自宅[6:10] - → 大竹I.C. → 山陽自動車道 → 福山西I.C. → R2 → 西瀬戸尾道I.C. → 西瀬戸自動車道( しまなみ街道) →今治I.C. → R196 → 今治湯ノ浦I.C. → 今治小松、松山自動車道 → 松山I.C. → 松山駅[10:20]
妹の休みに合わせて、前回の法事の際に計画した四国旅行を決行することになりました。 但し、何故か羽田-松山便が混雑していて、親父と妹は前日に松山に入っています。 親父達を拾うために、松山駅で待ち合わせをしました。
前回は松山までの移動はフェリーでしたが、フェリーを待つ時間などを考えると陸路でもそれほど所用時間は変わりません。 そこで今回は、陸路(しまなみ街道)で松山に向かうことにしました。 事前に地図ソフトでシミュレーションした結果では約4時間かかります。 途中、休憩したり朝食を摂ったりしたせいか、しまなみ街道に入る前のカーナビでは約束の10時半には間に合わないと情報が出てしまい危惧したのですが、実はカーナビが古く、しまなみ街道が全線開通していない情報を元に時間を割り出していたらしく、今治に着いた時点では予定通りの10時半に着くように変わっていました。
松山駅[10:40] - → R33 → 砥部焼観光センター[11:10]
無事に松山駅前で親父達を拾うと、最初の目的地、砥部に向かいました。 前回の四国旅行では砥部を回る事が出来ませんでしたので、今回は是非とも訪問したかった場所の一つです。 時間があれば動物園も散策したかったのですが、こちらは残念ながら断念しました。 といっても砥部には動物園以外にはランドマークとなる所がなく、特に目的地を決めずに、砥部に入りました。
砥部といえば、やはり焼き物という事で、先ずはガイドブックに載っていた砥部観光センターへと向かいました。 割れ物を扱っているお店に入ると娘が誤って割ったりしないかヒヤヒヤものです。 焼き物をいろいろと見て回ると、私の好きな薄碧色の小皿や晩酌セットがありました。 が、珍しく「御食い初め」用のセットや子供用の食器セットが有りましたので、今回は、親のものは断念し、娘用に食器セットを購入しました。 また、来年の干支である「ねずみ」の焼き物もあったので、親子セットにして買い求めました。
買い物を終えると、娘はこの旅行で1個目のアイスクリームを頬張っていました。
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砥部焼観光センター
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陶石(砥部焼の原料)
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砥部焼のねずみさん
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砥部焼観光センター[11:40] - → 時の実[12:00]
道後温泉に戻り道後麦酒館で夕食前に軽くビールを頂く予定にしていたので、お昼は軽めにしようと蕎麦屋を探しました。 ガイドブックでは縮尺の小さな地図にしか載っていなくて、探すのに往生しましたが、妹が見つけ、なんとか辿り着く事が出来ました。
「時の実」は手打ちそばの専門店でメニューも数種類しかなく、また、一日数十食分しか作らないのだそうです。 妹が「とろろそば」をそれ以外は「そばせいろ」を注文し、出て来るのを待っていました。 メニューを見ると「そばが出てきてから5分以内にお召し上がりください。」と注意書きがかかれています。 出て来た蕎麦をみるとたしかに細めの麺でしたが、腰もあって美味しく頂く事が出来ました。 妹が頼んだ「とろろそば」も非常に粘り気のある良い「とろろ」を使っていたので、機会があったら是非、「とろろそば」も食べてみたいと思いました。
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時の実
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そばせいろ(大盛り)
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時の実[12:50] - →R33 → ホテル[13:30] -
→ 伊佐爾波神社 → 道後商店街 → 道後温泉駅[14:20]
砥部を後にすると、道後温泉のホテルに向かいました。 松山駅に向かう時とはうって変わって、比較的大きな道を通ってすんなりとホテルに到着しました。 まだチェックインには時間が早いので、ホテルに荷物と車を預けると道後温泉街を散策です。 他の人たちには先に商店街を散策して貰い、前回訪問した際に頂き損ねた御朱印を頂きに伊佐爾波神社に向かいました。
皆を待たせてはいけないと、参道の石段を一気に駆け上ろうと試みましたが、流石に途中で息が切れ足も上がらなくなり、最後は歩いて登りました。 無理をしたら、心臓発作でも起こしかねません。 残念ながら、ここでも御朱印帳は買えずに、御朱印を押した紙を頂いて帰りました。 石段の下では、猫が丸くなって気持ち良さそうに寝ていました。
