穴があったら入りたい

近藤 貞二

例えば「ズボンやスカートのファスナーを開けたまま出かけてしまった」とか、「服の値札やクリーニングのタグをつけたまま外出してしまった」…というような、恥ずかしさに顔から火が出るような思いをされた方は、目が見えるとか見えないとかにかかわらず多くの人が経験されたことがあるのではないでしょうか。

でもここでは、目が見えないがための、あるいは見えにくいがための失敗や気まずい思い、恥ずかしい思いの話をまとめました。
言い換えれば、晴眼者(視覚に障害のない人)ではまずできない笑える貴重なエピソードです。

視覚障害者でよく聞く話では、左右違う色の靴下をはいていたとか、弱視の人では鏡に映った自分の姿に話しかけたとか、マネキン人形に話しかけたとか…。

これらは視覚に障害があるからこその失敗?勘違い?間違いに気づいた時や間違いを指摘された時、いくら見えないから仕方がないといっても、やはりおもいっきり恥ずかしいものです。

顔から火が出るような恥ずかしい体験も、穴があったらすっぽり入りたくなるような恥ずかしい体験も、すべては時がたてば笑って話せるような……。
そんな数々をおもちゃ箱の14号(ホームページには公開されていません)で「だから人生は楽しい」というタイトルで書きましたが、今回はそれに加筆・修正してまとめたものです(はっきりいって手抜きです)。

まず最初は、弱視で知り合いの女性の話です。
ある日彼女は、最寄りの駅でご主人の迎えの車を待っていたそうです。間もなく彼女の近くに止まった車がクラクションを鳴らしたので、かけていって「早かったじゃない」とかいいながら助手席に乗り込んでびっくり!!なななんと、勢いよく乗り込んだその車の運転席には、ぜんぜん見知らぬ人が座っていたそうです!!
自分の家の車だと思って勢い良く乗り込んだのに、知らない人の車だと気づいたときの彼女もびっくりで頭の中が真っ白になったでしょうけど、いきなり乗り込まれた方もさぞかしびっくりだったでしょうね。なにしろ彼女は白杖は持っていなかったから、乗り込まれた方としても、その驚きはなおさらでしょう。
でも、その運転手は悪い人ではなかったからいいようなものの、もし悪い人だったらと思うと、恥ずかしい笑い事ではすまなかったかもしれませんね。

弱視といえば、こんな話もあります。
これは友人の妹さんがまだ中学生の頃の話なのですけど、その妹さんはかなり視力が悪くて、コンタクトレンズを外してしまうとほとんど見えないらしいのです。
けれど、夜でしたけど、家の近くのコンビニぐらいなら、コンタクトレンズがなくても行けるからって着けずに出かけたそうです。
すると、コンビニの近くの薄暗い所に、男性らしい人が一人で立ってるのが見えたそうです。それを彼女はなんとなく何をしてるのかなってジーっと見えにくい目で見ていたそうです。
もちろん数秒のことでしょうけど、そうしたら、その男性にね、「おねえちゃん、そんなに見つめられたら、出るものも出なくなるよ」だって!!
状況が解った彼女は、とたんに恥ずかしくなって、買物もせずに走って家に帰ったそうです。

見えにくいと、ついジーっと見てしまうものなのですよね。それが全盲だと、たまたま何かが触れたりすると、それが何なのか手で触ってしっかり確かめたくなるものです。

私はある洋服店で、ハンガーにかけられたジャケットを片っ端から触って物色していましたところ、手を少し動かすと、洋服らしきふんわりした感触のものが手の甲に触れました。
これはどんなのかなって手を伸ばして大きくしっかり触ってみると、なななんと、私の手から逃れるようにその洋服がスーっと動くではありませんか!!
私が触っていた服は、ハンガーにかけられた売り物の洋服ではなくて、隣で見ていたお客さんが着ている洋服だったのでした!!

また、こんなこともあります。
それは、目的の人がそばにいると思って話しかけたら、誰もいなかったということです。
例えば、友人とお店で何か見ているうちに、友人と少し離れてしまったり、友人との間にほかの人が入り込んでいたりするのに気づかずに、「これはなあに」とか、「これいくら」とか友人に話しかけて、しーんとしていることあります。
返事がなくて初めて友人が近くにいないのだなと気づくのですが、きっと周りの人は「変なヤツ」と思ったでしょうね。
それだけでも恥ずかしいのに、近くにいた知らない人が「これはねえ・・・」とかいって、自分に聞かれたと思ったのかそれとも状況を解ってなのか知らないけれど、私に商品の値段や説明をしてくれることもあります。
当然友人の声が帰ってくると思っている私は、知らない人の声にてれ笑いしてお礼を言うしかありません!!

私はホームセンターやバラエティーショップなどのお店を見て歩くことも好きです。
ちなみに全盲の場合、“見ること”イコール“触ること”です。
そんな店内を見て歩いていて、体や白杖の先が何か柔らかい物にぶつかると「すみません」と謝るのですが、それがぶら下がっている洋服だったりバッグなどの商品だったりして、人じゃなかったのだと気づくと急に恥ずかしくなります。
もっと恥ずかしいのは、先の例でも書きましたが、人じゃないと思って触ると人だったというときです。それが女の人だったりしたら…!!何しろ見ることイコール触ること、しかもしっかり触って何なのか確かめたくなるものですから!!申し訳ないやらなんやらでもう恥ずかしさは絶頂点です!!

