結構毛だらけ猫灰だらけ

近藤貞二

映画、「フーテンの寅さん」といえば「男はつらいよ」ですね。

私は特に映画好きというわけでもありませんし映画に詳しいわけでもありません。むしろ疎い方です。
 小学生の頃は、学校の講堂で映画を時々見せられたことは覚えていますが、それがどんな映画だったのかどんな内容だったのかまったく覚えていません。

またそのころ、近くの神社の境内などで時々映画の上映会が行われたりして、私も何度か見に行った記憶はありますが、これもどんな映画だったのかまったく覚えていません。ただ、大きな布のスクリーンにどうして人の姿や景色が映し出されるのか不思議に思ったことは覚えています。
 どうやら子どもだったそのころの私には、視力が弱かったせいもあってか、映画の内容よりも映画が映る仕組みの方に興味があったようでした。
 そして映画はそっちのけで、スクリーンの裏に回ってみました。そしたら、大きなラッパ形をした物から映画の音が出てることが分かりました。
 「ははーん」と音の出所は分かりましたが、どうしてスクリーンに人の姿や景色が映るのかは依然として分かりませんでした。しかし、観客の後ろの方でジリジリと音をたてている機械がどうやら映画の元であろうことは想像できました。

とまあ、こんな調子でしたので、大人になってからも映画にはほとんど興味もありませんでしたし映画館へ行ったこともあまりありませんでした。
 しかしです、ひとつだけ好きな映画がありました。
 それがフーテンの寅さん「男はつらいよ」でした。

この映画は、誰もが一度は見たことのある映画のひとつであろう松竹の「男はつらいよ」シリーズで、監督は山田洋次。渥美清が主人公の車寅次郎、通称「寅さん」の愛称として長く親しまれました。
 記念すべき第1作目の封切りは1969年8月27日といいますので、大阪万博が開かれた前の年でしょうか、私はまだ中学生でした。
以後48作目の1996年までという27年間も続いたという超大作映画です。
 もちろんスタッフも監督も最初からロングシリーズをねらったわけではないと思いますが、27年間で48作も続いたというのは、こうしておもちゃ箱の原稿を書くだけで頭を悩ませている者からすれば、それがたとえプロとは言え、作り続けること、演じ続けることはとてつもなくすごいことだと思います。

今年は、その「男はつらいよ」が最初に放映されてから丁度40周年になるそうです。
だからという訳ではありませんが、私の寅さん談義にしばらくお付き合いください。

私が初めて「男はつらいよ」の映画に出会ったのは、盲学校の文化祭でこの映画が上映されたときでした。例によって興味もなくぼーっと見ていましたので、それが何作目のものだったのか、どんな内容だったのかまったく覚えていません。
 ただ覚えているのは、隣の席に座っていた同級生の友人が、足をバタバタさせて大笑いしていたことでした。

次にこの映画に出会ったのは、それから間もなくのこと、友人につれられて今はなき名駅前の「名古屋松竹座」へ見に行った時でした。
 たぶんこのときお金を出して見た初めての映画だったと思います。
 だからかどうか分かりませんが、この時のものはおぼろながらではありますが内容を覚えていて、調べてみましたら18作目だったようです。
 檀ふみが満男君の先生役で出てました。でも、寅さんが恋をするマドンナは檀ふみじゃなくて、そのお母さんで京マチ子が扮する綾(アヤ)でした。
そしてその綾さんは、病気で亡くなってしまうのです。
男はつらいよでマドンナが亡くなってしまうというのはこの作品だけではなかったでしょうか?