延喜式内社で、祭神は、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、三柱姫大神である。 社伝によると仲哀天皇、神功皇后が道後温泉に来浴した時の行在所跡に建てられた神社で、湯月八幡とも呼ばれたという。 当神社は、河野氏が湯築城の鎮守として、今の地に移したといわれ、その後、加藤嘉明が、松山城の固めとして八社八幡を定めたとき、一番社として武運長久の祈願所となったという。 現在の社殿は、松山藩松平第三代藩主の定長が、将軍から命じられた流鏑馬を成功させたお礼として建立したもので、その様式は、大分県の宇佐神宮、京都の石清水八幡と並んで日本を代表する八幡造といわれる。 |
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狛犬(吽)
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狛犬(阿)
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伊佐爾波神社での参拝を終え、合流する為に携帯で居場所を確認しようとしましたがつながりません。 仕方なく、皆を探しながら道後温泉駅方面から「椿の湯」方面に向かって歩いて行くと、六時屋の前で皆でアイス最中を食べていました。 キャーキャーと騒いでいたらしく、携帯が鳴った事に気付かなかったとの事でした。 そういえば、3年前もここでソフトクリームを食べた記憶があります。 |
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3年前に買った娘の伊予絣の甚平が小さくなってしまったので、新しいものを求めようと再びこのお店を訪れました。 お店の方が一生懸命に探して下さったのですが、娘のサイズに合う甚平が見つからず、残念ながらと別のお店で作務衣を見ていた所、「何とか見つけ出した」と白久本店のお店の方が吹っ飛んで来ました。 作務衣を勧めていた店の方は嫌な顔をしていましたが、前の店に戻って甚平を見せて頂きました。 ズボンのゴムは弛んでしまっていましたが、サイズや柄は我々のイメージのものとぴったりで、早速買い求めさせて頂きました。 |
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駅に着くとちょうど駅前の引込み線に坊ちゃん列車が入ってきました。 親父達は早速記念撮影です。 予定している坊ちゃん列車が来るまでに少し時間が有りましたので、駅に併設されているSHOP・坊ちゃん列車を覗いて見ると、新しい「坊ちゃん列車チョロQ」等を発見、前回買ったものとの違いは判りませんでしたが、取りあえず3種類ともゲットしました。
道後温泉駅[14:33] - → 坊ちゃん列車 → 松山市駅[14:49] → 道後温泉[15:10]
西日の差すホームで坊ちゃん列車を待っていると、今回は3両編成の列車がやってきました。 乗車券と共に貰った整理券順に列車に乗り込みます。 我々は8〜12番でしたので、3グループ目に乗ることが出来ました。 平日にもかかわらず、多くの人が乗り込んできて2両ある客車はほぼ満員です。
出発時間になると汽笛を鳴らして松山市駅を目指して出発しました。 運転手も車掌さんも当時の格好をして、観光案内をしてくれます。 娘は大好きな汽車に乗れて大興奮でしたし、親父達も結構楽しんでくれたようでした。 今回も、松山市駅で運転手と車掌さんが力を合わせて、機関車を方向転換させるのを見届けると、時間節約の為に、タクシーで道後温泉まで戻りました。
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人力による機関車の方向転換
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道後商店街[15:10] - → 道後麦酒館 → ホテル[17:00]
道後温泉に戻ると先ずは放生園で足湯に浸かりました。 妹が足湯に入ると、娘も入りたがり2人で仲良く足湯に浸かっていました。 残念ながら、からくり時計は10分程前に終わってしまい、今回も見ることが出来ませんでした。
前回、「三日月をシーソー代わりに遊んでいるうさぎたちの彫り物」を買い求めた一刀彫りのお店を覗いて見ました。 来年の干支である木彫りのねずみが数多く置かれていました。 当日は余り興味を示さなかったように思えた妹達は、最終日にこのお店でいろいろと買い込んだそうです。 |
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今回も、もちやき煎餅を買い求めました。 無愛想なおばさん(店員)は、3年経っても相変わらず無愛想でした。 これが意外と妹達に好評で、後々まで美味しかったという話が出る程でした。
