志村 五郎:数学をいかに教えるか

作成日:2017-12-02
最終更新日:

概要

前著三冊『数学をいかに使うか』、 『数学の好きな人のために』、 『数学で何が重要か』の続編。 本書で四部作が出そろう。

感想

人の詮索

評者である私にとって、人の詮索は楽しみである。だからこの本を読んだ楽しみのほとんどは、著者が例を出している人の詮索である。 ただ、その詮索のための情報のかなりのところは、 著者が刊行した前著三冊にあるのではないかと思われる。 評者はこれらを持っていないので、残念である。

その後前著三冊を借りてきた。わかったところがあれば補足する。(2021-06-25)

1. いかに教えたか

例の教授

さて、著者はどんな人を描写しているか。まず、p.030 から

1960年頃東大の三年生の代数の講義の第二学期を教えたことがある. 一学期は例の「実数論を一学期教えた」教授がやってその人が外国に行くことになったので,そのあとを私が引き受けたわけである.

ここで「例の」ということばが出てきているが、その先行事実がわからない。たぶん前著三冊にあるのだろう。

その後、四部作の他の本も読むことができた。 『数学で何が重要か』に 「ある大学の一学期に実数論をやり」という人が出てくるから、たぶんこの人のことだろう。

2. ゆとり教育から勲章まで

偽善的

p.034 の冒頭は次の通りだ。

数学は教え方をうまくすれば誰にでもわかるように教えることができると言う人がいる. 数学というより算数だけのことで,中学二年までのことかも知れない. 私はそれ程楽観的ではない. 算数に限らず,世の中には物事を学ぶ気のない人もいれば,どう教えてもできない人がいるので, それは仕方がない現象であると私は思っている. あまり偽善的なことは言わないほうがよい.

これを読んでなんと著者は正直な人だろう、と思った。そして、偽善的、ということばの使い方について納得したのだった。

文化庁長官

次は p.035から。

ゆとり教育を言い出した人物のひとりはかつて文化庁長官であった.ある時ザルツブルクを訪れ,知人から Magic flute の切符をもらってそのオペラを観た. 少しも楽しめずに「何しろ台本がまずい」と言った.これは伝聞ではなく,本人が書いたことである.

その後著者はこの文化庁長官をコテンパンにけなしている。さすがにこの元文化庁長官はだれだか私にもわかる。もっとも、 「本人が書いたこと」を確認しているわけではない。

数列の極限

p.38 では、「数学で何が重要か」の p.23 にある次の問題を再度載せている。

たとえば、[重,p.23] にある `lim_(n->oo) a_n, ` ただし `a_(n+1) = a^(a_n) , 0 lt a = a_1 in RR,` を求める問題など易しくはないが十分楽しめる問題であると思うのだが.

ちょっと考えてみた。難しい。もちろん、`a gt 1` の場合は正の無限大に発散する。`a=1`の場合は `1` に収束する。 `0 lt a lt 1` の場合はどうだろうか。少し表計算ソフトウェアで計算させて、収束はするだろう、という見当はついた(註1)。 その収束値 `alpha` は、おそらく、`alpha = a^alpha ` すなわち、`alpha^(1/alpha) = a` を満たすような `alpha` だろう。 これを証明するのが難しい、ということだ。

見当をつけるだけなら、漸化式でよくやるような方法を使えばよい。 仮に収束するとしたら `a_n` も `a_(n+1)` も同じ値になるだろう。それを `alpha` とおく。すると漸化式は、 `alpha = a^alpha` となる。

この `alpha` に収束することを厳密に示すには、縮小写像の考え方が必要である。ここで、 関数(写像)`f` が縮小写像であるとは、リプシッツ定数 `k` が `0 le k lt 1` となるリプシッツ連続な関数であることをいう。

