なぜカラオケは楽しいのか?
永田 敏男私は若い頃から、カラオケが大好きである。
なんとか歌手のレベルに近づきたいと夢中で練習を重ねたこともある。それはあたかも、イランのダイアモンド鉱山で、ダイアモンドとして磨いた石が、ただの石ころであったと同じ挑戦であり、以前の歌に「蜂の武蔵は死んだの佐」という曲があったが、太陽を突き刺そうとして向かった蜂が、哀れにも地上に落ちて死んだのとほとんど変わらない、私の若い頃の無謀な夢でもあった。
私はひょんなことで、カラオケの大好きなSさんと知り合いになり、意気投合してカラオケボックスで歌ったり、今年に入ってすぐの日曜日に一緒にカラオケ喫茶にも行った。
穏やかな日ではあったが、やはり冬で、日頃家の中の仕事で、温室育ちの私には、この寒さで震え上がるほどでした。
喫茶店についても誰も他の客はいなくて、我々だけであった。
コーヒー券一人500円とカラオケの券が、6枚綴りで1000円を3冊買った。
コーヒーとつまみのあられが小皿に乗せられ出され、一口飲んでいよいよ券に曲目を書いて出汁、マスターが局名を言って初めはsさんが歌った。
彼は定年後これが仕事だとはりきっていて、新曲を200曲くらいは歌えるという。
もう10年近くもこの喫茶にきていないが、マスターが覚えていてくれて、「あんたは歌を止めたかと思ったよ」と言ってくれたのが嬉しかった。
4・5曲歌ったところで、私は声が出なくなり、彼のワンマンショウとなったが、さすがに声も洗練され、のびのある声は疲れを知らぬほど続いたのが、うらやましくもあり、私より三つ下であるだけなのにこの違いはどうしたことだろうとやや落ち込んだのも事実であった。
1時間くらい歌っていたら、二人他のお客さんが入ってきたが、30分くらいしゃべりまくって、歯の浮くようなお世辞を残して出ていってしまった。
その後も他のお客さんはなく、我々のオンス提示で4時近くに喫茶店を出た。
Sさんも私の家にきて、私が準備したステレオに組み込んだマイクと音源のパソコンで2曲くらい歌って、後はいろいろと話をして帰って行った。
後から私は、どうしてカラオケが歌いたくなるのかと考えてみた。もちろんその前提としてカラオケが好きだと言うのが欠くことのできない条件であることは間違いない。
一つには、歌手に魅了され、その歌声に近づきたいと思うことであろう。
私も三橋三智也にとりつかれ、彼の純朴な民謡調の歌と節回しは私を虜にしたが、彼以来似通った人さえも現れることはなかった。
二つめは、レコードではあっても、あの楽団の音響に乗って歌うことの感激である。
まるでスターになったようにも感じることがある。
私の知っている奥さんで、やはり歌が大好きで、自分で発表会を開き、観衆の中をマイクを片手に握手をして回った人もいる。
三つ目は、いろいろな人と友達になれるということである。
私も、民謡もならい、カラオケも好きだったので、たまにはどこかで声をかけてくれたり、治療にきてくれた人もある。
それにしても、もうこの趣味から遠ざかっているので、そのような人も減ったことは否めない事実である。
もうあの若さは帰らないし、燃え尽きた情熱の復活はないだろう。いうなれば、私自身が燃えるのもそんなに遠い月日ではないだろう。