道後温泉散策の目玉である道後麦酒館に向かいます。 ここでも背広組が異様に多く、店の中も一杯です。 まるで、夕方の新橋の飲み屋の様相を呈していました。
幸い座敷の奥の方に開いている席があり、お目当てのビールとおつまみを注文しました。 ビールの種類は坊ちゃんビール(ケルッシュ)、マドンナビール(アルト)、漱石ビール(スタウト)の3種類あり、私はマドンナと坊ちゃんを、家内は坊ちゃんを、親父が漱石ビールを頂きました。 親父は漱石ビールが口に合わなかったようで、あまり進んでいないようでした。
おつまみは相変わらず絶品で、特に「じゃこ天あげ」と「鳥皮のからあげ」が大好評でした。 「若鶏の唐揚げ」も初めて頼みましたが、独特の下味がつけてあり、こちらも大変美味しく頂きました。
前回がスーパーデラックスな部屋だったので、今回もちょっと期待しましたが、普通の部屋でした。 5人で泊まるにはぎりぎりでした。 平日にもかかわらず、全館満室との事で仕方が有りません。 前回の経験を活かして、食事時間を少し遅めにして貰ったので、夕食はゆっくりと堪能する事が出来ました(それでも全ては食べきれませんでしたが)。
食事の後は娘を連れて露天風呂にのんびりと浸かりました。 ホテルは全館満室だったにもかかわらず、時間帯が良かったのか風呂には殆ど人が居ませんでした。 娘は最初、お湯が熱いと入るのを嫌がっていましたが、流石に露天風呂で寒かったのか自分からお湯に浸かるようになりました。 やがて露天風呂から人がいなくなると、後はオンステージです。 湯船の中を走り回って見たり、湯船から上がったり浸かったりと娘なりに堪能していました。
朝は6時頃に浸かりに行きましたが、まだ夜明け前で前回のように朝日を拝む事は出来ませんでしたし、夜よりも人が多く入っていました。 昨晩は酔っ払って風呂どころではない人が多かったのでしょうか。
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豪華な夕食
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朝食
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ホテル茶玻瑠[9:00] - → 松山I.C. → 松山、高知自動車道 → 土佐神社[11:15]
朝食を頂いた後、次の目的地である高知に向かいました。 高知自動車道は殆どがトンネルの中の自動車道路で、トンネルの入口には番号が付与されていす(例えば8/19)。 19個有るトンネルの中でも明神トンネルは恐ろしく、約4kmのトンネルの殆どが直線で、次第に腕が硬直してきて、その後の緩やかなカーブに対応するのが大変でした。 トンネルは適度に蛇行していた方が安全上は好ましいと身を持って体験しました。
神社はちょうど七五三のシーズンで、土佐一の宮である土佐神社にも数組の家族がお参りに来られていました。 なかなか手に入れる事が出来なかった御朱印帳を買う事も出来、ホッと一安心です。
古代に境内東北方の礫石と呼ばれる自然石を磐座として祭祀したものが創祀と考えらています。平安時代、醍醐天皇の御代には式内大社に列せられ都佐坐神社と称され、朱雀天皇の御代天慶三(940)年には、神階を正一位に進ませられています。鎌倉時代初頭には神仏習合時代に入り、土佐国総鎮守一宮とされ、土佐高賀茂大明神と称えられました。室町時代には、正親天皇の御代元亀元(1570)年には、長宗我部元親が、本殿、幣殿、拝殿を再興、安土桃山時代後陽成天皇の御代慶長六 (1601)年には、山内一豊封をこの地に享けると共に以前の社領を免許し、二代忠義に至って摂社、末社を始め、鳥居、楼門、鼓楼を増築して、土佐の国最上の祈願所としました。明治元年、神仏分離令により、明治四年には土佐神社と改称、社格を国弊中社に列しました。戦後、昭和二十一(1946)年官国幣社の制度が廃止され、現在では神社本庁の別表神社とされています。 | |
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土佐神社[11:35] - → K364 → 酔鯨亭[12:10]
お参りを済ませ、次は種間寺に行くか、お昼にするか迷いましたが、お寺には午後行った方が良いとの言い伝えもあることなので、先に、お昼にしました。 目的地の酔鯨亭は「はりまや橋」の近くです。 ちょうどはりまや橋交差点で信号待ちで止まると、外から何やら音楽が聞こえてきます。 外を見ると、はりまや橋の横のビルの外壁で、からくり時計が12時を知らせている所でした。 信号待ちは意外と長く、妹達は盛んに写真に収めています。 親父がようやくカメラを取り出し、写そうかというタイミングで信号が変わってしまいました。