さらに、リプシッツ連続な関数の定義は次のとおりである。
関数 `f (x)`が、任意の実数`x, y`に対し
`abs( f (x)- f ( y) ) le k abs( x- y ) `
を満たす(`x, y`に無関係な)0 以上の定数 `k` がとれるとき、関数 `f (x)`はリプシッツ連続である (または `k-`リプシッツ連続である)といい、`k` をリプシッツ定数という。

ここまで用意すると、次の定理が使える。

関数 `f(x)` が縮小写像のとき、漸化式 `a_(n+1) = f(a_n)` で定まる数列は、`f(x)` の不動点 `alpha` に収束する。

この定理の証明は省略する。この志村の問題では、`f(x) = a^x` として `f(x)` は縮小写像であることがいえれば、数列 `{a_n}` は、 不動点 `f(alpha) = alpha` を満たす `alpha` に収束することがいえる。

さて、`0 lt a lt 1` のとき、`f(x)= a^x` は縮小写像であることは言えるのだろうか。
http://scipio.secret.jp/2014-1st/2014syukusyouANS.pdf
に縮小写像を使う例が多く載っている。これらを研究すればいいと思う (2019-05-21, 2019-05-23) 。

注1:実は、`a` がかなり小さいと、収束せず、振動するように見える。 たとえば、`a = 0.01` だと、`n` が奇数のときは 0.013903 になり、 `n` が偶数のとき 0.941488 と振動する。 `a = 0.05` だと `n` が奇数のときは 0.137359 になり、`n` が偶数のとき 0.662661 と振動する。 ただし、以上の計算は誤差を含んでいるため、正確ではない。 `a = 0.1` では、n の偶奇にかかわらず 0.399013 に収束するようにみえる。

注2:この問題の解答が、ある本に載っていたが、その本の名前は忘れた。 やはり `a` の値によって、振動したり収束したり発散したりするようである。(2020-05-17)

注3:別の本でランベルトの W 関数を調べていたら、次のページがあった。 https://assets.press.princeton.edu/chapters/s3-17_10592.pdf
これによると、こんなことが書かれていた:

次の漸化式を考える:

`a_(n+1) = z^(a_n)`
仮に `a_0=1` から開始すると、`a_1 = z, a_2 = z^z, a_3 = z^z^z` となる。 この数列が収束すれば、収束解は `a = z^a` を満たし、`a = -W(-lnz)/(ln z)` と表わされる。 驚くべきことにこの(いわゆる指数のタワーとして定義される)漸化式は、`z` が小さい場合はたとえ `z` が実数の場合でも収束する。特に、`e^-e le z le e^(1/e)` を満たす実数の場合は収束し、 `z lt e^-e = 0.0659880` を満たす場合は発散する。この結果はオイラーによる。

ランベルトの W 関数とこの指数タワーについては、下記にも言及がある:
https://www.uwo.ca/apmaths/faculty/jeffrey/pdfs/W-adv-cm.pdf

また、この指数タワーについては、 ヘンテコ関数雑記帳の p.135 に記載がある。

天皇制

p.038 から p.042 は天皇制について述べている。p.039 から抜粋する:

(前略)まず今日の人々が思っている天皇制とは明治維新以来のものであって、千年もそうであったのではない. 古い話はやめて,政治制度としての天皇制は 1868 年からあとの十年ばかりの間に作り出した「変な物」であって, それを有難がる必要はまったくない.

自分で考えたことを、自分の信念で、そのまま語っている。たいしたものだ。

一方で、著者は高名な社会学者である丸山真男を批判していた。ただし、その文献がわからないので、詳細は追って記す(この項、2019-05-12 記す)。

3. 掛け算の順序

つぎに、掛け算の順序について書かれた章の p.048 を見てみよう。

数学教育で昔からいろいろな場所に顔を出していて, 入門書のようなものをかなり書いた人がいる. ある国立大学の数学科の教授であったが, この人はどこかで使う目的で自分の教室での講演をテープか何かに吹き込んでいた. だから学生には教室で質問することを禁止した. それはそこにいた学生のひとりが私にした話である.

