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コラム21~25

【No.021】 2007/1/1  貴重な一歩、法務省と警察庁が交通犯罪厳罰化の方針

◆犯罪被害者等基本法制定に一筋の光を感じたのが、2004年12月でした。それから2年。2007年は新たな期待を感じる中で迎えることが出来ました。「人身事故に重い罰 脇見・速度超過・・・」。大晦日の2006年12月31日、法務省が自動車の人身事故に限った新たな規定を刑法に設ける方針を固めたと報じられたからです。(「日本経済新聞06/12/31」)

◆その数日前12月28日、警察庁は飲酒運転とひき逃げの厳罰化を盛り込んだ道交法改正試案を発表しましたが、今回の法務省方針は、交通事犯の厳罰化を飲酒ひき逃げに限定せず、前方不注意や速度超過など重大な結果につながる業務上過失致死傷罪にまで対象を拡げる判断をしたもので、正に貴重な一歩です。

◆11年前、前方不注視の運転者によって最愛の長女を奪われた私は、娘の被害はどう考えても「通り魔殺人的被害」であるのに、命を奪った加害者が窃盗より軽い刑罰(禁固1年、執行猶予3年)で裁かれたことに驚愕しました(業務上過失致死傷罪は窃盗や詐欺罪の半分の量刑でしか裁かれない。例えば当時、10万円相当のバイクを盗んだ罪が懲役1年2か月、執行猶予3年だったという判例もある)。

◆以来私は、娘の「命の尊厳」を守りたいという一念で世に訴え活動を続けて来ました。北海道交通事故被害者の会の設立(1999年)と活動に関わり、2000年1月に当サイトを立ち上げたのもこうした思いからでした。

◆北海道交通事故被害者の会では、2002年11月に定めた要望事項の中で危険運転致死傷罪の適用要件拡大など矛盾是正とともに、交通犯罪を特別の犯罪類型として厳罰化することをあげており、警察庁など関係機関に提出していました。当時「自動車運転業務過失致死傷罪」(仮称)を提案された内藤裕次さん(現副代表)の先見性に感心します。

◆2006年8月、福岡で幼児3人が飲酒ひき逃げ犯の犠牲になり、飲酒運転など悪質交通犯罪を根絶しようという世論が盛り上がりました。そして同年9月、埼玉県川口市で「脇見」とされる暴走車が園児の列に突っ込み、幼稚園児4人が死亡、17人重軽傷という参事。改めて交通事犯全般の厳罰化が訴えられました。

◆福岡、川口の遺族の訴えの前に、数年前より厳罰化署名を行っていた遺族がいます。江別市で2003年2月に飲酒ひき逃げ犯に息子を奪われた高石弘・洋子ご夫妻は、その年の8月から飲酒ひき逃げの厳罰化を求める署名を始めました。その後、大分県の佐藤啓治・悦子ご夫妻が合流し、千葉の井上保孝・郁美ご夫妻を幹事に「飲酒・ひき逃げ事犯に厳罰を求める遺族・関係者全国連絡協議会」が発足。30万に及ぶ署名を集め法務大臣に訴え続け、政府を動かす大きな力になりました。

◆もちろん楽観は許されません。2001年に新設された危険運転致死傷罪が、その立法趣旨からはずれ、そもそも立証の困難な故意性を適用要件とするなどとしたため「絵に描いたもち」になってしまった(本コラムNo.15.参照)という轍を踏んではならないと思います。

◆「被害ゼロ」の道へ確実につながる法体系となるよう、声をあげ、訴えていきましょう。クルマは「凶器」として使われるのでなく、決して人を傷つけないという使われ方をしてはじめて文明の利器となります。クルマを「作る」のも、「使う」のも、「使わせる」のも、人間と人間社会の為すことです。

◆新年にあたり願うことは、「交通死傷被害○○人以下を目標にする」という言葉が死語となる社会の実現です。

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【No.022】 2007/6/7 「自動車運転過失致死傷罪」新設について

