コラム

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コラム11~15

【No.011】 2003/1/16 「視点を変える」
【No.012】 2003/3/3 「運命」
【No.013】 2003/4/14 「大人の方へ」
【No.014】 2003/5/28 「何年たっても」
【No.015】 2003/7/5 断ち切れ「加害者天国」「危険運転致死」適用拡大を

【No.011】 2003/1/16 「視点を変える」

交通犯罪被害に遭った娘への思いを込めて、ホームページ「交通死―遺された親の叫び」(http://www.ne.jp/asahi/remember/chihiro/)を開設している。

先日、このページを見た神戸の被害者の方からこんなメールを頂き、暗たんたる気持ちになった。

「ひと月前、小学一年生の一人娘を、信号無視のトレーラーによって奪われました。私の生きがいのすべてを失い、これから何のために生きるのかと自問の毎日。ただ、夫や親せきをこれ以上悲しませたくないと精いっぱい頑張っているのに、近所の方の『フツーは気が狂ったりするのに、強いよね』との言葉。深く傷つけられ、外に出て人とも会いたくない。同じように子どもさんを亡くされた方にしか理解してもらえないような気がしています」

「善意」であるのに、無理解が残酷な言葉となる。これほどではなくても「あなたの気持ちはわかります」とか、「私も肉親を亡くしたことがありますから」などの声掛けも当事者にはつらいことが多い。

娘を失ってから、視点を変えると初めて見える真実がたくさんあることに、改めて気付いた。犯罪被害者という私たちの視点は世の常のものではないから、共感するのは極めて難しい。

「いのちを守る安全学」(新潮OH文庫)の中の対談で、犯罪被害者の支援を手がける小西聖子氏は「(被害者に)理不尽な対応をするのは、その人が優しくないからではない。聞かない限りわからないという

ところが、どうしてもある」と述べ、著者の日垣隆氏は「一つでも良いから犯罪被害の具体例を徹底的に知ることが大切」と指摘する。

当事者としても、知ってもらう努力をしたいと考え、体験講話などの要請にはできるだけ応えよう、と例会で話している。体験や心情を語るのはつらく苦しいが、犠牲を無にせず犯罪のない社会をつくるために。(前田敏章=北海道交通事故被害者の会代表) 
(「北海道新聞」2003年1月16日夕刊のコラム「プラネタリウム」に掲載)

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【No.012】 2003/3/3 運命

今日はひな祭り。八年前までは、二人の娘の成長を喜ぶ華やいだ日だった。しかし、長女が交通犯罪の犠牲となり、泣きながら飾りつけをした七年前からは、無念をかみしめる日に変わってしまった。仏壇の横に今年も飾られた人形だが、最近では寂しさと怒りをたたえた表情に見える。

十七歳で暴力的にそのすべてを奪われた娘の無念さを思い、今も胸が張り裂けそうになる。何のいわれもない相手に何の過失もない娘が道路上で犠牲になった事件を、「事故だから仕方ない」「運命だから」と受け入れることは到底できない。

体験講話の機会が時折あるが、高校生など若い人にも「車の運転は、他人の安全や生命に直接かかわる行為で、パイロットや医者と同等の専門的技能と責任が求められる。事故は体験して学習などということが決して許されないことなのだから、絶対に加害者にならないで」と訴えている。

昨年五月、札幌市内の高校で「命とクルマ、遺された親からのメッセージ」をテーマに講演した際、ある生徒さんからもらった感想文に感激した。

その感想文は「百年ほど前、死者二千人以上というタイタニック号の事故で奇跡的に生還した少年が、その後交通事故でこの世を去った。その記録に書かれた『死という運命に逆らうことはたやすくない』という一文を読み、運命とは恐ろしいものだと納得していたが、今日の講話を聞き、『死の運命』は他人の絶対的な力によって押しつけられてはならないと考え直した」といい、「人には生きる権利と死ぬ義務があり、それは決して他者の手出しが許されない神聖なものなのだろう。『事故の死』を『運命』という言葉から切り離して考える機会をいただいたことに感謝している」と結んでいた。

高校生のみずみずしい感性に大いに励まされた。

(前田 敏章=札幌・北海道交通事故被害者の会代表)
(「北海道新聞」2003年3月3日夕刊のコラム「プラネタリウム」に掲載)

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【No.013】 2003/4/14 「大人の方へ」

長い冬から解放される四月。新入学や、新しい学年を迎えた子どもたちは期待と希望に心も躍る。

しかし、送り出す家族はその背中に「クルマに気をつけて」と一声かけずにはいられない。児童生徒が歩行中、あるいは自転車通行中に遭う輪禍は、道内で平均すると毎日五人が傷つき、毎月一人が亡くなるという深刻な実態がある。

昨年七月、札幌市西区の真下綾香ちゃん(当時小六)と白石区の音喜多康伸君(当時中二)が、相次いで通り魔殺人のような犠牲になった。何の落ち度もないのに、安全であるべき横断歩道上で。

ご両親は深い悲しみの中「こんな理不尽は許されない。事故と軽く扱うことなく、再発防止のために事実究明と厳正な処罰を」と、血のにじむ努力をして、要望書の提出や署名活動に取り組んでいる。

青信号の交差点を自転車で渡り切る直前、暴走する右折車の前部でひかれた綾香ちゃんの「事件」。同級生の父母は「信号を守っていたのに。私は子どもにどう教えて良いかわからなくなりました。人の命を奪っても、このくらいで済むという間違った考えを持たれぬよう、子どもにきちんと説明できる結果を望みます」と要望書に書いた。