マドンナ役の綾さんに恋をする寅さんでしたが、病で数か月の命ということを知らされていない寅さんは、毎日綾さんの家を訪れて楽しげに将来の夢を聞くのでした。
そして、体調がよくなったらどんな仕事をしたらいいのか、とらやの団欒で綾さんの仕事をみんなで話し合い、バカを言いながらも真剣に考えている寅さんでした。

一方さくらは、綾さんが長い命ではないことを知らされており、複雑な思いで寅さんと綾さんを見守るのでした。
 結局綾さんは間もなく亡くなってしまい、例によって今回も寅さんの恋は実ることなく、現実を忘れるように旅に出るのでした。

とまあこんな感じの内容だったと思いますが、私がこの映画で印象に残ったのは、妹のさくらに見送られて寅さんが柴又駅から旅に出る最後のシーンです。
 別れの柴又駅ホームでの寅さんとさくらの会話は、内容まではもう覚えていませんが、寅さんの綾さんを想う気持ち、そしてさくらの寅さんを想う気持ちが何とも愛おしく思いました。
 そして「綾さんの仕事は花屋さんがいい」と、すでに亡くなってしまった綾さんの将来を夢見るように、寅さんが最後にさくらに告げたのがなぜか私の心に残っています。

私はそれまで、盲学校の文化祭で足をばたつかせて大笑いしていた友人の印象が強かったせいか、男はつらいよといえばおもしろいだけの喜劇だとばかり思っていました。
ところが、寅さんの綾さんに対するひたむきな愛情には泣かされました。そして、さくらの寅さんに対する思いやりみたいなものにも泣いてしまいました。
 泣かされたといっても、お涙ちょうだい的な涙ではなくて、胸の中がポカーっと熱くなるような暖かさで、自分が優しくなっていくように感じました。
私が優しくなれたというのは錯覚のようでしたが、その暖かさはこれまで味わったことのないような感覚だったように思います。

とかく人の死をえがく場合、どうしても暗く絶望的になりがちですが、この作品では、マドンナの悲劇や絶望を過剰に表現されておらず、むしろ寅さんの心の動きやさくらの心の動きに重点が置かれていて、絶望の中でも豊かな想像力を持ち、人の気持ちに寄り添うことの大切さをこの作品が教えてくれていたように思います。

以来私は「男はつらいよ」のとりこになり、以後の作品は封切りになると寅さんや寅さんの家族に会いに映画館へ行くのが楽しみになりました。

大ヒットする映画は時々ありますが、でも、心から笑え、楽しめ、そしていつまでも心の奥底に残る映画はそういくつもあるものではないかもしれません。
時間がたってからもう一度見たいと思う映画もそうは多くないはず。まさに「男はつらいよ」は、私の中では何度でも見たくなる映画の一つになりました。

これは私は知らなかったのですが、もともと「男はつらいよ」は映画化される以前、フジテレビの連続ドラマとして半年ほどテレビで放送されていたそうですね。
 そのドラマの最終回では、寅さんは沖縄でハブに噛まれて死んでしまったそうですが、これを見た視聴者からテレビ局に「どうして寅次郎を死なせたんだ!」 「ドラマの続編での復活をしてほしい」といった抗議と要望の電話が殺到したそうです。
 そういうこともあって、山田監督は今度は映画で寅次郎を復活させたということのようです。

ご存じ男はつらいよの舞台は、東京戸葛飾区柴又です。
映画の設定ではここが寅さんの生まれ故郷ということになっています。
そして寅さんの家は帝釈天参道の一角で「とらや(途中から『くるまや』に変更)」というだんご屋を営んでいます。
 営んでいるといっても、寅さんのおいちゃんとおばちゃんがだんご屋をしてるのであって、寅さんは渡世人ですので旅先からたまに帰ってくるだけで、帰れば帰ったでひともんちゃくあってもお店を手伝うようなことはありません。
 それでも二階にはちゃんと寅さんの部屋があって、いつ寅さんが帰ってきてもゆっくりできるようにそのままにしてあり、おいちゃん・おばちゃんの暖かさを感じます。

その柴又には私も何度か行ったことがありますが、最近は帝釈天参道の街並みも他の門前町と同様、参道らしくないおしゃれな街灯が建てられたり、道には敷石が敷かれたりしてきれいになったそうです。
 街がきれいになったりお店がきれいに建て替えられたりしても、東京とは思えないほど風情のある下町の門前町であることは今も変わらないと思います。
 かりに街の雰囲気がどう変わろうとも、そこに寅さんやさくら夫婦がいて、とらやの面々やタコ社長がいて、そしてそれらの人を取り巻く人たちがいたことは男はつらいよファンの記憶から消えることはないでしょう。