◆2007年5月17日「朝日新聞」夕刊の「『運転致死傷罪』新設、最高懲役7年に引き上げ、改正刑法成立」という見出しに、一時の感慨に浸りました。「交通犯罪被害を生まない社会に向けて道半ばだが、ここまできた」と。

◆北海道交通事故被害者の会は、危険運転致死傷罪新設から間もない2002年11月、主催した公開シンポジウム「フォーラム交通事故Ⅲ」の中で、危険運転致死傷罪の適用要件緩和と自動車運転過失致死傷罪の新設などを求めた「要望事項」を内外に明らかにしました。犠牲を無駄にしないという会員の痛切な願いを集約した23項目の要望内容策定におよそ1年を費やしました。

◆検討の中で、従来の「業務上過失致死傷罪」とは別に「自動車運転過失致死傷罪」の新設を提案したのは、前方不注意の交通犯罪で奥様を失い、「妻の死を無駄にしない」と司法試験を目指していた内藤裕次さん(現副代表、弁護士)でした。

◆私たちは以来、北海道で起きたいくつかの事件について、危険運転致死傷罪の適用や厳罰化を求め、署名運動など必死にとりくんで来ました。「加害者天国ニッポン」(GU企画出版部、松本誠著)という本にも励まされたのですが、命があまりに軽く扱われている現状を何とか変えたいという思いでした。

◆要望書は若干の改訂を加えながら、毎年警察庁長官などへ提出しておりました。そして、今回の刑法改正。

◆契機となったのは、2006年8月の福岡市、同9月の川口市と続いた、いずれも幼い子どもが犠牲になった重大事件でした。

◆悪質交通犯罪に厳罰をという世論が盛り上がり、千葉の井上さんや北海道江別市の高石さんなど「飲酒・ひき逃げ事犯に厳罰を求める遺族・関係者全国連絡協議会」の3年間での30万人に達する署名活動など大奮闘が法務省や警察庁を動かしました。

◆北海道の会も「TAV交通死被害者の会」や「交通事故被害者遺族の声を届ける会」と共同して、2007年1月の法務省面談、法制審議会刑法部会委員への松本誠弁護士推薦、そして2月には法制審刑事法(自動車運転過失致死傷事犯関係)部会での意見表明と取り組み、交通犯罪を特別類型犯として厳罰化することの意義を評価するとともに、「最高刑を懲役7年ではなく10年以上に」と強く訴えてきました。(法制審での意見はこちら)

◆法改正で「少なくとも10年以上に」という願いは届きませんでしたが、自動車運転を他の過失事故と区別し重罰としたことは、今後につながるもので本当に大きな意義があると思います。

◆冒頭の朝日新聞には、法改正について、映画「0からの風」のモデルとなった鈴木共子さんのコメントが紹介されていますが、見出しの「命を守る法になってほしい」に被害者遺族の気持ちが込められています。

◆開会中の今国会には飲酒運転を厳罰化する道交法改正案も審議中です。これも大きな一歩となることは間違いありません。しかし交通犯罪被害ゼロの社会実現に向けては、未だ大きな課題が横たわっていることを指摘しなくてはなりません。法律や制度が出来ても、これを運用する人々の意識が変わらなければ、元の木阿弥になってしまうからです。

◆克服すべき「意識」は、交通犯罪被害を「仕方のない事故」と許容し、結果的に「加害者天国」の現状に与する捉え方です。私たちが「10年以上」にと強く願った刑法改正案が最高7年という半端な改正案になったことを、ある新聞は「新たな罪の創設は、『だれでも加害者になりうる』という過失犯への刑のあり方の模索と、遺族や被害者側の『なぜこんなに罪が軽いのか』という声の高まりとのせめぎ合いの着地点だ。」(「朝日新聞」07/3/1)と評しました。法の成立後の論評にも「厳罰化を求めてきた被害者遺族には『せめて懲役10年に」との不満が残る一方、だれもが加害者になりうる過失犯のうち、交通事故だけに厳罰を科すことに慎重な声も残る」(「北海道新聞」07/6/2)とあります。