この人に関して見当はつくが、あやふやなのでわからない。その後著者は たぶんこの人が掛け算の順序についてうるさく言いだした連中の主なひとりだと思うがその点はっきりしない. いずれにせよそんなことを平気でする人間であった.と続けている。

この「そんなこと」をいうのが何を指すのか、評者にはよくわからない。「教室で質問したことを禁止した」ことか、 それとも「掛け算の順序についてうるさく言いだした」ことか、ということである。 最初は教室での質問のことを指すのかと思ったが、 著者は「掛け算の順序についてうるさく言いだしたこと」を指すつもりだったと評者は思う。「いずれにせよ」 というのは、「連中の主な一人だと思うがその点はっきりしない」を受けていて、その一人であるか、ないかにかかわらず、 ということを表している。評者の結論はこうだ。掛け算の順序に意味を持たせることが愚劣だと思っている著者は、 気持ちは「そんなこと」を「掛け算の順序についてうるさく言いだした」ことに違いない。ただそれでは論理的には成り立たないので、 表向きは「学生には教室で質問することを禁止した」ことを指すようにもとれる表現を使ったのだろう。

4. 昔の教科書からはじめて思いつく話

ユークリッド幾何を教えるのは数学の論理的な面を教えるのに有効である、という主張があることを述べ、 著者はこう反論している。

これは次の点で間違っている. ユークリッド幾何ばかりでなくあらゆる数学の命題は正しい論理で証明されなければならないからである.

中略

だが,と読者は言うかも知れない.「ユークリッド幾何でそれ(=正しい論理での証明)をやってもいいではないか」と. ところがそこにひとつおとし穴がある. 数学を教えるのにいつでも実地に必要になるのは練習問題とか試験の問題である.

中略

昔の旧制高校の入学試験にはそれ(=ユークリッド幾何の試験問題)があって受験準備のために数多くの問題を解いて受験生は苦しんだのである. そして,特にこのユークリッド幾何のは人工的な難問が多く,学んでもその後何の役に立たなかったのである.

私はこれを読んで拍手した。なぜかというと、私はユークリッド幾何が苦手だったからである。 幸い、中学受験はしなかったし、高校受験が終わってユークリッド幾何からはほぼ解放されたのだ。

なお、中略の部分では、正しい論理で証明されなければならない例として多項式論を取り上げている:

たとえば多項式 `F(x)` に対して `F(alpha) = 0` ならば `F(x)=(x - alpha)G(x)` となる多項式 `G(x)` があるとか `F(alpha) = F'(alpha) = 0` ならば `F(x)=(x - alpha)^2 H(x)` となる多項式 `H(x)` があるというような命題を証明して見せればよいのである.

この後半は実は、『数学をいかに使うか』 第2章 p.018 の上から2行目の言明である。

5. 部分積分とその発展

微分法における部分積分から始まってあれよあれよという間に微分作用素とその随伴作用素まで話が進んでしまう。

より一般に `A sub bbR^n` として `A` における関数に作用する微分作用素 `D, E` について
(5.4) `int_A Df*gdx = int_A fEg dx`
となるとき `E`を `D` の随伴作用素(adjoint operator)と呼ぶ.

6. 悪い証明と間違え易い公式

無数の教科書を書いたアメリカ人

次に、誤った公式を教科書に書いたアメリカ人への言及である。p.071 を参照。

次の公式
`int_-oo^oo bb e(-xy)x^n exp(-pi x^2) dx = (-i)^n exp(-pi y^2)`
がすべての `n in ZZ, gt 0` について成り立つ,と思ってそう教科書に書いた人がいる.前に注意した 「無数の教科書を書いたアメリカ人」で,あとの版では `n = 0, 1` だけに直したようであるが.

