ボヘミアの古都プラハとウィーン・ブダペストの旅行記
happiness Mariボヘミアの古都プラハとウィーン・ブダペスト8日間の旅行記です。
2008年6月

BGMはモーツアルトのフィガロの結婚です。
見たことがないものを見てみたい、感じてみたい、人や文化、言語に触れてみたい
そんな好奇心で海外旅行をしています。
日本とは全くちがう外国の街並み、その街独特の空気、雑踏などに私は胸がときめくのです。
日本では出会えなかった人との出会い、初めて味わうその国の食文化。
それらも旅行を楽しませてくれるとても大きな要素になっています。
そして帰国後は私自身が体験したたくさんの思い出がいつまでもいつまでも私に余韻を残し、気持ちを豊かにしていてくれます。
今回のボヘミアの古都プラハとウィーン・ブダペストの旅行は
これまでの旅行とはちょっとちがう体験がいくつかあってその楽しかった思いを旅行記にしました。
1日目
セントレアで搭乗手続きを済ませスーツケースを預けると身軽になったところでまずはユーロに両替です。
ヨーロッパはカード社会でATMもあるからたくさんはしません。
これで出発直前の準備はOK。
出国手続きをすませると静かな空港ラウンジで飛行機の搭乗時間までリラックスです。
今回は中部国際空港からフランクフルトまでルフトハンザの直行便です。
ルフトハンザはなかなか親切で快適でした。機内食は2回、おにぎり・サンドウィッチのおやつもあり、飲み物はいろいろあって何度もサービスしていました。
名古屋からフランクフルトまでのフライト時間は11時間ほどです。
フランクフルトはドイツの表玄関でドイツの観光のゲートウェイとなっています。
旅行ベストシーズンは気候の良い夏から秋にかけて(6〜10月頃)がベストシーズンといえるでしょう。
フランクフルトからはトランジットして国内線でプラハへ向かいます。
空港内はバスで移動してタラップを上がって小型飛行機に乗り込みます。時間として1時間程度で到着なので、飛び立つとすぐ食事が出てきました。フランクフルトは晴天、飛行機も揺れず快適。
ここで出てくるフランスパンにサンドされてるソーセージ・チーズはおいしい。
実はこれが楽しみの一つだったのです。以前スペインに行った時もここフランクフルトからトランジットして国内線で出たこの機内食のパンが忘れられなかったほどおいしかったので楽しみにしていたのです。
さすが本場だけあってソーセージはおいしい!
食べて、一息つくともうチェコ上空。
あっという間です。
想像より近代的な空港に到着。
チェコ・プラハです。
こちらは夜だというのに明るくてびっくり。
お天気もよくさわやか。
ここでもやはり両替を空港内でしました。日本円1000円札を両替機に入れるとチェココルナが出てきました。チェコのお金、おもちゃみたい。
小銭のコルナはトイレチップやポーター、まくらチップですぐに必要なんです。
お金ですが、チェコ・プラハの通貨はコルナ、
オーストリア・ウィーンの通貨はユーロ
ハンガリー・ブダペストの通貨はフォリント
というようにこれからは通貨が国によってちがいます。
1日がかりでチェコ・プラハに到着し長かった1日もやっと手足を伸ばせそうです。
今夜はチェコ・プラハで宿泊。
ホテルで驚いたのは日本のテレビが放映されていたこと。
13チャンネルに合わせるとNHKと民間が入り交じって放送されていました。
これを見てるとなんだか遠くにきた感覚がうすらいでしまいそう。
2日目
プラハの朝は快晴。
鳥のさえずりも大空に響き渡ってすがすがしくさわやか。
さて、いよいよプラハ観光の始まりです。
プラハは中世の趣を残す美しい数々の建造物が多く、そびえたつプラハ城や寺院、教会、宮殿と、その街並が世界遺産でもあるチェスキー・クルムロフなど見所が満載。
午前中はボヘミア古城観光。
