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ラムザイヤー論文への批判と反論 (1/4)

2021/11/1

このレポートは、2020年12月1日に『International Review of Law and Economics』誌のオンライン版に掲載されたハーバード大学のラムザイヤー(J.M.Ramseyer)教授の「太平洋戦争における性の契約(Contracting for sex in the Pacific War)」というタイトルの論文に関する批判とその反論を一般の方にもわかるように整理したものです。ラムザイヤー氏はこの論文で日本軍の慰安婦制度における慰安婦と慰安所経営者の関係に「ゲーム理論」を適用し、この2者の関係は合意された契約にもとづくものだ、と断定しました。これに対して、アメリカをはじめ世界各国の経済学者、歴史学者などから強い懸念と非難があがり、論文の撤回が求められています。


目次

1.ラムザイヤー論文の要旨

2.批判と反論

批判1 根拠なしに状況を「契約」問題として捉えている

批判2 女性たちが同意していたという仮説について

批判3 女性たちは立ち去ることができた、補償されたという想定について

批判4 日本帝国軍と日本政府の免責について

批判5 経済学、ゲーム理論、法経済学の使用について

3.資料参照への批判

4.まとめ

参考文献


1. ラムザイヤー論文の要旨

筆者註 以下の日本語訳は、論文本文(文献1)のほか、有馬氏の著書(文献2)、および「研究上の不正を理由とする撤回要求」(文献6)などをもとに筆者が意訳したものです。(カッコ内の文献番号は、このページ末尾にある文献リストの番号です)

概要

売春宿の経営者と売春婦が契約書を結ぶ際に働いた力学は、初歩的ゲーム理論の基礎である「信頼できるコミットメント」についての単純な論理を体現している。契約に際して、売春宿の経営者は売春婦に対して、売春業が売春婦にもたらす危険と名誉の毀損を相殺できるほどの対価を提供しつつ、良好なパフォーマンスを維持するインセンティブを与える必要があった。

経営者は期待される所得を誇張することを、女性たちは知っていたので、給与の多くを前払いにすることを要求した。また、戦地に行くため最長契約期間が比較的短期になるよう要求した。一方、経営者は彼女らが仕事に積極的になるようなインセンティブを与える契約構造を必要とした。これらの条件を満たすため、両者は次の要件をあわせもつ契約を締結した。①経営者は女性に多額の前払い金を支払い、最長契約期間を1~2年とする、②女性は十分な収益をあげれば契約期間より前に退職可能である。

1.序論

(省略)

2.戦前の日本と朝鮮での売春

2.1 序論

慰安所は、戦前の日本の公娼制下での売春産業が編み出した、言わば公娼制の海外軍隊版である。
女性たちは、売春がよりよい収入をもたらすと信じていたので、他の仕事より売春を選んだ。周旋業者は嘘をつく可能性がある。売春宿の経営者はごまかすことがある。親は女性が稼いだ金を横取りする可能性がある。しかし、契約はこれらを女性が知っていたことを示唆している。

2.2 日本

戦前の日本の公娼制において、売春宿は女性(もしくはその親)に一定額の前渡金を支払い、女性は前渡金を返済するか、年季が明けるまでの期間、働いた。年季は通常6年で、売上の2/3~3/4は売春宿がとり、残りのうち6割を返済にあて、4割が娼婦の収入になった。
現実には、娼婦は約3年で前渡金を全額返済し廃業していた。売春宿は歴史学者が指摘するように、高額な食費や被服費などによって娼婦を借金漬けにしたり、債務奴隷にしたことはなかった。それは、年度別年齢別の娼婦数や娼婦の在職年数などの数値から証明できる。
業者の契約は、ゲーム理論の「信用できるコミットメント」のロジックを反映している。(Ramseyer、1991)

