別称 龍(竜)斎 一龍斎 弌龍 朴年人
※①〔目録DB〕〔国書DB〕:「日本古典籍総合目録データベース」「国書データベース」〔国文学研究資料館〕
④〔早大〕 :「古典籍総合データベース」 ⑤〔東大〕:『【東京大学/所蔵】草雙紙目録』
「日文研・艶本」:「艶本資料データベース」 〔白倉〕:『絵入春画艶本目録』
角書は省略。①~⑥は「合巻年表」の出典
☆ 文政二年(1819)
◯「合巻年表」(文政二年刊)
歌川国虎画
『雑食橋由来』表紙「歌川国虎画」歌川国直画 十返舎一九作 鶴喜板 ④
『累辞絹川堤』表紙「国虎画」 春亭画 福亭三笑作 鶴喜板 ⑤
◯「歌川豊国門人」(合巻『杉酒屋妹背山々』一圓斎国丸画 葛葉山人作 西与板 文政二年刊)
豊国像 国丸画 国丸像 国虎画 『杉酒屋妹背山々』巻末(国書データベース)
(二組の鏡餅が四段の棚に置かれ、その敷紙に豊国門人の名前あり。上段から)
歌川国長 歌川国光/歌川国貞 歌川国丸/歌川国直 歌川国虎/歌川国瀧 歌川勝之助
☆ 文政四年(1821)辛巳
◯「合巻年表」(文政四年刊)
歌川国虎画
『男達東鑑』「欣堂像 国丸像 国虎画」歌川国丸画 向栄楼欣堂作 西宮新板 ①
☆ 文政七年(1824)
◯「艶本年表」(文政七年刊)
歌川国虎画
『恋相撲四十二手』色摺 半紙本 二冊 猿猴坊月成序 文政七年〔日文研・艶本〕〔白倉〕
(白倉注「囲の梅が香・隅田川の雪・青楼の月と雪月花の趣向。内容は濃いの懸引」)
『センリキヤウ』 色摺 半紙本 三冊「一龍斎」猿猴坊くれないの月成(二世焉馬)作 文政七年〔白倉〕
(白倉注「豊国の『逢夜鳫之声』の姉妹編。「センリキヤウ」はいわゆる遠眼鏡のことである」)
☆ 文政八年(1825)
◯「艶本年表」〔白倉〕(文政八年刊)
歌川国虎画
『祝言色女男思』色摺 半紙本 三冊 一龍 高雁亭茎立(十字亭三九)作 文政八年
(白倉注:謡曲をテーマにした艶本。上巻扉絵に貸本屋の口上あり)
☆ 文政九年(1826)
◯「合巻年表」(文政九年刊)
歌川国虎画『菊寿童霞盃』六冊 山東庵京山作 歌川国虎画
(『ちやせんうり話の種瓢』の巻末、山本平吉板の「文政九戌春新版稗史目録」)
〈文政九年の巻末目録に載るが、『菊寿童霞盃』の出版は翌文政十年、五渡亭国貞画〉
◯「艶本年表」(文政九年刊)
歌川国虎画
『男女寿賀多』色摺 半紙本 三冊 文政九年〔日文研・艶本〕〔白倉〕
「朴年人画〔竜斎〕印」序「恋路にくるふ煩悩のいぬの春 むつましき月 発寸堂開志述」
(白倉注「改題再摺本に『夜のさこき』、本書の読みに「だんじょすがた」「みょうとすがた」「なめすがた」な
どがあるが「おとめのすがた」が正しい。『祝言/色女男思』の続編。発寸堂開志は十字亭三九)
『おつもり盞』色摺 半紙本 三冊 歌川豊国(上巻)・国虎(中下巻)画 文政九年〔日文研・艶本〕〔白倉〕
序「文政九のとしむつみ月 蓬莱山の麓に永年を送る隠人 猿猴坊月成著」
(白倉注「豊国没(文政八年、一八二五)後、仕掛りの作品を国虎が受け継いだもの。下巻の書入れに「故人豊国云
々」の文字が見える」)
☆ 文政十年(1827)
◯「艶本年表」〔白倉〕(文政十年刊)
歌川国虎画
『年雄床』色摺 半紙本 三冊「朴年人画」好亭主人(二代好亭=十字亭三九)作 文政十年頃
(白倉注「「朴年人画」の他に「弌竜」「国虎」などの落款がはいっている。付文の第一回に、女に孝行なるものとして、
菱川師宣、西川祐信、春章、歌麿などの春画を挙げている」)
☆ 文政十一年(1828)
◯「艶本年表」〔白倉〕(文政十一年刊)
歌川国虎画
『恋修行/春廼曙』色摺 半紙本 三冊「卜年人画」落書庵景筆(二世烏亭焉馬)作 国虎画 文政十一年
(白倉注「作者として、淫好主人や淫水亭が挙げられているものがあるので、あるいは同名の別本があるのかもしれ
ない」)
◯『増補浮世絵類考』(斎藤月岑編・天保十五年序)
「豊国筆塚碑」(豊国初代門人 文政十一年八月記の歌川総社中碑」に名を連ねる)
☆ 文政十二年(1829)
◯「合巻年表」〔目録DB〕(文政十二年刊)
歌川国虎画『小女郎手昔編笠』「一竜斎国虎画 ◯ニ「弌」印」墨川亭雪麿作 山本板 ①
◯「艶本年表」〔白倉〕(文政十二年刊)
歌川国虎画
『梅好花乃移香』色摺 半紙本 三冊 朴年人画 好色淫士序、猿猴坊月成(二世烏亭焉馬)作 文政十二年
(白倉注「国貞画『恋相撲繽十二手」を国虎の絵を加えて三冊に再編したもの。改題再摺本か、『阿津万美屋け』がある)
☆ 天保元年(1830)