◆しかし、果たして「誰でも加害者になりうる過失犯だから重罰にできない」という「論」は成り立つのでしょうか。大いに疑問です。刑法の役割は「刑罰により法益を不法な侵害から保護することにある」(「法律学小辞典」有斐閣)。そして「法益」とは「法によって保護される社会生活上の利益。(同上)と言われます。一体、社会全体で護るべきもの(法益)に「人の命」以上のものがあるのでしょうか。

◆この認識のずれ、倒錯を正すことが肝要ではないかと痛感します。その点では、改正刑法の施行(2007年6月12日)を前に「運転致死傷罪、悲劇をなくすための『厳罰化』だ」という見出しの「読売新聞」社説(2007/6/6)は首肯できるものでした。

◆1月29日の法務省面談で川崎市の遺族が切々と訴えていた「命を数で相対化してはならない。人一人の命は絶対化して捉えるべき」というフレーズが耳に残ります。

◆社会にとって最も大切なものを見失い、経済「効率」や「便利さ」、他者の命をも簡単に奪うクルマ通行を優先する「つくられた欲望の絶対化」が大手を振る世の中を変えなくてはなりません。

(改正刑法の施行(2007/6/12)を前に なおNo.21のコラムも参照下さい)

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【No.023】 2007/12/25 高校生の感想文

◆「自動車運転過失致死傷罪」(2007年6月12日施行)と「飲酒運転厳罰化の道路交通法改正」(2007年9月19日施行)によって交通犯罪の刑罰の適正化が大きく前進と思われた矢先の12月18日、これら厳罰化への世論喚起の一つとなった福岡市3児死亡飲酒ひき逃げ事件を裁く福岡地裁が、判決日を目の前に、危険運転致死罪適用に難色を示し業務上過失致死罪等の訴因追加を地検に命令したことが報道されました。

◆2001年に新設された危険運転致死傷罪が、当初の法案の趣旨からはずれ、その適用要件に故意性の立証を求める不適切なハードルを設けたという法の不備につけ込んでの「判断」と思われますが、言語道断と言わざるを得ません。これが業過で裁かれるなら、「危険運転」とは一体何でしょう。法は何のためにあるのでしょう。

◆交通事犯をめぐっては、「法を運用する人々の意識のずれが未だに大きく残っていることが課題」との前回コラム(No.22.)での指摘を、ここでも繰り返さなくてはなりません。

◆暗澹たる気持ちになっていたところ、先月末(11月20日)、3学年対象に交通安全講話をさせていただいた札幌平岡高校の担当の先生から、生徒さんの感想文数編が送られて来ました。

◆勇気づけられました。「命とクルマ、遺された親からのメッセージ」と題したつたない話(レジュメ)だったのですが、受け止めてくれた若い人たちの瑞々しい感性に、希望の光を見る思いでした。生徒さんに感謝の気持ちを込めて、以下お二人の感想文を紹介させていただきます。

★前田先生の話は心をいためるもので、思わず涙がほほを流れました。あまりにひどすぎます。「交通事故死」それは本当に“事故”なのか? 違います。“殺人”です。私は毎日見るテレビの「事故」のニュースを見ると、「本当に“事故”なの? 許せない!」といつも思っていました。その疑問も今回の前田先生の講演を聞いて、はっきりと“殺人”なんだと分かりました。現在の法律は甘いと思います。政治経済の授業を受けていても、なぜ加害者の権利や保護をこんなにも重点におくのか、といつも憤りを感じます。「権利や保護=刑を軽くする」ではないのです。“刑罰”というのは罪を犯してしまった人がやり直すために乗り越えなければいけないものだと思います。だから、前田先生の娘さんを殺めてしまった人にもそれなりの刑罰は必要なのです。多分、罪を犯してしまったのに、罰を受けられない、軽くされた方が辛いはずです。

