次に、アメリカの対日改憲要求と小泉政権の対応について考えます。その理由は、現在の日本国内における改憲への動きが、アメリカの圧力のもとで進められているという要素が非常に強いからです。
最近は、経団連など財界も改憲を支持する立場を明確にしていますので、日本国内における改憲の動きについて、日本企業が多国籍化している中で、日本の対外的な経済的権益を守るためにも戦争する国になる必要があるという動機が働いているという分析もあります。そういう面もたしかにあります。
しかし今回の改憲の動きに関していえば、経済的動機というだけではとても説明しきれない切迫感が保守政治の側にあります。その切迫感を生み出しているものは何かというところが、大きなポイントです。私にいわせますと、その切迫感を生み出しているのは、まさにアメリカの対日改憲要求であるということです。
アメリカの対日改憲要求の中身は何でしょうか。ズバリ、第9条改憲がすべてです。アメリカは、ほかの条項のことについては何も言っていないのです。
最近の2つの端的な発言を紹介しておきます。
1つは、2004年7月21日にアメリカ国務省のアーミテージ副長官が行った発言です。彼は、「憲法第9条は日米同盟関係の妨げの一つになっている」とはっきり言っています。
もう1つは、それから1ヵ月もたたない8月12日のパウエル国務長官の発言です。「日本が国際社会で十分な役割を演じ、安保理でフルに活躍する一員となり、それに伴う義務を担うというのであれば、憲法9条は検討されるべきだろう」と言っています。
パウエル発言については、若干解説が必要です。さきほど私は、国連憲章上、国連安保理が決議をしても、日本は軍事的な協力をするいわれはないし、そういうことは各国の加盟国の判断に任せられると述べました。しかし、日本が安保理の常任理事国になれば、そういう解釈では済まなくなる、という問題が起こるのです。
どういうことかといえば、安保理の下には軍事参謀委員会という組織が設けられることになっています。いまは有名無実なのですが、国連憲章上、その軍事参謀委員会が国連による武力行使について安保理に諮問する役割を果たすことになっています。ですから、日本が安保理の常任理事国となれば、国連の行う軍事的な機能をも担わなければならないということになります。だから、改憲派の中には、「安保理に入るためにも改憲が必要だ」と主張する人もいます。
しかし、このような主張は議論が逆立ちしています。現在の平和憲法がある限り、日本は安保理の常任理事国になろうとすること自体に問題があるわけです。2004年の国連総会で、小泉首相が安保理の常任理事国入りへの意欲を強く表明しましたが、この発言は、「私は憲法違反の領域に足を突っ込む意思がある」と述べたに等しいことです。
ですから、安保理常任理事国入り問題については、パウエルの言っている理解のほうが正しいわけです。すなわち、安保理で十分な役割を担う用意があるというのであれば、まずは憲法第9条をどうするか検討するべきだ、ということなのです。
したがって私たちの側からすれば、「憲法第9条を変えてまで安保理常任理事国になる必要はあるのか? 憲法第9条を改定して常任理事国にならなければ、日本は国際社会と積極的にかかわれないのか?」という問いかけをするべきなのです。
私がすでに指摘しましたように、国連が国際問題に対して軍事的にかかわることは、有害にして無益であるケースの方が圧倒的に多い、ということを判断の基本におけば、日本が安保理常任理事国入りにしがみつく必要はまったくありません。そもそも第9条に忠実である日本は、そもそも安保理常任理事国入りを考える必要はないのみならず、安保理入りを考えるべきではない、という結論になります。
以上のことに関して述べておく必要を感じることが1点あります。以上の発言をしたアーミテージ、パウエルの両氏は、第2期ブッシュ政権を離れました。では、彼らがいなくなったから、日本に対する改憲要求の声は低まるのではないかという疑問が起こります。
しかし、そういう疑問は残念ながら(?)的を射たものではありません。それは何故かと申しますと、アーミテージ、パウエル両氏の発言は、決して彼ら個人の考え方を述べたものではないからです。彼らの発言は、ブッシュ政権としての対日政策を代表したものであって、パウエル、アーミテージの退任は、アメリカの対日改憲要求の声を弱めるものではない、ということを確認しておく必要があります。
第2期ブッシュ政権は、民主主義とか自由とかを盛んに喧伝しています。イラクを中東の民主化における拠点とするとまで言って、自分たちが自由と民主主義の代表であるとうたっています。イラクの大量破壊兵器保有やテロ組織としてのアルカイダとの結びつきを口実にして対イラク戦争を引き起こしたブッシュ政権が、その口実がまったく根拠がないことが明らかにされた後、自分たちのイラクでの居直りを正当化するために、イラクや中東の民主化を持ち出したことについてはよく知られていることです。ですから、ブッシュ政権の口にする民主主義云々については、私としては、正直言ってまともに向き合う気持ちも起こりません。
