QアンドA10
シンハラ語の文法は日本語と似ていないと言われましたが?

 「かしゃぐら通信」は日本語とシンハラ語が似ていると主張なさるのですが、「シンハラ語の文法は日本語とはまったく別のものだ」と専門家から言われました。シンハラ語には印欧語の性格を持った難しい文法規則があって、それが日本語にはない。「だから、シンハラ語は日本語とは別のもの」と「かしゃぐら通信」の”軽率な”説を叱責していましたが?


No-10 2006-2-07 2015-May-20
 シンハラ語の文法は日本語とまったく違う。日本語とシンハラ語の単語に日本語との対応があるなんて口にするのはもってのほか、云々…
 そう声高に叱っても、「日本語のスタイルでシンハラ語が話せる。日本語の単語を少し変形させればシンハラ語の単語になる」という事実は動かないのです。
 「シンハラ語と日本語が似ているなんてとんでもない」とおっしゃった方がシンハラ語をお話になるとして、そのシンハラ語は「シンハラ語として聴くにたえない」のではないかと思われます。
 確かに、シンハラ語の文語、流行語、俗語を聞けば、それらは日本語と似ていません。
 文語を話す人は、と言いたいのですが、文語を話す人なんていません。書き言葉ですから。例外はあります。そう、TVでニュースを伝えるアナウンサーなら文語を声に出して読みます。
 流行語と俗語を使うのは、これは何処でも同じで若者同士、彼らの符丁です。流行語と俗語でコミュニケーションをとるのは異文化にうまく溶け込む常套手段ですが、かしゃぐら通信ではお勧めしません。
 それら以外の場。つまり、普通の人との会話、伝統を守るシンハラ人とのシンハラ語会話なら、そこには日本語に共通する要素がシンハラ語にかなり入り込んでいるのです。
 スリランカでシンハラ語を話す時、次のことを心に留めてみてください。

 ①シンハラ語を話す時、まず、日本語で言葉を発想する。このとき「て、に、を、は」(助詞)に注意する。
 ②日本語の_「て、に、を、は」をシンハラ語の「テ、ニ、ヲ、ハ」に変える。
 ③シンハラ語の動詞活用をなるべく使いこなすようにする。

 後はシンハラ語を話すだけです。
 動詞のことですが、シンハラ語の動詞も日本語の動詞のように語幹+活用語尾の基本パターンで構成されています。例外はあるのですが、ほとんどのシンハラ動詞は日本語の動詞の四段活用のように決まりきった活用をします。まるでシンハラ語と日本語はその源流が何処かで繋がって一つになっているかのようです。


シンハラ語のルーツに関してこんな神話があります。
 /『ラーマーヤナとインド・アーリア人の社会、-インドとセイロンの場合-』から S.C.De 1976 Ajanta Publications(要約)

●…シンハラ語は、結局のところ、インド系アーリア人のプラ-クリット Prakrit 方言の2種から派生したのもである。

● タミル語はドラヴィダ系の言語(方言)だが、多くの単語をサンスクリットから借用しており、また、実に多くのサンスクリット文化を吸収している。
 クリシュナスワーミ・アイヤンガル博士は彼の著書『インド文化に寄与する南インド』のなかでこう指摘する。南インドのブラーフマニズムは前仏教的な色彩を帯び、シヴァ、バラデーワ Baladeva 、クリシュナ、そして、ブラーフマニヤ即ちカールティケーヤへの信仰はきわめて早い時期から行なわた。また、アーリア人がインドの北部で抑圧された時、彼らの格好の逃げ場となったのも南インドであり、それ故に南インドは太古からオーソドックスなブラーフマニズム Vaidic , Pauranic が定着していた。だから、南インドは基本的にアーリア人の文化を引きつぎ、時折、紛れもなくアーリアの顔が出てくる。アーリア文化は南インドの構造の中に組みこまれているのである。タミル語の伝統はシヴァに対する語彙に現れ、南インドに招かれたアーリア人アガスティヤ Agastya によって作られた文法で構成されている。