前田先生の言葉が、この国の法律をよりよい姿にするためのものになってくれると良いと思います。私たちも身近な所から出来ることをしていきたいと思います。前田先生の言葉を一生胸に、他人と自分の命を大切に生きていきます。今日はためになる話をありがとうございました。

★今日この講演を聞いて、とても泣いてしまいました。(中略)

今の社会では、運転することがあまりに軽い気持ちになっています。若者、大人、すべての人が命の大切さを考えて免許を取るべきだと思います。軽い気持ちなら取らないで欲しいです。

今回の講演を聞くまでは、「卒業したら免許を取ろう」という安易な考えでしたが、考えが根本的に変わりました。命の大切さを教えてくれる話でした。とても心に残りました。まさに「被害ゼロ」をめざす社会になって欲しいと心から願います。ありがとうございました。

◆今日はクリスマスです。しかし我が家では長女の月命日なのです。明日からも、年越し、お正月など世間の賑わいが辛く感じられる日々が続きます。作りかけている年賀状には、12年前から「おめでとう」の言葉はありません。

◆しかし、長女が「生命のメッセージ展」に参加し、メッセンジャーとなって全国を巡るようになってからは、元気を出して全国各地でのメッセージ展を紹介することで、年賀状はやめずに続けて来ました。

◆今作っている年賀状は、来年6月6~8日、札幌で計画中(2002年以来6年ぶりになります)の「生命のメッセージ展in札幌」(同時上映「0(ゼロ)からの風」)の紹介をメインにしています。長女の願いであろう「被害ゼロ」の社会を作るために、命の大切さを伝えたいのです。

◆クリスマスと言えば、今年私が新たに出会い、大きな力を与えていただい方の一人、千葉商科大学の小栗幸夫先生が、ネット上で「クリスマスに希望を」ソフトカーと子どもたちとのふれ合いを紹介しています。先生のサイト ソフトカー・ダイアリー をご覧下さい。私にとっては心暖まるプレゼントでした。(このことを知らせてくれた 世界道路交通犠牲者の日・つながるプラザ もご覧下さい)

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【No.024】 2008/1/8 「いのち」でつながり、「希望」の「未来」へ

◆北海道の仲間(会員)が10人そろって11月24、25日の犯罪被害者週間全国大会に参加しました。大会のサブテーマ「いのち・希望・未来」には「いのちを大切にする心をつなぎ、社会全体が希望ある未来へ向かうために、団体どうし、そして多くの市民がつながり合いましょう」という願いが込められています。大会は、所期の目的を達成し、参加者の胸に次回も是非参加したいという余韻を残して終えることが出来ました。

◆振り返ると、2007年は、この生命への共感を求める「つながり」が網の目のように拡がりつつあることを感じさせられる1年でした。

◆「死者数120万人、負傷者数5000万人」。WHO(世界保健機関)がまとめた2002年1年間の交通事犯の犠牲者数です。国連はこうした現状に警告を発し、2005年10月26日の総会で、毎年11月の第3日曜日を「WORLD DAY OF REMEMBRANCE FOR ROAD TRAFFIC VICTIMS」(世界交通被害者追悼の日)とし、「加盟国と国際社会が交通被害者やその家族を適切に認識するための日とすることを要請する」ことを決議しました。

◆政府の公報もなく知らされない中で、共同提唱の WHOが作成した「指針」を和訳し、日本での「犠牲者の日」連絡会(準)を呼びかけられたのは、京都在住の今井博之さんです。今井さんは小児科のお医者さんですが、10歳の息子さんを交通犯罪で亡くしており、以来、著書や論文で被害ゼロの社会を訴えられています。(「クルマ社会と子どもたち」岩波ブックレット、など)

◆北海道の会でもこの呼びかけに応え、パネル展実施を検討。札幌市市民まちづくり局の協力を得、プレ企画の展示を11月12、13日、大通り地下街オーロラタウンで行いました。