緑深いボヘミア地方にゴシック様式の雄姿が映えるカルルシュテイン城の観光。
城は丘の上でかなりの上り坂だったので行きだけ馬車に乗って行くことにしました。
雄大な景色を感じながら馬の蹄が甲高く響き、とっても優雅。
城の麓には、みやげ物屋さんが並び、朝早かったせいか観光客も比較的少なく静かでのんびりな雰囲気でした。
中世のお城って感じです。
お城から見下ろす風景も抜群。
城内は日本語ガイドで所要時間45分ほどで見学しました。
ここの中はカレル4世が収集した宝物や使用したものがそのままの状態で残されています。
昼食はグヤージュ。
グヤージュはハンガリーの名物料理です。シチューみたいに玉葱や人参、ジャガイモなどの根菜類と牛肉をじっくり煮込んだスープです。
ミネストローネによく似たスープでパプリカがたっぷり入っていました。
おいしかったです。
水は硬水と軟水そしてガス入り・無しがありますが、やはりここにきたらビールでしょう。ちなみに水は400コルナ、ビールは350コルナです。
水よりビールの方が安いです。
午後からは世界遺産プラハ市内観光。
丘の上にそびえ建つプラハ城の中に建つ荘厳な雰囲気を湛える
聖ビート教会を訪れ、家並みが可愛らしい黄金の小道にも立ち寄り、
プラハ最古のカレル橋や天文時計がある旧市街広場も歩いて見学してきました。
プラハ城に向かって歩き出すとだんだんと道が、完全な石畳になって
足取りがずいぶんスローテンポに。
石段に到着!石段の脇にはギャラリーがいっぱい。
かなり登るからへとへと。でも眺めはいいです。
やっと入り口に到着!
プラハ城正門です。
プラハ城は色々な建物や大聖堂・広場などがあります。実際ここはもともと城壁で囲まれた一つの町であったという。現在この中の一つの建物が大統領府として使われていて、プラハ城の正面入口のポールにチェコの国旗がはためいているときは、大統領がここにいることをあらわしています。
私がいった時は、チェコの国旗がはためいていました。
プラハ城の敷地に入ってまず誰もが驚くのが、プラハ城のシンボルかと思ってしまう聖ヴィート大聖堂の迫力ではないでしょうか。
大きさといい造りといい、近くで見ると何ともいえない威圧感があり本当に圧倒されてしまいます。
大聖堂の中に入ると特にステンドグラスがすごい!
ステンドグラスや、細かい彫刻などについつい見入ってしまう。
教会自体もとても大きく見所満載で大満足。
次の目的地は黄金の小路 黄金小路とは、1597年にできた本当に小さな通りで、城内で仕える召使いなどが住んでいたところ。 ここの一角はどれも小さな建物ばかりで、それがこの通りの童話の世界のような雰囲気を作っているみたい。 黄金小路の突き当りから階段を下りると、ダリボルカという塔に出る。中世には牢獄として使われていた場所で、ヴァイオリンの名手ダリボルがここにいれられていたという。スメタナのオペラ「ダリボル」は、このことを題材にして作られたものだそうです。 黄金の小路はあっという間で、意外と短く狭い。
プラハで見逃せないのがカレル橋。
プラハ観光のハイライトと言ってもいいでしょう。
ヴルタヴァ川にかかるプラハに現存する最古の石造りの橋で車両は一切通行できず、歩行者のみがこの橋を渡れます。
1357年にカレル4世の命により着工し、約60年の歳月をかけて完成したものです。
全長520メートル、幅は約10メートルもある大きな橋です。
橋の両側の欄干には15体ずつ、計30体の聖人像が並んでいます。
聖書に登場する聖人や、チェコの英雄などの像です。
旧市街から歩いていくと8番目の右側にある像はカトリックの聖人、
ヤン・ネポムツキーの像で、30体の像の中で一番最初に建てられた彫像です。
ヤン・ネポムツキーの台座のレリーフに触ると幸運が訪れるといわれています。
そのせいか、たくさんの人に触られて、その像だけピカピカになっているからすぐに見つけられます。
