとうにヘルパーさんには感謝しています、すばらしいヘルパーさんに恵まれたことを神に感謝します。
また兄弟のなかで一番長く母親と暮らせたことに感謝します。
2013/7/5
最近介護のほんとうの恐ろしさがわかりまた。
介護は自分の体力をほんとうになくします。年齢もありますが介護の間はどこにも行けなく体の体力がなくなるのです、
それが 恐ろしいのです、一度落ちた体力はなかなか元に戻りません、また戻りにくい年齢にもなってしまうのです。
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