女性たちは、リクルータに収入の大部分を前払いし、働かなければならない年数の上限を定めることを要求した。前渡金を早期に完済すれば、さらに高い月給を稼げることもわかっていた。売春宿は早期完済をすれば廃業を早められるようにすることによって、女性たちにお客を喜ばせるインセンティブを与えた。

からゆきさんとなった「おサキ」は、10歳でマレーシアに行った。彼女はいずれ売春の仕事につくことを知っていたが、契約に同意し、前払いで多額のお金が支払われた。おサキは気に入らなかった娼館を抜け出し別の娼館に移り、引退後、天草に帰郷した。

2.3 朝鮮の売春

日本人が朝鮮に移住を始めると、日本と同様の公娼宿を設置した。娼婦の募集は日本と似た年季奉公を採用した。彼女たちの収入は日本人娼婦よりかなり低かった。朝鮮人女性も満州や中国に行って、娼婦として働いていた。

2.4 日本と朝鮮での募集

日本国内の改革主義者は、すでに何十年にもわたって売春を廃止するために戦っていた。
内務省は、売春を目的として渡航する場合、女性は売春婦の経験者であること、女性自身が契約内容を理解していること、などの条件を満たすことを指示している。(1938年2月23日付け内務省通達の半分ほどを引用)

朝鮮半島では、女性が詐欺等の方法により強制的に海外の売春宿に移送させられたケースも存在したが、それは日本政府や朝鮮の日本政府機関が強制したのではなく、詐欺を行う朝鮮人業者と日本軍が協働したのでもなかった。問題は、朝鮮の業者が何十年にもわたって、若い女性を売春宿で働かせるように騙し続けてきたことだった。

3. 慰安所

3.1 性病

慰安所は、日本軍兵士の性病予防のために作られたが、強姦防止という目的もあった。日本軍の基準に従うことに同意した売春宿に認可を与え、それらを慰安所と呼んだ。日本軍は兵士が認可された売春宿以外を利用することを禁止した。

3.2 契約期間

慰安所と慰安婦との契約は公娼の契約と似ていたが、いくつか相違点があった。戦地でのリスクを反映させて契約期間はたったの2年が基本だった。

3.3 報酬

戦地では大きなリスクを伴うので、慰安婦はかなり高額な報酬を得た。日本国内の娼婦が6年間で1000~1200円だったのに対して、慰安婦たちは2年で600~700円を手に入れた。

3.4 契約条件

慰安婦は本人名義の預金口座を持ち、貯金することができた。契約期間が満了するか、あるいは前渡金を完済した場合に女性は帰宅することができた。千田夏光の調査によれば、完済した女性はたくさんいた。

3.5 慰安婦の預金

慰安所経営者のなかには慰安婦を騙していた者もいた。しかし、重要なのは多くの慰安所経営者が多額の前渡金を越える金額を慰安婦に払っていた、ということである。何人かの慰安婦は自分の慰安所を作った。ムン・オクジュ(文玉珠)はもっとも華々しい成功を収めた。彼女は回想録に次のように書いている。「私は預金口座を持ち、チップから貯金をすることができた。故郷の母親に楽な暮らしをさせてやることができた。ラングーンの市場で買い物をした。宝石も買った。私は何度もパーティに招待されて歌を歌い、たくさんのチップをもらった」

3.6 戦争末期

学者たちは、戦争の最後の2年間が最も多くの慰安婦を募集したというが、この時期は慰安婦を慰安所から軍需工場に動員した時期だった。

結論

契約自体は「信頼できるコミットメント」という基本的なゲーム理論の原則にしたがっていた。大部分の売春婦を雇ったのは売春宿の所有者であり、軍隊ではなかった。売春宿の所有者が期待される収入を誇張することがあることを知っていた女性は、収入の大部分の前払いと勤務期間の長期化を要求し、売春宿は合意した。売春宿は女性がサボることがないようにインセンティブを与えた。女性と売春宿は任期1~2年の契約を結んだ。女性たちは任期を果たすか借金を返済して家に帰った。

次項「2.批判と反論」へ続く