柴又の最寄り駅は京成金町線の「柴又(しばまた)駅」です。
上野方面から行く場合は、京成線の高砂駅で京成金町線に乗り換えて、そこから2つ目の駅が柴又駅です。
 柴又駅を下りればもうそこは寅さんの世界!!
 駅前には寅さんの銅像も立てられていて、「チャーン チャラリラリラリララーン」と、今にも男はつらいよのテーマソングが聞こえてきそうです。
そして

「わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。
帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します」

と、おなじみ寅さんの口上が聞こえてきそうです。

柴又駅のほど近い所から柴又帝釈天の参道が始まっており、参道の両側にはだんご屋さんやせんべい屋さんやウナギ屋さんなどのお店が何軒も建ち並んでいて、とてもにぎやかです。そしてあちらこちらからいい臭いが漂ってきて、お腹には誘惑いっぱいです。特にウナギ屋さんの臭いはたまりません!!
「トントントントン… トントントントン…」と、リズムよく飴を切っている音も聞こえてきます。

映画の柴又ロケでは、帝釈天参道でだんご屋さんをしている「高木屋」というお店がスタッフの休憩や着替え場に使われたそうで、店内には撮影時のたくさんの写真が飾られています。またこのお店がとらやのモデルになったとも聞いています。
でも、いつ行ってもお店は混み合っていて、残念ながら映画に出てくるようなおばちゃんやさくらには会えませんでした。

寅さんの口上にも出てくる有名な〈帝釈天〉(正式名称は「経栄山題経寺(きょうえいざん だいきょうじ)」というそうです)はその参道をまっすぐ進んだ右側にあります。
 この門前でいつもげんちゃんが掃除をしたり、さくらが御前様と寅さんのことを話したりしているシーンがどの作品にもよく登場しました。
 帝釈天の境内は結構広かったように感じました。
 ここでお賽銭はずんでお参りなんかしてたら、もしかしたら笠智衆が扮する御前様(ごぜんさま)が「こりゃぁ困ったァ〜困ったァ…」といつものせりふを言いながら出てくるかも!!

ちなみに、「御前様」というのは日蓮宗の住職のことです。決して帰りが遅い、「午前様」ではありません!!
 日蓮宗では、お寺の格式によって「お上人様」 「御前様」 「貫主・首様」と変わっていくようです。

帝釈天外構の石柱には、渥美清さんや倍賞千恵子さんをはじめ、いろいろな有名人のお名前が一般の方の寄進者のお名前に混じってあるそうですので、そんなのも探してみるのも楽しいかもしれません。

寅さん記念館は私が行った時はまだありませんでしたが、帝釈天のもう少し先のようです。
 この記念館には「男はつらいよ」にまつわる数々の物が展示されています。おそらくもう無くなってしまった大船撮影所に展示されていた物もこちらにあると思います。

そしてさらに先に進むと江戸川の堤防に出ます。この堤防はとても広くて、男はつらいよでも寅さんが芝生の上でボーっと横になっているシーンなどでよく出てくるようです。
 またそこには細川たかしが歌って有名になった「矢切の渡し(やぎりのわたし)」があって、たぶん今でも100円ぐらいで対岸まで渡らせてくれると思います。もちろん観光用です。
渡った対岸はもう千葉県松戸市です。そこには矢切の渡しの歌碑がありました。
 またこの辺りは、伊藤左千夫の小説「野菊の墓」の舞台でもあります。

矢切の渡しですが、船には20〜30人ぐらいは乗れるでしょうか、手こぎの木造船で、ギーコ ギーコと音をたててゆっくり進むのがのんびりしていて何ともいいのですが、びっくりしたのは「グイー グイー」と、大群の水鳥らしいけたたましい鳴き声が船とともに動いてくるのです。
 なんだと思ったら、無数のユリカモメ(通称ミヤコドリ)が船を取り囲むようにして鳴いているのでした。
 聞いてみると、渡り船に乗ったお客が、ユリカモメのえさとして買ったかっぱえびせんを投げてやると、そのかっぱえびせんめがけてたくさんのユリカモメが争って食べに寄ってくるとのことでした。
 私もかっぱえびせんを買って船に乗り込み、半分は自分の口へ、半分はユリカモメのために空中へ投げてやりましたが、えさであるかっぱえびせんをめがけてたくさんのユリカモメが大きな鳴き声揚げて群がるのはちょっと怖い感じがしました。
姿はきれいだそうですが、結構どう猛な鳥という印象です。といっても、人に危害をあたえるようなことはないと思いますけどね。