● 仏教はヒンドゥ教の1派である。ヒンドゥ哲学の一つサーンキャ Smkhya 派の流れによって作られたのが仏教である。ヒンドゥ教と仏教には固有の反目 inherent antagonism というものはない。仏陀はヒンドゥ教の人々にとってウィシュヌの十の化身のうちの一つに過ぎない。大乗仏教は小乗仏教とパウラーニック・ヒンドゥの混合した形態に過ぎない。スリランカではブッダの偶像がヒンドゥ教の神ウィシュヌ・ガネーシャ・カールティケーヤ・ウィビーシャナと共に一つの寺院の中で並んでいる。
 BC104年にワラガム・バーフ王がダンブッラに建てたデーワ・ラージャ寺(ウィハーラ)はその一例で、ドナルド・オベーセーカラは『セイロン史素描』で、S.M.ビューローBurrows も『セイロンの埋もれた都市』でそのことに触れている。仏教はブラーフマニズム(バラモン教)と同様にヒンドゥ教の一宗派と見なされるのである。
 後のマハールシ・デウェンドラナータ・タゴール Maharshi Devendranatha Tagore , リベレンド・ケシャワチャンドラ・セン Reverend Kesavachandra Sen 、そしてあの偉大なラウィンドラナータ・タゴール Ravindranatha Tagore らは、その卓越した理解者とされている。

● 仏教文学の傑作はサンスクリット語(例えばアシュワゴーシャ Asvaghosha の叙事詩やドラマ)とパーリ語で書かれ、これら二つの言語はシンハラ語文学に決定的は影響を与えた。

● 当初、アーリア人のインドには三つの言語があった。言語というよりは三つの方言(地方語)といった方が正確かも知れない。
 その一つはウェーダ語で、これは聖職者の言葉となった。
 二つ目は広く流布した文語表現で、この文語表現の中でもパーニニ Panini の文語には不規則性がなく、このパーニニの文語が後にサンスクリットの叙事詩に用いられ、プラーナ Puranas に使われ、クラシクス Classics つまり、後のカーウヤ Kavya にも現れることになった。 

● 三つ目は会話語で、そこに現れる口語の日常表現がまた、様々なプラ-クリット語を生んだ。
 様々なプラ-クリット語というのは、マーガディ、つまり、パーリ語であり、口語体のマーガディ Magadhi 語であり、演劇文学のことばアパバラムシャ Apabharamsa (プラ-クリット語にAbhiras などの慣用語句を加えたもの)である。これらが後に、ベンガリ語、ヒンディ語、グジャラーティ語、マハーラーシュトリ語、シンハラ語に分化してゆく。そして、このような多様な展開をもたらした外的な要因は、ウールナー Woolner によれば次の三つの理由があげられている。

 ①経済的欲求とその努力の結果。
 ②亜熱帯気候の穏やかな影響
 ③アーリア人が接触を持った非アーリア人の言語の影響

 パーリ語はおそらく、マーガディ語のもっとも初期の形を残しているだろう。マーガディ国はアーリヤワルタ Aryavarta を侵略した後に東に進んだアーリア人が話し、書いていた言葉である。P.B.バパト Bapat は1928年のインド史季報の中で音韻、文法、語彙の各項目からパーリ語がアルダマーガディ Ardhamagadhi より上位にあることを示した。パーリという言葉は「聖典の詩篇」を意味するパータリから派生した。パータリはパータリプトラまたはパーリボトラ Pataliputra / Palibothra の短縮形である。パーリはパータリプトラ、即ち古代パトナ Patna の言語だった。
 
● 現代シンハラ語はエル Elu 、つまり、古シンハラ語から発展し、古シンハラ語はサンスクリット語、ウィジャヤシンハとその配下たちの話したマーガディ語、仏教を伝えた僧たちの使うパーリ語(仏教聖典語)、そして、通常の文学などにその起源を持っている。また、スリランカ先住民の語彙を吸収していることも疑いはない。
 ベンガリ語はマーガディ語とサンスクリット語の影響をその語彙に受けている。以下はベンガリ語とシンハラ語に共通する語彙である。 

ベンガリ語 シンハラ語 英語
Vaata Vaataya air
Valaahaka / megha Valaakula / megha cloud
 

 シンハラ語はだいたい以上のようにして生まれてきた、とされています。
 でも、これ、繰り返しますが文語の話なんです。話し言葉じゃない。文語だけを相手に研究すればこんな要約がまかり通ります。これを読まれた方は口語の世界も同じだと思ってしまうでしょう。

 口語シンハラは文語シンハラとは別物です。ですから、先に挙げたことの繰り返しですが、次のことをマークしておけばシンハラ語はシンハラ人っぽく話せてしまいます。

 ①シンハラ語を話す時、まず、日本語で言葉を発想する。このとき「て、に、を、は」(助詞)に注意する。
 ②日本語の_「て、に、を、は」をシンハラ語の「テ、ニ、ヲ、ハ」に変える。
 ③シンハラ語の動詞活用をなるべく使いこなすようにする。

 さあ、シンハラ語を話しましょう。