アヤメとカキツバタ

アヤメ

「五月雨に 沢辺のまこも 水越えて いずれ菖蒲(あやめ)と 引きぞわづらう」・・・・源頼政(太平記)

上記の歌は室町時代の軍記物 「太平記」 に記述があって、鵺(ぬえ)退治に功績のあった源頼政が褒美として、噂で慕っていた 「菖蒲の前(あやめのまえ)」 と呼ばれる美女を娶る時、何人もの同じ様な美女の仲から 「菖蒲の前」 を選べと言われて区別が付かず、困り果てて歌った歌であるとされている。
「五月雨で水位が上がって水の中に隠れてしまい区別できません」 の意であるが、当意即妙の歌に感心した帝によって 「菖蒲の前」 を授かったと記述され、この話を基に後世 「いずれがアヤメかカキツバタ」 と美女を比べるときの決まり文句になったとされる。  もっとも、当時の菖蒲(あやめ)は現在のサトイモ科の菖蒲(しょうぶ)の事で、現在のアヤメでは無く、後世の人が 「太平記」 の話を基に作ったにせよかなり無理がある。

日本に自生しているアヤメ科アヤメ属には、アヤメ、ハナショウブ、カキツバタ、ヒオウギアヤメ、シャガ、ヒメシャガ、エヒメアヤメの7種と、帰化植物として、キショウブ、イチハツがあり、シャガを除けばいずれも似ており、アヤメとカキツバタも一見ではそっくりである。( 「キショウブは外国産」 「シャガとペインテイング」 の項参照)

アヤメ

カキツバタ

両者共、古来から親しまれた花でよく似ており、花姿も良い事や上記の伝説等から、選ぶのに難しい美人を比較した決まり文句になったと思われるが、実際には花の区別はそう難しいことでは無い。
最大の違いはアヤメには花びらの基の部分に網目模様があるが、カキツバタやハナショウブには無い。 更に、アヤメは尾瀬のアヤメ平や、櫛形山の群生等、山の花としても名が有るように乾燥した草原に咲き、カキツバタは水の中で、ハナショウブは湿地に咲く。 咲く時期もアヤメが最初に咲き、カキツバタやハナショウブが後である。
アヤメの名前の由来も諸説あるが、古来よりサトイモ科の菖蒲(しょうぶ)の事をアヤメグサ(文目草)、アヤメの事は葉が似ているのでハナアヤメと呼んでおり、この名残から現代ではハナアヤメがアヤメになり、アヤメグサは菖蒲(しょうぶ)になったとの説が一般的である。 
ハナショウブの事を現代でも一般的に菖蒲(しょうぶ)と呼ぶのでややこしいが、サトイモ科の菖蒲は花も全く異なる。 匂いが良いので五月の端午の節句に菖蒲湯として使われるが、アヤメ科のハナショウブとは別物である。 万葉の時代にサトイモ科の菖蒲の事をアヤメ草と呼んだ名残か、現代でも菖蒲と書いて、ショウブと読ませたり、アヤメと読ませたりするので日本語も難しい。 
他の説は単純にアヤメの花の網目模様を 「綾目」 としアヤメになったとの説であるが、古来からアヤメは菖蒲の事であり、この説は近世の人が勝手に付けたものであると思われる。
カキツバタは花の汁で布を染めた事から 「書付花」 がカキツバタになったとの説が有力であるが、これも諸説ある。 

「いずれアヤメかカキツバタ」 と言われるようにアヤメもカキツバタも花姿の美しい植物で、かっては何処でも自生種を見られたが、現代ではアヤメの自生種は未だあちこちで見られるものの、カキツバタの自生種を見る事はなかなか難しく上の写真もわざわざカキツバタの名所に出かけたものである。

次へ

最初のページへ戻る