◆「TAV交通死被害者の会」(事務局大阪市)や「交通事故被害者遺族の声を届ける会」(事務局川崎市)などは、このワールドディに「交通死ゼロへの『風』を全国的な社会運動に」という意味を込め、「風」を受ける黄色の「風車」を事件現場にという運動を展開しました。また、「交通事故調書の開示を求める会」(事務局東京)は、その11月18日、東京で記念シンポジウム「交通犯罪被害者が二次被害に遭わないために~今求められること~」を行いました。

◆このワールドディを市民の立場で担い、大きな運動にしたいと取り組みを始めた方が、千葉商科大学の小栗幸夫教授です。教授が昨年11月5日、急きょ立ち上げた掲示板サイトの名称は「世界道路交通犠牲者の日・つながるプラザ」でした。このサイトで多くの個人と団体がつながり、ワールドディはさらに大きく広がりました。

◆交通被害ゼロのために小栗教授が研究開発し、実用化を目指しているのは、自動車が必要以上の速度を出さないように「(道路)環境にふさわしい最高速度を選択し、それを外部に表示する車」(速度抑制車)で、名付けて「ソフトカー」

◆小栗教授と試作の 「ソフトカー」に、11月18日のシンポの会場で「お会い」できました。新たな「つながり」が、「未来」への大きな「希望」を与えてくれたのです。2008年も「希望」を胸に着実に歩みたいものです。

北海道交通事故被害者の会会報25号(2008年1月10日)掲載の「編集を終えて」より

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【No.025】 2008/1/12 
福岡地裁の不当判決に怒り  高裁での逆転公正判決と刑法の再改正を求める(2/9一部改訂)

「飲酒、時速100キロ、12秒以上の脇見」を「正常な運転が困難な状態とは認められない」と判示した福岡地裁の非常識

福岡地裁の川口宰護(しょうご)裁判官は1月8日、福岡3児死亡事件の加害者に対し、危険運転致死傷罪(以降「危運罪」と略)を適用せず、業務上過失致死傷罪(以降「業過」と略)と酒気帯び運転・ひき逃げとの併合罪で懲役7年6月(求刑は「危運罪」での25年)を言い渡しました。

判決間近の昨年12月末に、福岡地裁が地検に対し業過を予備的訴因として追加する命令を出したことに衝撃を受けていましたが、実際の不当判決の報に、愕然とし体中から力が抜ける思いでした。これでは、一昨年来の飲酒運転は許さないという安全への願いに水をさし、クルマであれば道路上で命を奪っても「事故だから」と不当に軽く扱う風潮を容認することになります。

裁判所は事実認定として、被告が焼酎ロック8~9杯はじめ大量に飲酒した上、時速100キロで現場を走行し、最大12秒以上も脇見運転をしたことを挙げたそうです。この行為のどれ一つとっても異常な危険運転行為です。これが「危運罪」でなければ、危険運転とは一体何なのでしょう。「危運罪」は正真正銘の「画餅」となってしまいます。朝日新聞は翌9日の社説で「危険運転でないとは」「普通の人の常識に反していないだろうか」と判決に疑問を呈し、続く解説記事で「飲酒事故判決、社会と司法に溝」という見出しをつけました。その通りです。まさに裁判官の良識が疑われる不当判決です。

福岡地裁が「被告が酒の影響で正常な運転が困難な状態にあったとは認められない」とした「理由」も言語道断です。傍聴した遺族からの報告によりますと、検察は、「鑑定などを根拠に事故当時(証拠隠滅のために大量に水を飲む前)の被告の血中濃度が0.9~1.0mg/mlだった」と主張しましたが、地裁はこれを「体重・体質・胃の粘膜の状況など、個体差が大きいために採用できない」とし、また、「その症状にも個人差があるので、直ちに運転操作が極めて困難な状態にあったとまで認めることができない」と詭弁を弄したそうです。裁判官自らが、法の網の目を拡げ、罪を見逃し、卑劣な「逃げ得」を容認したのです。

飲酒の上に「自分は大丈夫」と思って運転したのですから、この時点で故意であり、「正常な運転が困難であった」ことは、事件が起きる前の走行状態ではなく、制限速度超過50キロと12秒もの脇見という異常な(=正常でない)危険運転で相手を死に至らしめたという結果(=事実)でこれを立証すべきです。

