AF(Art Fitzpatrick)氏は自動車を描くために生まれてきた。1937年-18歳から自動車デザイナーとしての経歴が始まり、20歳で
Darrin Packard の4ドアコンバティブル型とハードトップセダンの2つのタイプをデザインし、22歳にしてGE社のデザイン・コンサルタントになった。第2次世界大戦で海軍士官として従軍し、戦後は広告デザインとイラストレーションの仕事に戻って
Lincoln、Mercury の広告の他グラフィックとプロダクトデザインの分野を手掛けた。
21年間に及ぶ価値ある独占的な契約を交わして、Nash、Plymouth、Chrysler 他の広告、及び1954-1957年までは Buick の広告・カタログ、1959-1971年までは Pontiac の広告・カタログのイラストレーションでAF氏は自動車描画を担当、VK(Van Kaufman/ヴァン・カウフマン)氏は背景描画を担当して、両氏のコラボレーションによるArtworkが本格的に採用された。これによって
Pontiac のイメージと販売台数をダイナミックに変化させた事例として称賛された。
1971年前半に Pontiac の広告・カタログは全面的に写真を採用する方針に変更され、AF-VK両氏によるイラストレーション採用は中止となりの13年弱のArtworkの制作は終了した。その後1971年から1973年までGM社系列のヨーロッパ車 Opelの一部シリーズの広告・カタログでAF-VK両氏のArtwork採用が復活された。
その他AF氏はGE社、テキサコ社等のFortune誌の企業番付500社に名を連ねる多くの有名なクライアントのために芸術作品、グラフィックおよびプロダクト・デザインを制作している。何千もの応募者があった国際コンペティションでのトップ受賞を含め、芸術、広告、及びデザインの分野でも多数の受賞・表彰を受けた。Art
Fitzpatrick氏の作品はほぼ30年間世界中の雑誌に掲載され、何百万の人々によって認識され、米国、英国、日本、韓国およびロシアで生活・仕事の特集記事が芸術、広告、自動車関係の本に掲載・紹介されている。多くの作品は少なくとも3世代にわたる広告デザイナー、及びイラストレーターに対して感動と奮起の指導を与えたと言われている。
Art Fitzpatrick氏はアメリカ国内各地のポンティアック・クラブや美術学校、博物館に於いて講演や作品資料の寄贈・販売を行った。又、AFAS=Automotive
Fine Arts Society 、CCCA=Classic Car Club of Americaの名誉会員になった。
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