しかし、ブッシュ政権の場合はともかくとして、アメリカが自由と民主主義にこだわりを持つ国であることは認めておく必要があるでしょう。ところがそのアメリカにおいて、日本の現実が人権・民主主義が実現した国からはほど遠いことを認識するアメリカ人はきわめて例外的である、という厳しい現実があります。
そもそもアメリカは、他国の民主化(民主主義実現)に関する認識については、往々にしてきわめて表面的・形式的であるのですが、日本についても例外ではありません。アメリカは、日本がアメリカの言うことを聞くことにのみ関心があり、そういう意味では、日本についてきわめて短期的にしか物事を考えていません。
ですから、日本において改憲派が、アメリカが望んでいる第9条改憲だけにとどまらず、再び国民の人権・民主主義を実質的に封圧する、あるいは国益を人権・民主主義の上に置こうとする国家主義・反民主主義の憲法をつくろうとしているということについては、アメリカ国内ではまったく関心が払われていないのです。
ですから、日本においてきわめて危険な内容の改憲が行われようとしていることに対して、アメリカはもっぱら第9条改憲だけに着目して積極的に評価し、ほかのところは見て見ぬふりをしています。この点は、今後の日米関係のあり方を展望する上でも見過ごすことのできないこととして考えておきたいと思います。
アメリカは、前にもふれましたように、早くから(対日占領政策が転換した当初から)第9条改憲の必要性を認識していました。しかし、「解釈改憲」によって日本がアメリカの要求を満たしうる限りは、「それはそれでよし」というのが基本的な姿勢だったと思われます。その姿勢は、新ガイドラインができたクリントン政権時代まで続いていたようです。1997年の新ガイドラインそのものが、「日本のすべての行為は、日本の憲法上の制約の範囲内において、専守防衛、非核三原則等の日本の基本的な方針に従って行われる」と書いていることも、そう理解する手がかりを与えています。
しかし、ブッシュ政権になってから、対日改憲要求がエスカレートしてきました。なぜ最近になって露骨な第9条改憲要求が出てくることになったのでしょうか。
そのきっかけになったのは、ブッシュ政権ができる3ヵ月前に出された2000年10月のいわゆるアーミテージ報告です。ここで初めて公然と、日本に対して「集団的自衛権行使に踏み切れ」という提言が出されました。その報告のとりまとめに中心的な役割を果たしたアーミテージが国務省入りして対日政策の最高責任者となったことによって、アーミテージ報告は文字通り対日政策の指針という位置づけを与えられました。
さらに軍事戦略においても、ブッシュ政権においては、日本をアメリカの海外戦略におけるハブとして位置づける考え方が鮮明に打ち出されることになりました。「ハブ」とは、どこかに出かけていくときの拠点ということで、アメリカが世界中のどこにおいて戦争する場合にも、軍事的拠点としての機能を日本に求めるということです。1990年の湾岸戦争以降、今日に至る世界各地の戦争において、日本が発進基地、中継基地として積極的かつ重要な役割を果たしてきたことをアメリカは高く評価しており、それに伴いますます日本の軍事的価値を認めるようになっているのです。
とくにブッシュ政権は、朝鮮半島から台湾海峡、そして中東に至る「不安定の孤」と名付けている地域に対する関心を高めています。この「不安定の弧」は、これからアメリカが直面するであろう紛争の起こりやすい地域として認識されているからです。
ブッシュ政権にとっての最大の悩みは、その「不安定の孤」における戦争の可能性を考えるうえで、太平洋といういわば大きな自然の障壁を抱えていることです。アメリカにとって、本土から太平洋を越えて戦力を投入することは明らかにきわめて不利です。この最大の悩みを解消するのが日本ということになります。日本を軍事的拠点とし、いったん事あらば、直ちに日本から出動する、ということが非常に重要になってきているのです。
いま日米間では、軍事同盟の再編強化が議論されています。例えば神奈川県のキャンプ座間に米陸軍第1師団の司令部を移転する構想があります。司令部の移転であって、第1師団全部をキャンプ座間に移転すると言っているわけではありません。しかし司令部を移転しておけば、いったん有事となれば、兵力も即応して展開できるという考慮なのです。
ですから、日米軍事同盟の再編強化といっても、必ずしも在日米軍の兵力を増強するという形をとるということではありません。アメリカ本土にいる米軍、あるいは世界各地に点在している米軍が「不安定の孤」の地域に出動するときに、日本全土がハブとして機能するようにしておくことに重要なねらいがあります。