「危運罪」の適用にはこれまでもばらつきがありましたが、中には困難とされる故意性の認定を大胆に行った判例もあると聞きます。福岡地裁に求められていたのは、「危運罪」のそもそもの立法趣旨に立ち戻り、昨年来の飲酒運転撲滅を願う社会的要請に応えた、踏み込んだ判例を示すことであったはずです。川口裁判官が、これに応えず適用のハードルを自ら高くしたことは、当然非難されるべきです。

高裁での逆転公正判決と刑法の抜本的見直しを

検察は直ちに控訴すべきです。高裁において、この不当判決が破棄され、検察の当初の訴因および求刑通り「危運罪」での懲役25年という逆転の正義の判決が為されることを切望します。大上さんご夫妻も何よりそれを願っていると思います。

6年前の2001年、「危運罪」の新設に向けては、設立間もない北海道交通事故被害者の会も、必死の思いで署名を集め、呼びかけ人の鈴木共子さんと井上ご夫妻に託しました。しかし、出来上がった法は、当初からその矛盾が指摘される欠陥法でもありました。

矛盾の一つは、「危運罪」適用のハードルが高く実態に合わないことです。危険運転の故意とは、「正常な運転は困難」と運転者が認識していたことを指すのですが、内心の問題を事実の積み重ねで立証するのは極めて高いハードルであり、結果として「絵に画いた餅」となるのではという危惧が当初からありました。二つ目の問題は、「危運罪」が適用されない場合の「自動車運転過失致死傷罪」の最高刑が7年(改正前は「業過」の5年)と、「危運罪」の20年に比し、あまりに低いことです。これが今回のように重刑適用をためらう一因となります。そして、もう一つ。「危運罪」と同時に「業過」の条項(211条2項)に「(自動車運転の場合は)その傷害が軽いときは、情状により、その刑を免除することができる」という刑の裁量的免除規定が付加されたことです。これは、交通事犯を特別扱いし、「過失」だからと他の業過犯より軽く扱うことを明記してしまったという不当極まりない規定です。さらに付け加えるなら、この業過致死傷罪というのは交通事犯が社会的問題になる前に規定されたもので、最高刑が窃盗罪より低いという不合理なものです。(注1の関係法令参照)

これらの法的不備の問題と、それを運用する捜査機関や裁判所の問題もあり、社会正義とかけ離れた適用件数(年間わずか200~300件台であり、全交通事犯、80~90万件台のうち0.03%という天文学的数字。飲酒運転事件に限っても、2006年は11625件中159件、1.4%に留まっています)になりました。懸念されていた「絵に画いた餅」が実際となり、同法適用を求めたたかった道内の被害者も、そのほとんどが無念の思いをしています。
(参照:断ち切れ「加害者天国」 「危険運転致死」適用拡大を)

被害の側からは、公道上で何の非もないのに、見ず知らずの者に突然命まで奪われる、正に「通り魔殺人的被害」です。これを「かわいそうだが、事故だから仕方ない」と、加害者に偏った見方をする病んだ社会を、理性の力で正常に戻さなくてなりません。

福岡地裁の判決は、裁判官の非常識とともに、不当な判決に口実を与えた「危運罪」の矛盾と刑法体系の不整合を白日のもとに晒しました。上級審で公正に「危運罪」適用を望むとともに、これを契機に、①「危運罪」適用のハードルを抜本的に下げ、②「自動車運転過失致死傷罪」の最高刑を上げ、下限についても死亡の場合を1年以上とするなど、現行法の矛盾を改め、真に命を守る法律体系にすべきです。

交通死傷「被害ゼロ」の社会を

それにしても、今回の福岡の事件報道で、件名を「福岡飲酒事故」あるいは「飲酒運転事故」「3幼児死亡事故」など「事故」と表記しているのは何故でしょうか。福岡の事件に事故(=アクシデント)という要素がどこにあるのでしょうか。偶然に起こった災難という捉え方が、命を軽く扱う「クルマ優先社会」を正視できなくさせているのではないでしょうか。