上の式が `n = 2` 以上でも成立するようにするには、エルミート多項式を導入すればよい。詳細は省略する。 なお、このアメリカ人は誰か、想像してみた。ひょっとしてこの人かなと思い、別口から調べてみたら、別のある人もそう思っているらしい。 (以上、人の詮索の項は 2017-12-02 に記す)

解析学の教科書

著者は pp.072-073 にかけて、解析学を教えるとしたら、あるいは教科書を書くとしたら注意すべき点がいくつかある、 という。要件は次の通りだ。

  1. Lebesgue 積分を入れる. ただし[使、§9]の方針でやる.
  2. 多変数の積分を微分形式を入れて論じる.
  3. 常微分方程式の解の存在定理を入れる.
  4. Fourier 級数だけでなく Fourier 変換を入れる.つまり
    `f |-> hat(f), quad hat(f)(x) = int_RR bbe(-xy) f(y) dy`
    を考える.
  5. 複素解析とこれらを融合させる.そして `del//delz, del//del bar(z), dz, dbar(z)` を使う.
  6. 具体的な関数,つまり楕円関数,ゼータ関数などを論じる.

これをすべて実現している日本語の教科書がであればいいのだがどうだろうか。 だいたい、私の頭の中では(広義の)解析学のうちの基本段階に微分積分学があり、 微分積分学の次に来るのが解析学で実解析・複素解析・関数解析・微分方程式・確率論などがあると思っていたからだ。 著者の主張では、基本段階としての微分積分学に上記の要件を入れるべし、というように見える。 私が持っている本には見当たらず、借りてきた本の中では一松信の「微分積分学入門」(第一課から第四課) のシリーズがそれに近いので比べてみよう。

まず、ルベーグ積分だが、この「第四課」に項目がある。しかしここでのルベーグ積分は、 1実変数 `RR` に限っているので、リンク先の方針とは異なる。
次に多変数の積分については「第三課」でコラムとしては挙げられているが、本文には組み込まれていない。
常微分方程式の解の存在定理については、このシリーズにあるかどうかわからない。 というのは、このシリーズで常微分方程式を取り扱っているのが第二課なのだが、それはみたことがないからだ。
フーリエ変換の取り扱いはない。
複素解析は「第四課」で説明されているが、「これら」との融合はないようで、引用された概念も使っていないと思われる。
具体的な関数については、列挙された関数についての記述はなかった。

ということで著者が注意していた点を満たすような教科書ではなかった。しかし、そんな教科書が他にもあるだろうか。

なお、参考にはならないだろうが、応用物理を専攻した私が受けた数学の授業では、 1年生で微積分の初歩と線形代数を、2年生で微積分の続きと常微分方程式を、 3年生で複素関数論(フーリエ変換含む)と関数解析を学んだ。 ルベーグ積分や微分形式は学んでいない(と思う)。常微分方程式は解の存在定理までやったかどうか、覚えていない。

7. `zeta(s)` の値

タイトルからしてゼータ関数である。この章はパスする。

8. L-関数の値

タイトルからしてわからない。このタイトルは Dirichlet の L-関数のことらしい。この章もパスする。

9. Euler 数と Euler 多項式

タイトルからしてわからない。この章もパスする。

10. 『数学で何が重要か』の訂正と類体論について

著者は、 類体論の歴史を多くの数学者を挙げつつ振り返っている。そして、 類体論の完成における高木貞治の果たした役割について、 彼には彼の貢献はあるがそれを誇大に言ってはならない.と主張している。 私はその是非について論じるだけの知識がない。

著者の死亡の報を知る

そうこうしているうちに、著者が死亡したという知らせを聞いた。 氏の名前は、ワイルズによるフェルマーの大定理の解決とともに多く人々の知るところとなった。 私は、著者が亡くなった後でも、この本を始めとするこれら4冊の本を読み続け、考えていくことが使命だと考えている。

数式の記述

数式はMathJax を用いている。

書 名数学をいかに教えるか
著 者志村 五郎
発行日
発行元筑摩書房
定 価950 円
サイズ
ISBN
NDC
その他ちくま学芸文庫、古書市にて購入。

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MARUYAMA Satosi