ブッシュ政権が推進しようとし、日本が全面的に協力しているミサイル防衛計画を進めるうえでも、第9条の存在は邪魔になっています。
アメリカの考えているミサイル防衛構想については、その本質をしっかりつかんでおく必要があります。
日本国内では、ミサイル防衛というと、中国や北朝鮮のミサイルが日本に飛んでくる事態に対処するために必要だ、という理由付けの議論が横行しています。しかし、アメリカからするミサイル防衛計画の本質は、日本を守ることよりも、日本にある米軍基地がミサイル攻撃の対象になる事態に何とか対処したいということにあります。
アメリカは、中国や北朝鮮に対して圧倒的に優勢な軍事力を持っていますが、今のままでは、ミサイル攻撃に対してはきわめて脆弱です。この状態のままでは、中国や北朝鮮に対して軽々に戦争を仕掛けることはできません。しかし、仮に相手から飛んできたミサイルを撃ち落とせるようになれば、アメリカは後顧の憂いなく中国や北朝鮮に対して先制攻撃の戦争を仕掛けることができます。だから、アメリカにとってミサイル防衛計画を推進する必要があるのです。
ミサイル防衛という言葉に惑わされる私たちは、この計画は何か防衛的なものだと考えがちですけれども、その根底にあるのは攻撃的な戦略です。アメリカが相手に対して先制攻撃の戦争を仕掛けたとき、相手が反撃としてミサイル攻撃に訴えるときの備えなのです。これが、ミサイル防衛計画のほんとうに恐ろしい本質です。そして、そういう攻撃的な戦略に日本を巻き込むうえで、第9条の存在はどうしても邪魔になります。
もう1点、アメリカが日本に対して第9条改憲を迫る背景として考えておくべきことがあります。それは、自衛隊のイラク派兵に関わります。
私たちの視点からすれば、自衛隊の海外派兵は憲法違反かどうかという点がもっとも重要なポイントです。しかし、アメリカがこの問題を見る視点はまったく違います。イラクに行っている自衛隊が軍事力として実際に機能しているかどうかがポイントなのです。
現実の自衛隊は、オランダ軍(オランダ軍の撤退後はイギリス軍とオーストラリア軍)に守ってもらわなければならない軍事的には役立たずのお荷物なのです。これは軍事常識的にいいますと、ほんとうにとんでもないことなのです。自分の身も守れない軍事力など何の意味があるかということです。そういうことにならざるをえないのは、政府による第9条解釈改憲のいわば限界なのです。だから、アメリカとしてはますます、「そんな第9条なんか取っ払ってしまえ」ということになるわけです。
これまで私は、なるべく自衛権とか、集団的自衛権とかの国際法の専門用語にふれないでお話を進めてきました。しかし、アメリカが日本に対して第9条改憲を要求するという問題を正確に理解する上では、これらの用語と関わらせて、今までお話ししてきたことを整理しておく必要があると思います。
ある国家が他国からの侵略・攻撃を受けるときに、その侵略・攻撃に対抗して自国を守る行動をとる権利があることについては、国際的に広く承認されてきました。この権利を自衛権といいます。
国内社会では、個人の生命と安全を守るために、警察という組織がありますから、個人が暴漢に襲われた場合、自分の力で自分を守るのではなく、110番通報して警察の力を仰ぐことになっています。しかし、警察を呼んでもすぐ駆けつけてくれるとは限りません。そんな危険な状態に陥った場合、暴漢から身を守るために、抵抗するしかない場合も起こります。そういう場合にその人が抵抗という意味での暴力に訴えても、日本の刑法では、「緊急避難」あるいは「正当防衛」として、その人が暴力を使うことを認めています。
国際社会では、国内社会におけるような個人の生命と安全を守るための警察に相当する組織は基本的に存在していないので、国内社会以上に、国家が自分で自分を守ることを一般的に認めることになっています。
平和憲法ができる段階では、第9条のもとで自衛権は認められているのか、という問題が正面から議論されたことがあります。そのときには、政府側から、これまでの多くの戦争が自衛の名の下に行われたとして、自衛権を認めることには慎重であるべきだ、という趣旨の答弁が行われたこともあったぐらいでした。
しかし、すでに述べましたように、アメリカが日本に対して再軍備を要求するようになると、政府は、どんどん第9条に関する解釈を変えていくようになりました。その変化をたどることは、ここでの目的ではありませんが、結論的には、自衛権は第9条のもとで認められている、自衛のための実力(自衛隊)を持つことは憲法違反ではない、という解釈で落ち着くことになります。
問題は、自衛権の名のもとにどこまでの実力行使が許されるか、ということです。この点において政府は、急迫不正の侵害があること、ほかに手段がないこと、反撃は必要最小限度にとどまること、という歯止めを設けました。一般論としては、この歯止めの基準は、国際的にも広く認められているものです。