店の近くのコインパークに車を止めると、お店に向かいました。 ちょうどお昼時になってしまい、店の前に人が集まって来ます。 暫く並ばなければいけないかなと覚悟していたら、すんなりと二階に案内されました。 思った以上に店の中は広かったようです。 席に案内されると早速、鯨定食と単品で竜田揚げとベーコンを頼みました。 鯨定食には、鯨のたたき、花鯨、スジ肉のうま煮が付いてきます。 親父はどちらかと云えば生ものは嫌いなので、たたきは食べないと思っていたのですが、皆の期待を裏切って綺麗に平らげてしまいました。 竜田揚げは云うまでもありませんが、たたきも意外と美味しく頂く事が出来ました。 外国の方には理解され難い部分があるかも知れませんが、鯨を食することは大切な日本の文化だと、改めて思い直しました。
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酔鯨亭
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鯨定食
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鯨の竜田揚げ
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鯨のベーコン
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酔鯨亭[13:10] - → はりまや橋 →
→ R56 → 種間寺[13:50]
食事を終え、近くにあるはりまや橋を見に行こうと横断歩道で待っていると、再び「よさこい節」が聞こえて来ました。 時計を見ると、13時を回ったところです。 信号が変わるのをもどかしく待ちながら、はりまや橋にたどり着いた時には、からくり時計は終わってしまっていました。 今回は、道後温泉といい、ここはりまや橋といい、からくり時計には縁が無いようです。
娘を出産する際に、家内の友人がここのお守りを送ってくださったので、そのお守りを返納するためと、お腹の子の安産祈願に種間寺を訪れました。 想像していた場所とは違って、のどかな田んぼの中に佇んでいるお寺でした。 境内にある子育観音の周りには底の抜けた柄杓がずらりとならんでいます。 妊婦さんが御祈願をお願いすると1週間本堂で祈願した底を抜いた柄杓を頂け、出産後に奉納する慣わしなんだそうです。 もう少し近ければ、柄杓を頂いて帰ったのですが、さすがに高知には簡単には来られません。 気持ちだけ奉納して、柄杓の持ち帰りは断念しました。
敏達天皇の時代、摂津の四天王寺建立のため百済から招かれた仏師らが帰国の途中で暴風雨に遭い、近くの秋山に避難。仏師らは航海の安全を願って、薬師如来を刻み秋山の本尾山山頂に安置。後に来山した弘法大師が、薬師如来を本尊として堂宇を建立、唐の国から持ち帰った五穀の種を蒔いたことから種間寺と名付けられたという。 | |
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種間寺[14:10] - → K278, K36, K14 → 桂浜[14:40]
種間寺から再び細い道を通って桂浜に向かいました。 眠たくなった娘はぐずってしまって大変です。 結局、桂浜に着く直前に眠ってしまいました。 「はるうらら」で有名な高知競馬場の横を抜けると太平洋が見えてきました。 海沿いの道を進んでいくと桂浜です。 駐車場は結構混んでいて、空きを探すのに一苦労です。
桂浜を散策しましたが、思いの外波が荒く、泡沫となった海水が飛んできます。 カメラにかからないように注意しながら、海津見神社竜王宮に参拝し、阪本龍馬像あたりも散策しました。 娘は此処でもアイスクリンを買い求め、この旅行3個目です。
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桂浜
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桂浜[15:50] - → K35, R33 → 三翠園[17:00]
桂浜から高知の市街地へは意外と近く、30分程で着きました。 まだ明るいので、高知城でも見学しようと駐車場に入ろうとすると、係りの方が来られて「高知城は16時半までなので、後15分しかない。 明日は9時から開いているので、出直したほうが良い」と親切に教えて頂きました。
高知城見学は断念し、ホテルに向かいました。 土曜日とあって、ホテルの駐車場は一杯でした。
三翠園は山内家の下屋敷跡に建っています。 皆が思い思いに温泉や中庭の散歩から帰って来ると次は食事です。 部屋にあるテーブルや補助の机などを組み合わせ、上に白い布を被せるとあっというまに食卓が出来上がりました。 高知名物「皿鉢料理」を始め、食べきれない程の料理が並びます。 皿鉢料理には、カツオのたたきやうつぼの刺身も入っていました。 カツオのたたきは苦手なのですが、やはり本場は違います。 血生臭さもなく、非常に美味しく頂く事が出来ました。 うつぼも見た目とは違って脂がのりつつも淡白なお味でした。
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夕食