日本で馴染みのある人の像としてはフランシスコ・ザビエルの像でしょうか。
橋の上は観光客目当てにお土産物を売っているる人や、
音楽を奏でる人、絵画を売る人などがたくさんいます。
それらを覗きながら歩くのも楽しかったです。
またこの橋は、映画「ミッション・インポッシブル」の中で、主人公トム・クルーズがスパイに暗殺されそうになるシーンが撮影されたところでもあるそうです。
カレル橋をそのまま歩いていくと、旧市街広場につきます。
ここもお店や人でにぎわっています。
ここにはプラハ旧市庁舎の天文時計があります。
15世紀頃にプラハの天文学者でカレル大学の数学教授であったハヌシュ氏により製作されたといわれている。
この時計はあまりに完成度が高かったため、他で作られては困るということでハヌシュ氏は目をつぶされてしまったそうです。
その後、この天文時計はハヌシュ氏の死とともにその動きを止めてしまったといわれている。ちなみに現在では、1948年に取り付けられた電動装置で動いている。
この天文時計は午前9:00から午後9:00まで、一時間ごとにからくり時計が動くようになっています。
上部の時計は、地球を中心にしてまわりを星が回る「天動説」に基づいて作られており、下部に取り付けられた時計は、旧市街の紋章を軸に十二の星座が散りばめられているそうです。 からくり時計が動く時間が近づいてくるとたくさんの人がそれを見ようとあつまってじっとその時を待っています。
私もドキドキしながら4時の時報をいまかいまかと待った。
そしてついにその時が……。
すると、どうだろう?時計の上部に取り付けられた2つの窓が空き、イエスの十二使徒が次々と現れたかと思うと、そのまま窓が閉まってしまった。余りにもあっけなく拍子抜けしてしまったが、500年も前に作られた時計と思うとあれ以上のものを期待する方が間違いかもしれません。
チェコといえば、人形劇。さすがにマリオネット屋さんがいっぱい。
私が店内に並んでいるピノキオのマリオネットを珍しそうに見ていると、お店のお兄さんはその人形のマリオネットの手足を上手にあやつって見せてくれました。
おみやげ物やさんとはいえ、マリオネット慣れしていない日本人から見ると、やっぱりすごい。妙に親しみを感じたので買ってしまいました。

歩き疲れたのでカフェテラスでアイスチョコレートを飲んで一休み。 周りを観光馬車が行き交いしていて日本とは全くちがうおもむき。 さすがカフェが有名だけあって生クリームたっぷりで、チョコレートも濃厚でとてもおいしかった。 夕食はプラハの名物ビアレストランに入ってみました。生演奏が各テーブルで演奏してくれチェコの黒ビールを味わいながらにぎやかな夕食でした。 今夜もプラハ宿泊。
3日目
午前はチェスキークルムロフへ移動。
午後からは世界遺産チェスキークルムロフを散策しました。
ヴルタヴァ川の湾曲部に位置するチェスキークルムロフの歴史は13世紀にさかのぼる。
領主ジュムベルク家が統治する華やかな時代を経て、14世紀から盛んになった手工業と
商業とともに500年にわたって穏やかに発展したために、中世の美しい街並みがそのまま残されています。
赤い屋根に白壁の家々、チェスキークルムロフ城へ続く石畳など中世の面影を残す街は、チェコで最も美しい街ともいわれています。
夕食はウィーン風居酒屋ホイリゲにて。
ここでも生演奏を奏でてくれ、愉快で楽しい食事を盛り上げてくれました。
今夜はウイーン泊。
4日目
午前はオーストリア・ウィーン市内観光。
ハプスブルグ家の隆盛を今に伝えるマリア・テレジア・イエローの壮麗な宮殿、世界遺産シェーンブルン宮殿を見学しました。
見学可能な約40室を全て見るグランドツアーで、たっぷりと宮殿の魅力を楽しみました。
モーツァルトが6歳の時、初めて御前演奏をした広間も見てきました。