ところで、国連憲章では、自衛権については次の規定を設けました。
第51条〔自衛権〕
この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。
この規定の中に「個別的または集団的自衛の固有の権利」という表現で、以上に述べました自衛権(国連憲章では個別的自衛権といっています)とともに、集団的自衛権という言葉が出てきます。この規定によれば、本来の自衛権だけではなく、集団的自衛権も国家に本来備わっている「固有の権利」ということになりますが、実は集団的自衛権という言葉が用いられたのは、国連憲章が初めてです。
なぜ集団的自衛権という考え方が国連憲章に盛り込まれたかといいますと、国連憲章が戦争を違法としたことと関わっています。詳しい経緯は省きますが、戦争が違法化されますと、戦争を前提にして始めて意味がある従来のような軍事同盟を結ぶことも認められないことになります。しかし、アメリカを中心にして、軍事同盟的な仕組みを設けることが国連憲章違反ではないというための根拠になる規定を盛り込むことが必要と判断しました。それが集団的自衛権なのです。
集団的自衛権とは何か、といいますと、ある国家(A)が攻撃されていないけれども、Aの安全と密接な関わりを有する他の国家(B)が第3の国家(C)から攻撃を受けるときに、AがBを守るためにCに対して反撃する権利、ということになります。
具体的な例で説明すれば分かりやすいでしょう。日米安保条約は、典型的な集団的自衛権の行使を可能にするために作られた条約ということになります。日本が第3国の攻撃を受けたときに、アメリカは、日本を防衛するためにその第3国に対して反撃することができるというわけです。
ここで問題が生まれます。日米安保条約に基づけば、アメリカは日本を守るために第3国に対して反撃できます。しかし、日本は、アメリカが第3国から攻撃を受けたときに、アメリカの側にたってその第3国に対して反撃できるのか、という問題です。この点に関しては、日本政府の憲法解釈でも、日本はそういう行動に出ることはできない、ということになっています。なぜかといえば、第9条が認めるのは、日本が自らを守るために反撃する権利までであって、アメリカを守るために軍事行動をとることは、第9条の認める自衛権の行使の範囲を超えることになるからです。
ですから、国際法上は日本には集団的自衛権を持っている、しかし憲法第9条によってその権利を行使することはできない、という結論になるのです。
政府解釈からは、次のような結論も引き出されます。第9条は、自衛のための最低限度の実力行使は認めていますが、自衛の範囲を超える実力行使は行ってはならない、というのが一つです。イラクの自衛隊がオランダ軍などに守ってもらう羽目になっているのは、まさにそういう政府の第9条解釈の結果です。
また、次のような結論も引き出されます。第9条は、国際紛争を解決する手段としての武力の行使を禁止しているのですから、たとえ国連安保理が決定した国際的な武力行使(国連憲章では「集団的措置」といいます)であっても、日本はそれに参加することはできません。日本は国連の平和維持活動に参加しました。しかし、その際にも政府は、様々な理屈をつけて、武力行使には入り込まない範囲での行動であると強弁しています。
しかし、前にも述べたように、アメリカの要求は、日本が正真正銘の軍隊としての海外派兵を行うことができるようにしろ、ということにあるわけですから、もはやこれ以上従来の第9条解釈こだわってはいられなくなっている、ということなのです。
今年(2005年)は、1955年に保守合同して自民党ができた結党50周年に当たります。この機に自民党の改憲案を提起することになっています。民主党も2006年には案を出すことになっています。これは予定が早くなることはあっても遅くなることはないと思います。そして自民党は、公然と2007年の改憲をうたっています。そのために、2005年の通常国会で改憲の国民投票法案を通すというのが当初の筋書きでした。
ただし、国民投票法案については、ほかの政治日程に食い込まれたこともあって、自民党の筋書き通りには必ずしも事態は進んでいません。衆議院及び参議院の憲法調査会が2005年4月にまとめた報告も、すべてが改憲派の思惑通りに事が運んだということでもないようです。改憲派内部の意見集約もそれほど簡単には進まないのではないか、という観測も流されるようになりました。
私としては、改憲派の足並みの乱れによって、改憲を目指す彼らの日程がずれ込んでいくことは、私たちの改憲阻止の運動を進める上では好ましいことだと思います。しかし、だからといって安心しているわけにはいきません。改憲派は、改憲そのものをあきらめたわけでは全くなく、今度こそは改憲にこぎ着けるという点では変わりはないからです。