お店関連ではこんなこともあります。
レジで、お札を出しておつりをもらおうとして手を出したのですが、レジのおねえさんは何かしていてなかなかおつりを渡してくれません。
タイミング良く私の手のひらにおつりを乗せてもらえれば何の問題もないのですが、出したこの手はどうすればいいのでしょうか!!いったん引っ込めるべきなのでしょうかねえ。

レジの支払いでもっと恥ずかしかったのは、お札だと思って出したのが、お札のように折りたたまれたただの紙だったことです!!

お金の間違いについては晴眼者でも時にあるようですが、歩行に関してはやはり視覚障害者でないと、そうそうおもしろい話はないでしょう。

私は歩いて通勤しているのですが、通勤途中で「おはようございます」なーんて声が近くで聞こえると、知り合いの人が挨拶してくれたのだと思って「おはようございます」と、元気よく私も返します。すると同時に私の後ろでも「おはようございます」という声がする!!
なーんだ、私じゃなくて、他の人に挨拶したのだと気づいたとたんに恥ずかしくなって、苦笑いするしかありません。
相手の方も笑っておはようございますと私にも言ってくれますけど、穴があったら入りたいってこのことです。

いつだったか、こんなこともありました。
私が住む町は田舎町で、道路から外れると畑につっこんでしまうような所もあります。
ある日私は、白杖を大きく横に振って、道路の端を確認しようとしました。すると杖の先は柔らかな土の感触をとらえて、そこが畑だと知りました。
しかし、白杖を戻そうと引っ張っても、杖の先を何かに捕まれてしまったように抜けないのです。いくら耕されている柔らかな畑だとしても、白杖が突き刺さるような感触はなかったのに、いくら杖を引っ張ってもビヨーンビヨーンと延びるだけで抜けません!!
これは畑に住む大モグラに杖の先を捕まれてしまったと思いしんけんにあせりました。
それでもモグラに白杖を持っていかれては困りますので、私は必死にビヨーンビヨーンと延びる白杖を引っ張って悪戦苦闘しましたよ。
そこへおばあさんの突き刺さる名古屋弁の声!
「そんなに引っ張ったら網が破れてまうがやぁ」と。
えっ、アミ?アミって何だ?と思いながら杖の先を触ってみると、初めて畑に張られた鳥よけ用のネットが白杖の先にからまって抜けなくなっていることを知りました!!
最初から見ていたであろうおばあさん、ごめんしてね。

視覚障害者は、物を落とした時も困ることがあります。
先日混み合った電車で、立ったまま携帯音楽プレーヤーの電池の交換をしておりましたところ、電池が私の手をすり抜けて床にコロコロっと転がってしまいました。
恥ずかしさと同時に「あっ!どうしよう!!」と、見えない私がすぐに拾えるはずもありませんが、思わず電車の床にはいつくばって、お客さんの足下を手探りで電池を探す自分を想像しながら、頭の中を恥ずかしさとどうしようマークがものすごい勢いで駆けめぐりました。
その直後、近くにいた女性が拾ってくださり、私はほっと胸をなで下ろしました。
ちょっぴり恥ずかしくて、とってもうれしいできごとでした。

最後にきたなくて申し訳ないのですが、恥ずかしさに加えてちょっと困った話です。
外出先でお腹がゴロゴロ痛くなった私は、駅のトイレに駆け込みました(大きい方です)。
幸いいくつかあるうちの空き個室(和式)を見つけて一安心。
用を済ませてすっきりした気分になって出ようとすると、水洗レバーが見つかりません!!
いくらきれいなトイレだとしてもそんなに触りまくりたくありませんが、もうそのまま流さず出てやろうと思いながらもレバーがありそうな所を何度も探してみましたが見つけられません。
どこにあるのだ水洗レバー??せっかくお腹はすっきりしたというのに、気分はあせりまくりの困惑状態。
しかし、いくらなんでも流さないまま出ることもできず、また今後のことも考えて、意を決して誰かに聞くことにして個室から出た私は、その時たまたまトイレに入ってきた人に水洗レバーの位置を教えてもらいました。
いくら同性でも、人に見せるものでもないし見たくもない私の汚物を残したままで!!彼は気にする様子もなく教えてくれましたが、私は穴があったら生き埋めになりたかったです…。
結局水洗レバーは、壁に埋め込まれたボタン式でしたので、見つけにくかったようでした。

トイレがらみでもう一つ。
まだ若かった頃の話ですが、彼女と花見に行ってトイレ(小さいほう)に行きたくなった私は、近くにいた男の人に男性用のトイレの中まで誘導してもらいました。
トイレはかなり込んでいて、入り口で並んで順番を待つ形式のようでした。
ところがそれを知らない私は、誘導されたそこが便器の前だと思って、何か違和感を感じながらもズボンのファスナーを下げて用を足そうとした瞬間、さきほどの男性が何か言いながら小便器の前まで誘導してくれました。
そのとき初めて、便器でなくトイレの入り口で用をたそうとしていたことを知りました!!
便器じゃない所でしなくてつくづく良かったと思いますけれど、いま思い出しても顔から火が噴き出して火事になりそうです!!

今回はこれくらいにしておきますが、視覚障害者の多くが上記のようなエピソードは皆さん持たれておられるのではないでしょうか。

顔から火が出るような恥ずかしい体験も、穴があったら入りたくなるような恥ずかしい体験も、自分が思うほど人は気に留めていないのが常…。

けれど、これを書きながら、最近は恥ずかしい思いをすることが少なくなっていることに気づきました。
それは、私自身が慎重になったわけでも何でもなく、単に人と関わる機会が減っているのだと思い、少しさみしさを感じるこのごろです。