また、ウィーンの街を見下ろす世界で最も美しい宮殿のひとつ ベルベデーレ宮殿、シュテファン寺院にも行ってきました。 シュテファン寺院はウィーン旧市街の中心に建つゴシック様式の大聖堂です。 地下にはハプスブルク家の内臓を納めるカタコンベがあります。歴代皇帝の儀式がおこなわれたほか、モーツアルトの結婚式もこの寺院でおこなわれました。 続いて、シュテファン寺院近くにあるモーツァルトハウス。 ここはモーツァルトが1784年から87年まで住んだ家で、「フィガロの結婚」はこの家で作曲されたといわれてます。
昼食はウィンナーシュニツェル。
ウイーンの名物料理で薄くて大きなトンカツのようなものでした。
午後からはウィーンの森観光。
ベートーベンゆかりの地、ウィーン北の森を訪れました。
ベートーベンは70回以上も引越しをしたといわれていて、ハイリゲンシュタットだけでもいくつものベートーベンの家があるが、特に有名なのは、「ハイリゲンシュタット遺書の家」です。
1802年、ベートーベンは聴覚が戻らなくなってしまったことに絶望し弟に宛てて遺書を書いているが、その家が記念館として公開されています。
「遺書の家」の近くには、「田園」を作曲したといわれる家やベートーベンがかつて滞在したホイリゲ「マイヤー」などがあり また、エロイカ(英雄)通りやベートーベンの散歩道もあります。
観光も終わりいったんホテルに戻り夕食を済ませ、装い新たにドレスアップ。
ウィーンと言えば本場のコンサート。
ウィーン シェーンブルン宮殿オランジェリーのクラシックコンサートに出かけて行きました。
1997年以来、シェーンブルン宮殿コンサートはウィーンの音楽・文化イベントとして高い評価を受けています。伝統あふれるウィーンのシェーンブルン宮殿オランジェリー で、 シェーンブルン宮殿オーケストラ とシェーンブルン室内アンサンブルが、日替わりプログラムでウォルフガング・アマデウス・モーツァルトとヨハン・シュトラウスの名曲を楽しむことができます。
コンサートの前半は、ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト のオペラから美しい序曲、アリア、デュエット。
盛りだくさんです。
後半は、ワルツ王 ヨハン・シュトラウス の人気オペレッタのアリアやワルツ、ポルカのオンパレード。「こうもり」や「ジプシー男爵」、そして「美しく青きドナウ」から「ラデツキー行進曲」にいたるまで、数々の名曲が堪能できます。
コンサートでは、ソプラノ歌手とバリトン歌手のほか、チャーミングなバレエダンサーのペアが、美しいコスチュームで夢のひと時を演出してました。
素敵な世界に浸ることができて私の感性は高まったことでしょう。
コンサートの響きは今でも私に余韻を残し、豊かな気持ちにさせてくれます。
ウィーンのニューイヤー・コンサートは60年以上にわたる伝統を誇っています。毎年大人気のこのクラシック・イベントは、世界的にも大変有名なコンサートです。50カ国以上のテレビやラジオで放送され、世界中の何千万人もの人が視聴します。
2009年のニューイヤーコンサートは、ダニエル・バレンボイムが指揮します。
ウイーンの夜は黒いスーツの人、ワンピースの上に黒の上着を羽織った人、服装と時間
から想像すると、
みなさんもオペラかコンサート帰りのようです。
おそらくウィーンはオペラやコンサートが頻繁に開かれているのでしょう。
この日はウイーン泊。
5日目
【午前】スロバキアのブラスチラバ散策。
古き良きヨーロッパの面影が残る旧市街を散策してきました。
その後、パンノンハルマへ
【午後】世界遺産ベネディクト会修道院観光。
1000年の歴史を誇るハンガリー最古のキリスト教会で現在も修道僧が修行をしている。
又、周囲の丘一帯は、動植物が豊富で周囲の自然環境を含め世界遺産に指定されています。