事態が決して楽観を許さないことは、改憲派である自民党と民主党の主張の中身を見れば、直ちに歴然としてきます。つまり、自民党と民主党の改憲に関する論点は酷似しています。主な特徴をあげておきましょう。
○平和憲法は21世紀という新しい時代に合わなくなった古くさいもの、という位置づけで共通しています。
○国家観の点では、「国家を個人の上におく」国家観を公然と打ち出す自民党に対して、民主党は一見、主権の削減・抑制という「主権の相対化」に言及する点で、まったく違う国家観なのかとも思わせますが、「個人を国家の上におく」(人権・民主主義の重視)という立場ではなく、「和の文化」「日本社会に根付いた<多神教的な>価値観」を重視するなど、支離滅裂な国家観しか示していません。
自民党が極端に復古的な国家観に固執するようなことでもあれば、両党の溝がなかなか埋まらないという状況が出てくる可能性も否定できません。しかし、国家主義的な傾向という点では、民主党と自民党の間に質的な違いはないことを考えると、この問題で改憲派の動きが停滞するということは考えにくいことです。
○平和観においては、「力による」平和観ではまったく同じです。違いがあるとすれば、アメリカの対日要求に全面的に応える対米重視の立場を取る自民党に対し、民主党には、自民党との違いを強調するために、国連安保理決議の有無を基準にして対応する国際協調重視という方向性を今のところ示している、という点です。この点については、重要な問題が含まれているので、後でもう少し詳しく扱います。
○人権・民主主義については、民主主義が「利己主義」に変質したと決めつけて、「公共」を重視する自民党に対し、民主党はひたすら人権にかかわる個別論に重点をおいて、本質論を避けているというアプローチの違いはあります。しかし、「国家を個人の上に置く」国家観という点では、自民党と民主党との間に本質的な違いはない、と判断されます。
先ほど「平和観」の問題を扱った際にふれましたように、対米協力を最大限可能にする規定ぶりに持って行こうとする自民党に対し、民主党は国連重視の観点にたって、対米軍事協力にも一定の歯止めを設けようとしている点で、今のところは違いが出ています。
しかし、この両者の違いをあまり重視すると、私たちは重要なことを見落としかねない、という危惧を私は持っていることを申し上げておきます。
一つは、民主党もアメリカの対日要求の中身を十分に承知しているということです。したがって、改憲を促進しようとする動きが本格的になれば、民主党がアメリカの不興を買うことを覚悟してまで、自説に固執する可能性は少ないのではないか、ということです。
もう一つ、より根本的に重要な問題があります。対米軍事協力を重視する自民党も、対国連協力に力点を置いている民主党も、ともに集団的自衛権の行使を可能にする改憲内容にするという形で、議論を進めているということです。
しかし、すでに見た集団的自衛権の意味からすれば、両党の議論には重大な問題があるのです。
まず、民主党の議論についていいますと、対国連軍事協力を集団的自衛権の行使という枠の中で議論すること自体に無理があります。確かに今日の国連は、集団的自衛権に基づいて組織される多国籍軍方式の武力行使をも認める立場ではあります。しかし、前に紹介した国連憲章第51条の規定に即してみますと、集団的自衛権の行使は、国連が何らかの措置を執るまでの一時的な措置としてのみ認められているのです。国連が本来予定している集団的措置は、集団的自衛権とはまったく別の、集団安全保障という考え方にたっています。
集団的自衛権と集団安全保障とはどう違うか、と疑問に思われる方も当然出てくるでしょう。詳しく述べている余裕はないのですが、集団安全保障という考え方は、おおざっぱに言えば、国内社会における警察の活動にあたります。これに対して集団的自衛権という考え方は、前にも紹介したことから考えて理解していただきたいのですが、基本的に自救(自分で自分を救う)という考え方にたっています。いずれにしても、民主党の主張は、考え方に混乱があります。
アメリカの軍事要求には何でも応じるとする自民党の考え方は、もっと危険です。要するに、国連安保理決議も得ていない国際法違反の対イラク戦争のようなケース(要するに先制攻撃の戦争)でも、集団的自衛権の行使ということで正当化しようとしているからです。
集団的自衛権を行使することの前提は、まずは相手の攻撃があることです。先制攻撃の戦争をするアメリカには、集団的自衛権を云々する資格はないのです。無法な戦争を仕掛けるアメリカに日本が協力することは、集団的自衛権の行使として正当化されるような代物ではありません。
←前のページに戻る
続きを読む→
Copyright © 2007 Motofumi Asai All Rights Reserved.