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刺身の皿盛り(皿鉢料理)
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三翠園
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旧山内家 下屋敷長屋(重要文化財)
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三翠園[8:30] - → 山内神社[9:00]
朝食はバイキングでした。 普段の食事が如実に表れるようで、親父と妹は和食を我々の一家は洋食になりました。
ホテルをチェックアウトすると敷地内にある山内家の長屋を見学しました。 狭くて急な階段で2階に上がることが出来、娘は嬉々として走り回っていました。 階段から転げ落ちないか心配になる位でした。
ホテルの直ぐそばに山内神社があります。 娘は境内入口のどんぐりを拾うのに夢中になってしまい、親父達と3人での参拝となりました。 昨年のNHK大河ドラマの影響でしょうか、拝殿は綺麗に立て直されていました。
明治四年(1871)廃藩置県の年の三月、最後の藩主で最初の知藩事山内豊範公が祖霊を祀るため、藤並神社の御旅所のあった現在地に社殿を造り、三代忠豊公より十四代豊惇公の霊を祀られた。 その後、戦火により焼失していた社殿を昭和四十五年に再建し、藤並神社と合併し、藩祖一豊公同夫人以下歴代藩主を合祀した。 | |
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山内神社[9:20] - → 日曜市[9:40]
日曜市を見学しようと昨日入ろうとした、高知城の東側の駐車場に向かったのですが、既に満車でした。 しかたなく高知城のまわりを一周し、最初に目に付いたコインパーキングに車を止めると、日曜市会場まで歩いて行きました。 県庁の駐車場も臨時駐車場になっていましたが、空きを待つ車が列になっていました。 会場までかなりの距離を歩き、まあ仕方ないと納得していたのですが、これが大きな間違いで、日曜市会場の中にも数多くの駐車場がある事に、後で気が付いたのでした。
散策しながらお土産にトマトを買ったり、高知名物「イモケンピ」を買い求めたりと凡そ1.3km続く日曜市の半ば近くで、他のものを置いて車を取りに戻りました。 これが意外と大変で、駐車場に行き着いた時にはくたくたになっていました。 一息ついて、他のご一行を回収すると次の目的地大歩危に向かいました。
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日曜市
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小物屋さん
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トマト屋さん
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日曜市[10:30] - → 高知I.C. → 高知自動車道 → 大豊I.C. → R32 → 大歩危[12:00]
高知自動車道を降りて大歩危に向かったもののカーナビの設定をホテルにしてしまった為に、それらしい遊覧船乗り場が見つかりません。 ホテルのそばに停車して、電話で確認を取ったところ、もう少し北に向かった所にレストランを兼ねた遊覧船乗り場が有ることを教えて頂き、無事に辿り着きました。 地上の駐車場は一杯で、地下に誘導されましたが、入口の坂が急勾配で車体の下を擦ってしまいました。 駐車場に車を止めて車から降りると結構肌寒く感じます。 寝ている娘を抱きかかえて、遊覧船の切符売り場を探すと地上階との事で、上に切符を買いに上がりました。 遊覧船への乗り場は再び地下に降り、更に崖沿いに川岸まで綴れ降りの階段で下って行きます。 後で考えると、妊婦である家内にはかなり無理をさせたのではないかと反省しました。
遊覧船は40人弱が乗れ、ほぼ満員で出発しました。 天気が今ひとつなので、水が淀んだように見え、船の中央に設けてある水中観察用の窓からも魚を見ることが出来ません。 天気が良ければ水もより透き通って見え、魚も見えたのではないかとちょっと残念でした。
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大歩危峡
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観光船
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対岸に居たお猿さん
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大歩危[12:50] - → K45, K32 → かずら橋[13:20]
