介護施設慰問訪問の切っ掛け

鶴田博


介護施設えのボランティア活動として、慰問に行って見ようと 思った そもそもの切っ掛けは、平成20年でしたか、全盲でも出来る 「ブラインドテニス」が有る事を 知りました。
 それで 障碍者スポーツセンターで、私もテニスの練習を始めていたところです。そこには、男女晴眼者の ボランチァの人が数名居られまして、我々視覚障碍者の目と成って お手伝いして下さっていました。

その中の、一人の男性、まぁ kさんと 言っておきます。その kさん自身が、介護施設の慰問も行なって居ると聞かされました。 「愛和会(アイワカイ)」と言う グループと名称で活動しているとの事でした。
 グループのメンバーには、カラオケ 手品 舞踊などを行う人は多いが、楽器を遣る人がいないので 楽器を遣れる人を探しているんだとの話でした。

kさんも 我々障碍者の支援の為に忙しい時間をさいて来て下さっていますので そんなkさんの お役に立てたらと思い、【実は僕 ギターが弾けるんだけど!】と つい 言っちゃったんです。そうしたら、 【ナツメロをクラッシクぎたーで弾く人は貴重だよ そんな特技を持っているならば 喜ばれるから一緒にやろうよ】と 誘われたのです。
 でも、良く考えると 大衆を前にして 聞かせる為にギターを弾いた事は一度も有りませんでした。
 自信はなかったんだけど お金を取ってやるのではないので、いいかと、 まあ そう言う切っ掛けで始めた訳です。

最初に訪問した施設は、天白区に有る デイサービスの施設でした。広い会場と感じたので 何人くらいきてる ?、50人前後じゃないかな? との事、ここは、通常 食道だそうです。行事が有る時は、娯楽室として利用するそうです。

その時の 出演者は? 音大の声楽科を出た若い女性と 私の二人でした。
 雄弁な Kさんの司会でその女性の経歴を紹介して開場です。

最初に その女性が唄いました、舞台慣れシテ見えるノカ ハッキリシタ穏やかな声で場内に話掛けて見えテイマシタネ、 声量と唄いこなしは プロ級の素晴らしい演出でした。童謡の 夕焼け小焼け 叱られてなどと、 月の砂漠 ゴンドラの歌などを歌われ終了しました。大拍手!大歓声!

そのアトに 大勢の前での独奏は初めての 私が登場するんですから、その 心中 解りますか? 会場の雰囲気を壊すのではないかと恐れを感じて、来た事を後悔し、一瞬逃げて帰ろうかなぁと思ったんですが ………しかし来た以上はやるしかないと開き直り堂々と 登場する事にしました。

女性絵の拍手と 歓声がおさまるのを待って、次はギター演奏ですと 私の紹介が始まりました。 この人は、全く目が見えないのです だけど何でもやってるんです………と、私を オーバに褒め讃え、人の前でギター弾くのは、生まれて初めだそうですから宜しくお願いしますと紹介されて弾き始めました。

プログラムには 「盲目のギターリスト ……… 」と、曲名 湯の街エレージ 酒は涙か溜息か 娘船頭さん 陰を慕いて 落ち葉時雨 緑の地平線 別れの一本杉 と、紹介されていました。 古賀政男の曲を主として選びました。なので 利用者は 素晴らしい演奏を聴かせてくれる事を期待されていたんじゃないかな、? 

曲目は、利用者の青春時代を考慮して 選びました。
 平均年齢から考えて見ますと、その青春時代は、昭和20年前後ですから 第二次世界大戦で 日本が敗戦で 国民全体がどん底の生活に落ち込んで居た状態です。

蛇足ですが 私が小学校(当時は国民学校初等科) え入学したころです。昭和22年から、現在の新生学校制度と成り、小学 6年 中学 3年 高校 3年 制と成りました。

デイサービスに かよって居る人は、軽い症状の人が多いそうですので、歌も良く覚えていて、 ギターを弾き始めると 口ずさんだり 頭を振ったりして、私のギターに調子を合わせて、楽しんで貰えて居るようでしたので、下手な演奏でも満足してもらって居るんだなと嬉しい気持ちでした。

【さて 最後の曲です、これで皆さんと お別れと成りますから、春日八郎さんが唄った 「別れの一本杉」を弾いてお別れします】と、言いながら弾き始めましたら あちこちから口ずさむ唄声がでて徐々に広がり和やかに終了しました。

下手な演奏を御静聴頂き有難うございましたと頭を下げて御礼をしましたら またまた大拍手と共に 有難う ! 有難う ! の声を頂きました。

無事終わって 控室に戻って居たら 司会をしていた kさんが急ぎ足で来て、アンコールの声が有るんだけど、どうする ?と尋ねに来たんです。お世辞でも自分の奏法がうまいとは思ってもいないですから アンコールが掛かるなんて 想像もつかなかったので、どうしようかと迷いましたが本来ならば 光栄な事ですよね、ですから 遣りましょうと再び登壇しました。

アンコールを頂いたそうで! 有難うございます、では マタ来ましたから藤島 たけおさんが唄う 「また来た港」を弾きますと言って引き始めたら皆さんの手拍子が起きて 調子をとって頂きながら弾き終わりましたら またまた大拍手を頂き、 スター気分で? 帰ってきました。

と言う状況で 初めての慰問を終えました。その後も、月に 一度程度で訪問して回り、段々慣れましてジョークも飛ばす余裕も出てきました。
そこで ある施設での慰問の一場面の録音がありましたので良かったらここをクリックして聴いてください

『』現在は、hさんの奥様が今年に成って病気に成られたので 今のところ 慰安訪問も 一時中断中です。