ちなみにユリカモメは、東京都の鳥に指定されています。

とまあ、男はつらいよファンじゃなくても、この辺りは1日ゆっくり楽しめる所だと思います。

男はつらいよの舞台は柴又ですが、映画では毎回日本各地で寅さんが活躍?します。たしか名古屋でもその舞台になったことがあるように思いますが、記憶は定かではありません。
 いずれにしても旅先でマドンナに恋をする寅さんですが、柴又へ帰って一悶着起きる寅さん一家。結局恋は実らずまた旅に出る寅さん……。というのがいつものパターンですが、定職にもつかず乱暴で下品な寅さんのこの映画が、どうしてこれほどまでに多くの人から愛されたのか??

私は冒頭にも書きましたように、映画に詳しい訳ではありませんし映画を評論できるような知識もありません。ただの男はつらいよファンの一人です。
 そんな男はつらいよファンの一人としてみれば、誰も本当は寅さんのような生き方をしたいと思っている人が多いということだと思います。
 しかし、実際には寅さんのような生き方なんてできるはずもないし、もし本当に寅さんのような人が身近にいたとしたら、それもまた考えものでしょう。考えものというより、誰からも相手にされないことでしょう。
たぶんその現実と非現実的なあこがれの大きなギャップがおもしろいのだと私は思います。

それと、男はつらいよのおもしろさは、やはり一番は何と言っても渥美清さんが演じる主人公「車寅次郎」のキャラクターでしょう。
 あの何とも言えないユニークな話術、そして何とも言えない存在感のあるキャラクターは、車寅次郎 イコール 渥美清として、他の映画には出られないほど強烈にその魅力を印象づけました。

俳優としての「渥美清」が他の映画の主役として抜擢されにくいほど「車寅次郎」の印象を強くしてしまったことが、俳優として幸せなことかどうか分かりませんが、もし渥美さんがご存命なら聞いてみたいところではあります。

渥美清さんの死をもって、長く続いた男はつらいよのシリーズは終わりましたが、今も男はつらいよファンはもちろん、私の中にも、間違いなく寅さんを取り巻く面々がいつまでも生き続けるのだろうと思います。

最後に、寅さんがテキ屋として縁日でよく行う口上で私の好きな一説を紹介します。テンポよく読んでください。

結構毛だらけ猫灰だらけ。見上げたもんだよ屋根屋のフンドシ。
見下げて掘らせる井戸屋の後家さん。上がっちゃいけないお米の相場、下がっちゃ怖いよ柳のお化け。馬には乗ってみろ人には添ってみろってね。
モノのたとえにもいうだろう。モノの始まりが一なら国の始まりは大和の国。
泥棒の先祖が石川五衛門なら人殺しの第一号が熊坂長範。
巨根(でかいの)の手本が道鏡なら覗きの元祖は出っ歯で知られた池田の亀さん出歯亀さん。
兎を呼んでも花札にならないが、兄さん寄ってらっしゃいよ、くに八つぁんお座敷だよと来りゃァ花街のカブ。
憎まれっ子世に憚る、日光結構東照宮、産で死んだが三島のお千、お千ばかりが女じゃないよ、四谷赤坂麹町、チャラチャラ流れるお茶の水、粋な姐ちゃん立ち小便、驚き桃の木山椒の木、ブリキに狸に蓄音機、弱ったことには成田山、ほんに不動の金縛り、捨てる神ありゃ拾わぬ神、月にスッポン提灯じゃ釣がねえ、買った買ったさァ買った、カッタコト音がするのは若い夫婦のタンスの環だよ。