もっと山奥にあると考えていた「かずら橋」は予想に反して観光地化されていました。 「かずら橋 夢舞台」という名前の市営駐車場を兼ねた観光センターに車を止めて、10分程歩いた所に「かずら橋」はありました。 妊娠中の家内は「かずら橋」に平行してかかる橋で留守番です。 かずら橋の通行は有料で\500します。維持管理の為には必要な金額なのだと思います。
さて、いよいよ渡橋ですが、一眼レフを抱えながらの渡橋はちょっと失敗でした。 一方、娘は怖い物知らずでひょいひょいと渡って行こうとします。 同伴しているこちらの方がへっぴり腰になってしまって、なんだか立場が逆になってしまいました。 一人で渡ったら、スムースに渡れたかというと自信は有りませんが、娘が落ちては行けないと思いながらの渡橋は心身共にかなり疲れました。
ともかく日本三奇橋と呼ばれる山口県錦川の錦帯橋、ここ徳島県祖谷のかずら橋を制しましたので、残るは山梨県桂川の猿橋のみです。
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かずら橋
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かずら橋[14:30] - → K32, K45, R32, R192 → 三島川之江I.C. → 松山自動車道 → 松山I.C. → 道後温泉[18:00] → 三津浜港[18:30] -
→ 柳井港[21:20] -
→ 自宅[22:10]
遅めの昼食を摂り人心地ついた処で、親父達を送るために再び道後温泉へと向かいました。 国道32号線から192号線に出る際に、東に行くべき所を西に曲がってしまい、井川池田I.C.から乗る予定の高速道路へ乗れず、一区間一般道路を走ったため、道後温泉に着いたのが若干遅くなってしまいました。
今回は余程旅行が楽しかったのか、松山に近づくにつれて娘がハイテンションになって行きました。 親父達と別れなければならないことを感じているようです。 いよいよ道後温泉で別れる段になると、もう大泣きで大変でした。 これだけ別れを悲しんでくれれば、親父達もわざわざ四国まで来た甲斐があったのではないでしょうか。
前回の経験を活かし、三津浜港へ向かう途中のコンビニでお弁当を仕入れ、フェリーの中で食べることが出来ました(娘は既に夢の中でした)。
今回も、楽しく旅行する事が出来ました。 また、このメンバーでどこかへ遊びに行ければと考えています。
名称
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内容
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住所
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電話番号
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備考
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砥部焼観光センター | 焼き物 | 愛媛県伊予郡砥部町千足359 | 089-962-2070 | |
時の実 | そば処 | 愛媛県伊予郡砥部町宮内1404-1 Sステージ | 089-962-1404 | |
六時屋 | たると | 愛媛県松山市道後湯之町14−22 |
089-943-6060 | |
白久本店 | 伊予絣 | 愛媛県松山市道後湯之町14−21 |
089-943-7679 | |
道後温泉駅 | 駅 | 愛媛県松山市道後町1丁目10−12 | 089-986-3662 | |
伊予雛屋 | 一刀彫 | 愛媛県松山市湯之町13−8 | 089-931-1477 |
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もち焼きせんべい | 愛媛県松山市道後湯之町13−17 |
089-921-0019 | ||
道後麦酒館 | ブルワリーパブ | 愛媛県松山市道後湯之町20-13 | 089-945-6866 | |
茶玻瑠 | ホテル | 愛媛県松山市道後湯月町4 | 089-945-1321 | |
酔鯨亭 | 食事 | 高知県高知市南はりまや町1−17−25 | 088-882-6577 | |
土佐闘犬センター | 土産物 | 高知県高知市浦戸6 | 088-803-5603 | |
三翠園 | ホテル | 高知市鷹匠町1-3-35 | 088-822-0131 | |
大歩危峡まんなか | 観光遊覧船 | 徳島県三好市山城町大歩危 | 0883-84-1211 | |
道の駅「にしいや」 | 道の駅 | 徳島県三次市西祖谷山村尾井ノ内348-2 | 0883-87-2670 | |
かずら橋夢舞台 | 観光センター | 徳島県三好市西祖谷山村今久保345−1 | 0883-87-2200 | |
オレンジライン | 防予汽船 | 山口県柳井市柳井134−6 | 0820-22-3311 |