ドナウベント地方のセンテンドレに立ち寄りながらブダペストヘ。 センテンドレでは可愛らしい町の散策を楽しみました。 ゆるやかな坂道の両サイドには 思わず入ってみたくなるようなお店がたくさんありました。 観光も終わりホテルに。 ホテルで食事を済ませると楽しみにしていた温泉体験が待っています。 温泉王国ならではのスパ付ホテルは温泉水を利用したプールを体験できます。 このホテルの宿泊者は部屋から水着に着替え、バスローブを着て、専用エレベーターで ハンガリー式温泉を利用することができます。 室内は広く吹き抜けになっていて明るく清潔で温泉水は38度でお風呂より少しぬるめ。 温泉・プールがいくつかあって、プールで泳いだり歩いたり、腰をかけて温泉につかったりジャグジーでリラクジェーション。 旅行疲れもそろそろ出始めるころでしたが、この温泉でいやされました。 温泉好きの私、海外で体験するなんて夢のよう。 この日はブダペスト泊。
6日目
午前】世界遺産ブダペスト観光。
激動の歴史と共に変遷を繰り返してきたブダ地区の王宮の丘にあるドナウ川から国会議事堂まで見渡せる漁夫の砦、歴代王の戴冠式や婚礼も行なわれたマーチャーシュ教会、ブタペストでも最大規模の大聖堂・聖イシュトバーン大聖堂、活気溢れる中央市場などを観光してきました。
1988年に世界遺産に登録された王宮の丘は、この地にハンガリーの王が移り住んだ13世紀以来の幾度にもわたる紛争や災害にかかわらず、復旧と修復によって現在でもその美しさを保ち続けており、情緒あふれる中世の面影を残しています。
石畳に響く小さな足音が、悠久の歴史へと誘ってくれるようでした。
昼食は、ブダペスト一の広さを誇る英雄広場近くのレストラン。
ハンガリー名物の一つでフォアグラがあります。アン肝のようなお味でした。
ワインとあって美味でした。
食事を済ませると広場を抜けて地下鉄に乗ってブダペスト一の繁華街、ヴァーツイ通りに行きました。
ここは歩行者天国になっています。
街は大道芸人がいたり、音楽を奏でる人がいたりとにぎやかでお店もたくさんあってショッピングしたりカフェでお茶したりと楽しい時間でした。
ブダペストを訪れて観光以外に感じたことは、地下鉄の中などで若い人が老人に即座に席を譲るなど、貧しいにも関わらず、社会的モラルが非常に高いということです。人々は大変文化的で、誇り高いのです。
旅行の締めくくりは夜景が見えるレストランで夕食をして、街のイルミネーションを観賞するロマンチックな ドナウ川クルーズ。
くさり橋がライトアップされているのと川沿いの道路を走る車のライトがまた夜景の一部となってとてもキレイ。また、色々な建造物もライトアップされていて
ものすごく美しい。
ナイトクルーズは心地よい風を肌で感じながらゆったりと楽しむことができました。
最後の夜もまた一つ、素敵な思い出ができました。
この旅行の思い出にシェーンブルン宮殿で買った絵はがきで手紙を書くことにしました。
家族や友達そして自分にも送りました。
日本宛の切手料金は90フォリントでした。
日本円で50円くらい。
楽しかった中欧での一週間は、あっという間に過ぎました。
滞在中は眠ってる夜明け前に雷と豪雨が2度ほどありましたが、その雨は早朝にはあがり、観光はずっといつも青空。
天気に恵まれました。
夢でもいいからもう1度、
ウイーンで音楽三昧カフェ三昧、
ハンガリーで温泉三昧……。
7日目は帰国の途に
ブタペストからフランクフルトでトランジットして中部空港へ
8日目の朝、なつかしいセントレアに到着。
日本語が使え、見慣れた風景。
やっぱり日本はいいなーが第一の実感でした。
ハンガリー・ブタベストで自分宛に送った絵はがきは帰国して1週間後に届きました。
絵はがきを手にした時、遠かった中欧が再び近くに感じることができました。
ウイーンで食べたザッハトルテ、ここ名古屋で味わってみたくなりました。