秋刀魚の味

小野田学


秋を形容する言葉にはいろいろあるが、食いしん坊の僕にはこの齢にしてなお「食欲の秋」の言葉がふさわしいらしい。
 秋の季節にふさわしい美味に秋刀魚がある。「秋刀魚大量」のニュウスに触れると「もう秋も半ばだ…」の思いをいっそう深める。今年はその秋刀魚に3度もお目にかかる幸運に恵まれたのだった。
 ここ数年、食卓に秋刀魚がお目見えしたことがなかった我が家にしては古来まれなる出来事であった。スーパーの店先で秋刀魚を焼いて売っていたからと、家人が買い求めて着た物だ。
 家の中で、ガスレンジで焼いた後、いつまでも秋刀魚の匂いが漂うと言うのが秋刀魚が我が家のお勝手にお目見えしなかった理由らしい。いや、料理を預かる者が最近魚離れしたものか、それとも、勤務が忙しくなって調理に時間がかけ辛いとか、孫たちが魚料理をあまりリクエストしないなどが大方の理由らしい。

その秋刀魚。生きのいいのはやはり七輪で炭火で焼くのが好ましい。田舎育ちの僕などは、農家の庭先で藁など燃やしながら焼く秋刀魚の美味しさが特に懐かしい。
 我が家には以前から七輪なるものがない。木炭は豊富に残っているのだが、七輪が壊れた後、新しいのを入手していない。スーパーの店先で秋刀魚の塩焼きを売っているのを買い求めてきて、電子レンジで暖め直した物はやはり 「美味」とはお世辞にも言いがたい。やはり、秋刀魚は七輪で炭火焼し、焼き上がったところで大根おろしをたっぷり駆けて食べるに限る。

その秋刀魚の塩焼き、僕は頭から尻尾の先まで骨ごと食べるのが常である。もとより秋刀魚の骨が特に美味しいからと言うのではない。身を剥がして食べようなどと言う箸さばきは全盲者にはどうにも叶わないからだ。それでも、好きな焼き魚を食べるには骨ごと食べる以外に綺麗に食べられないから、いつの間にやらそんな食べ方が習慣になってしまった。それでいて、これまでに喉に骨がささって耳鼻科医のお世話になったことがないのだから、僕の塩焼き秋刀魚の丸かじりの習慣は、閻魔様の目通りに叶うまでは続けられるだろう。

文化遺産として国際的に指定された「和食文化」を支える作法とか感謝の心を持ち出して、「お前の魚の丸かじりはあまり感心しない」などとおっしゃる者がもし居られるなら、早速伺いたい。「焼き魚などを全盲者が綺麗に食べる方法はいかに?」と。長い魚体を手に持って・などと言うのではなく、箸でつまみ上げて骨ごと丸かじりの食べ方が特に和食の作法に反するなどとは言えまい。


秋刀魚の塩焼きがお目見えしたついでに、焼き魚に関する2,3の挿話を記したい。

もう60年くらいも昔、僕ら数人が進学受験のため教師に引率されて上京したときのこと。受験第1日の予定が終わって、安旅館に帰った時の夕食に鯖の塩焼きが供されたのだった。それがどれほどの美味だったかまるっきり記憶にない。が、後日、引率して下さった教師が僕に直接話してくださった具合では「あの時、みんなで食事をしていた時、ふと小野田の方を見たところ、鯖の頭がなかったので、この様子では小野田の合格は確実だろうと思った」と言うのであった。

東京では2年間寄宿舎生活をしたのだったが、今は知らず、当時の寄宿舎の食事は質・量共に僕ら若者が満足できるものではなく、時たま学校近くの大衆食堂で補食にささやかな満足を得たものだった。多くは一番安上がりのラーメンくらいで我慢したものだったが、親からの仕送りがあって懐がいくらか暖かかった時など、学生の身分ではやや上等の食事を楽しんだものだった。
 ある時、食堂へ数人で繰り込んだところ「定職の残りがある」とのこと。定食のメニュウを聞くと「鯵の干物」だと言う。早速それを注文したところ、食堂の女性店員が「それはお止めなさい、盲学校の生徒さんで魚を食べる方は居ませんから…」とのこと。「それでは僕が食べよう」と無理やり注文して、学生には珍しく美味にありついたのだった。が、3,40分仲間同士語らいながら食事を楽しんでようやく引き上げようとしたところ、「あらお客さん、干物の骨は?」と問われたのに、お腹をたたいて「大丈夫です」と答えたら、ギャッとかキャットか若い女店員の奇声に僕が驚いたほど。「大丈夫ですか?」と1度ならず念押しされながら食堂を辞したものでした。

卒業後10数年も過ぎたある1日、友人のXさんを尋ねて、大いに将棋談義などを楽しんだ日のこと。「魚屋を覗いたら立派な秋刀魚が入荷していたので、お昼にそれを召し上がりますか?」との彼の奥さんの計らい。秋刀魚の塩焼きをご馳走になって、友人宅を辞したのだった。が、無事自宅に帰り着いたころ電話があって「小野田さん、お腹は大丈夫ですか?」のX婦人のいかにも切迫したような声音。「お腹はなんともない」と返報すると、「それはよかった。御宅が帰られた後お皿をかたづけようとしたら、頭から尻尾まで何一つ残っていなくて…。実は、秋刀魚が大降りで七輪に乗せたら頭と尻尾が少しはみ出るほど。二つに切り分けて焼けばよかったのだが、不精したばかりに頭と尻尾が焼けていなかったはず。よもや、頭や尻尾を食べることはあるまいと思ってそのまま昼食に供したもの。申し訳ありませんでした」と言うことだった。
 「生魚を醤油をかけて食べる和食の料理があるくらい。秋刀魚の頭や尻尾などの生焼けなど大丈夫ですよ」と返報したものだった。

僕は、たいていの焼き魚は骨ごと丸かじりと言うのが習いとなっている。だが、さすがに鯛などは骨を食べるわけには行かない。鯉や鮒も骨が硬くてさすがに食べられない。
鮎・あまごはこれは骨ごとたべられる。僕は今なお自分の歯に恵まれ、よほど硬いものでも食べられるのを有難いことと覚えながら、焼き魚などをその美味を大いに楽しんでいるこのごろである。