地方紙「北海道新聞」の福岡事件論説記事「事故撲滅の重い教訓に」(2008年1月9日付け)にも、失望させられました。「(裁判所の判断は)世間の感情とは違うかもしれないが、客観的な証拠に基づいた中で、最高刑を科したところに裁判官の思いが見てとれる。」と、不当判決肯定です。判決に対する批判を「(世間の)感情」と見くびり、厳罰を望むのは遺族の感情論と批判的に括るのは、交通事犯被害の本質、被害者の立場や権利に対する無理解にほかなりません。これは法曹界や学会にも根強くあるのですが、法は何のためにあるのかという原点から問い直して欲しいと思います。

先日1月11日、政府の交通対策本部が、年2回(2月20日と4月10日)を「交通事故死ゼロを目指す日」に定めることを決めたそうですが、これも感覚麻痺からくる倒錯で、年間の交通死者数を五千人以下にという政府目標のおかしさと同列です。「交通事故死」を「通り魔殺人被害死」と正しく(もちろん事故も含まれていると思いますが、被害者に過失のないケースが大半です)言い換えてみて下さい。その日以外は仕方ないのでしょうか。何故負傷者数も含めて、年間の「被害ゼロ」を目標とできないのでしょうか。

交通死だけでなく負傷も含め「被害ゼロ」へと、社会全体が直ちに具体的に動かなくてはなりません。

◆注1 刑法抜粋

(危険運転致死傷)
第208条の二 アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させ、よって、人を負傷させた者は十五年以下の懲役に処し、人を死亡させた者は一年以上の有期懲役に処する。その進行を制御することが困難な高速度で、又はその進行を制御する技能を有しないで自動車を走行させ、よって人を死傷させた者も、同様とする。
2 人又は車の通行を妨害する目的で、走行中の自動車の直前に進入し、その他通行中の人又は車に著しく接近し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転し、よって人を死傷させた者も、前項と同様とする。赤色信号又はこれに相当する信号を殊更に無視し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転し、よって人を死傷させた者も、同様とする。

(業務上過失致死傷等)
第211条 業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、五年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金に処する。重大な過失により人を死傷させた者も、同様とする。
2 自動車の運転上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、七年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金に処する。ただし、その傷害が軽いときは、情状により、その刑を免除することができる。

※(殺人)
第199条 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。

※(窃盗)
第235条 他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、十年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。

◆注2 「未必の故意」について

「未必の故意」:行為者が、罪となる事実の発生を積極的に意図・希望したわけではないが、自己の行為から、ある事実が発生するかもしれないと思いながら、発生しても仕方がないと認めて、行為する心理状態。故意の一種(「広辞苑」第3版)

◆注3 「北海道交通事故被害者の会」の要望事項より抜粋

4 自動車運転が危険な行為であるという社会的共通認識があるというべきであるから、交通犯罪の場合は、過失犯であってもその結果の重大性に見合う処罰を科すことが、交通犯罪抑止のために不可欠である。交通犯罪については、特別の犯罪類型として厳罰化をすること。

4-1  危険運転致死傷罪が全ての危険運転行為の抑止となるように、適用要件を大幅に緩和する法改正を行い、結果責任として厳しく裁くこと。前方不注意のような安全確認義務違反など、違法な運転行為に因って傷害を与えた場合は「未必の故意」による危険運転として裁くこと。交通犯罪のもたらす結果の重大性からも、新設された「自動車運転過失致死傷罪」の最高刑をさらに上げることや、飲酒ひき逃げの「逃げ得」という矛盾を生まない厳罰化など、法体系を整備すること。

4-2 交通犯罪に対する起訴便宜主義の濫用を避け、起訴率を上げること。刑法211条2項の「傷害が軽いときは、情状により、その刑を免除できる」という「刑の裁量的免除」規定は廃止すること。

※参考:2007年2月 法制審での会としての発言

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