横断歩道を自転車で通行中、安全確認もせず時速五〇キロものスピードで突っ込んできた車にひかれた康伸君。この「事件」を知ったある小学生は「大人のかたへ、ぼくたちがあんしんしてあるける社会にしてください」と要望書で訴えた。

許されない戦争で、恐怖におののくイラクの子どもたちの表情とダブるのは私だけだろうか。便利さや経済効率の名の下、逆立ちした「クルマ優先社会」は、被害者にしかなり得ない子どもたちにさえ被害の責任を押し付ける。子どもの命と安全を守りきることは、親とともに大人社会が担うべき最優先課題である。

(前田敏章=札幌・北海道交通事故被害者の会代表)
(「北海道新聞」2003年4月14日夕刊のコラム「プラネタリウム」に掲載)

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【No.014】 2003/5/28 「何年たっても」

五月の日曜日、姪(めい)の結婚式に招かれた。教会式では、新婦は父親に導かれて入場し、中ほどで新郎が代わってエスコートする。

はじらいの中にも幸せいっぱいの姪の横顔を見ているうちに涙が止まらなくなった。隣の妻も嗚咽(おえつ)している。

姪と同い年で仲の良いいとこだった私の長女は、中学生の時に親せきの結婚式に参列して「私は感動しちゃいました。教会みたいな部屋の中での結婚式なんて初めてだもん。テレビでよく見るように、歌をうたったり、指輪交換を見たり…。私も赤いじゅうたんの上を歩きたいな」とわが家の家族新聞に書いていた。

披露宴での手作りのしおりには、小さいころの二人の写真に「十七歳で交通事故にあい、もう会えなくなってしまった千尋ちゃんにも来てもらいたかったよ」と新婦の添え書き。写真も文章も涙でにじんだ。

長女の分まで幸せにと願ったこの日の少し前は、迎えられなかった娘の二十五回目の誕生日だった。親であるなら、死ぬまで亡き子の年を数え続けるのだろう。

五十三年前、前方不注意の車に小学一年生の娘さんの命を奪われた札幌の会員、大亀博子さん(87)から次の手紙が届いた。

「昭和二十五年事故死しました娘、言美(ことみ)。朝一番に欠かさず水を供えています。死の直前の言美のことばが『水、水』だったからです。生きていたらと年をかぞえ又々涙です。車に乗る方々は人の命を第一に運転してください」

私は天国の娘に、次の誕生日カードを送った。

「お誕生日おめでとう。いつも心の中の千尋と一緒に理不尽な『クルマ優先社会』を問う活動を進めています。千尋も全国で命の重みを訴え続けて下さい」(あなたの無念を思っては涙している父と母より)

(前田敏章=札幌・北海道交通事故被害者の会代表)
(「北海道新聞」2003年5月28日夕刊のコラム「プラネタリウム」に掲載)

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【No.015】 2003/7/5  断ち切れ「加害者天国」「危険運転致死」適用拡大を

被害者の視点がなければ、人権侵害の実態が見えない。八年前、高校二年の私の長女は学校帰りの歩行中、前方不注視の車にはねられ、即死した。通り魔のような被害に遭った娘と同様の人権侵害が日常化している現状を見ると、胸が張り裂けそうに痛い。

被害をなくすためには、利便性を求め続ける異常な「クルマ優先社会」を問い直し、社会的規制を強めることが不可欠と考える。違法運転による死傷は、事故ではない。悪質犯罪として厳罰に処すこともその一つだ。

二○○一年十二月の刑法の「危険運転致死傷罪」新設は、飲酒など悪質な暴走車に肉親を奪われた遺族の「命の重みに見合った量刑を」という悲痛な叫びが発端だった。死傷という重大結果を引き起こす悪質かつ危険な運転行為は、業務上過失致死傷罪では最高でも窃盗罪のちょうど半分にあたる懲役五年にすぎない。これに対する世論の批判の高まりもあり、法改正までは速かった。危険運転致死傷罪では最高十五年の懲役となり、飲酒、暴走、信号無視など悪質運転で事故を起こした場合に適用される。しかし、施行後一年半を経ても適用例はあまりに少ない。

昨年六月、十勝管内足寄町で一般道のカーブを時速百三十キロで暴走し、対向車線の車に激突して四人を死に至らしめた事件でさえ適用されなかった。地検が、被告の「危険についての認識」を明らかにできなかったからという。昨年七月、札幌市内の横断歩道上で十三歳の男の子が犠牲になった事件では、加害者運転手が横断歩道手前で子供を視認しながら、時速五十キロで走り死亡させた。ご両親は、危険運転致死罪の「通行を妨害する目的で、著しく接近し、かつ重大な危険を生じさせる速度」に当たるとして告訴したが、札幌地検は「被害者との関係が知己でなければ故意性が立証できない」と適用を見送った。

道内では、愛児を失った家族が危険運転致死罪で告訴する例が相次いでいる。しかし、多くの場合適用が見送られてしまうのは、あまりに厳格に故意性を問うためであり、立証困難という実態が今後も続くのであれば、新法は絵に描いたもちとなる。交通犯罪は「未必の故意」として裁くべきである。

車社会における「加害者天国」が、安全確認義務の軽視や危険運転の要因になっているのではないか。この「負の連鎖」を断ち切るためには、危険運転致死傷罪の適用拡大、もしくは新たな法整備が必要だ。

(まえだ・としあき 北海道交通事故被害者の会代表)
(「北海道新聞」2003年7月5日夕刊「私の発言」に掲載)

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