◯「艶本年表」〔白倉〕(天保元年刊)
歌川国虎画『閨精粋股伝』色摺 半紙本 三冊「朴念人」天保元年頃
☆ 天保二年(1831)
◯「艶本年表」〔白倉〕(天保二年刊)
歌川国虎画『宝珠伝』色摺 半紙本 五冊「朴年人画」「竜斎」鼻山人作 天保二年
(白倉注「主人公乙星太郎が、弓削道鏡を祭神とする金勢大明神の加護を受け、諸国を色修行するというもの」)
☆ 天保四年(1833)
◯『無名翁随筆』〔燕石〕③305(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立)
「一陽斎豊国系譜」(初代豊国門弟)〝国虎【俗称粂蔵、草双紙、錦画アリ、多ク出ス】〟
☆ 天保五年(1834)
◯「合巻年表」(天保五年刊)
歌川国虎画『国性谷合戦』「歌川国虎画」墨川亭雪丸作 山本板 ④
☆ 天保七年(1836)
◯「合巻年表」(天保七年刊)
歌川国虎画
『取合三組盃』初編「歌川国虎画」表紙 一勇斎国芳画 山東京山作 川正板 ⑤
『花蔭賤之俳優』 歌川国虎画 笠亭仙果作 西与板 ①
☆ 天保八、九年頃(1837-8)
◯「大江都名物流行競 二編」(番付 金湧堂 天保八、九年頃刊)
(早稲田大学図書館 古典籍総合データベース「ちり籠」所収)
〝文雅遊客
右虎 ホン所 哥川国虎/左虎 ホン所 左り貞虎〟
〈豊国門人の国虎と国貞門人の貞虎、虎で一対にしたのだろう。相撲番付では右(東)が左(西)より格上である。
師匠の違いから国虎の方が年齢も上と考えられるから、それをもって左右を分けたのかも知れない。あるいは
貞虎が左利きであった可能性も考えられる〉
☆ 天保十一年(1840)
◯「合巻年表」(天保十一年刊)
歌川国虎画『百人一首稚講釈』初編 歌川国虎画 山東京山作 鶴喜板 ①
☆ 天保十五年(1844)
◯『増補浮世絵類考』(斎藤月岑編・天保十五年序)
「一陽斎豊国系譜」〝初代 豊国門弟 国虎 俗称久米蔵 草双紙錦画多く出せり〟
☆ 嘉永三年以降(1850~)
◯『古画備考』三十一「浮世絵師伝」中p1400(朝岡興禎編・嘉永三年四月十七日起筆)
「歌川豊国系譜」〝国虎〟〈名前のみ〉
☆ 刊年未詳
◯「艶本年表」(刊年未詳)
歌川国虎画
『今様年男床』色摺 半紙本 三冊〔日文研・艶本〕
序「洛陽橋の別荘に筆を取て 好亭述」下巻「朴年人画」
『色女男志』 三冊 朴年人(国虎)画 高雁亭茎立作〔目録DB〕(注記「艶本目録による」)
一魁斎国虎画 春本(「江戸時代の変態趣味」山崎麓・『江戸文化』第二巻第六号 昭和三年六月)
『開中鏡』/『今粧年男』
☆ 没後資料
☆ 明治元年(慶応四年・1868)
◯『新増補浮世絵類考』〔大成Ⅱ〕⑪190(竜田舎秋錦編・慶応四年成立)
「歌川豊春系譜」〝(歌川豊国門人)国虎 俗称粂蔵、草双紙有リ〟
☆ 明治年間(1868~1911)
◯『浮世絵師便覧』p221(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)
〝国虎(トラ)歌川、◯俗称久米蔵、錦画、草双紙〟
◯『浮世絵師歌川列伝』(飯島虚心著・明治二十七年(1894) 新聞「小日本」に寄稿)
◇「一世歌川豊国伝」p102
〝(豊国初代門人)国虎(俗称粂蔵、艸双紙あり)〟
◯『浮世絵備考』(梅本塵山編 東陽堂 明治三十一年(1898)六月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)(65/103コマ)
〝歌川国虎【文政元~十二年 1818-1829】通称粂蔵、初代豊国の門弟にて、草双紙を画けり〟
◯『読売新聞』(明治32年(1899)1月23日記事)
◇浮世絵師の遺物(歌川国利の談)
〝国虎 之は今の国虎に非ず 二代豊国の代筆したる上手なるが 此男は五月の鯉を工風す、今のとは柄
少し異(かは)りたれ共 先づ紙製の鯉の創造者と云べし〟
◯『浮世画人伝』p83(関根黙庵著・明治三十二年(1899)五月刊)
「歌川豊国系譜」〝国虎(初代豊国門人)俗称粂蔵〟
☆ 昭和年間(1926~1987)
◯「梅ヶ枝漫録(一)」伊川梅子(『江戸時代文化』第一巻第六号 昭和二年七月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
〝国虎といふ弟子は、長く私の家に居りましたが、手は仲々上手でしたけれ共、怠け者で仕方がありませ
んでした。とう/\家を持たずに死にました〟
〈伊川梅子は初代豊国の孫〉
◯『浮世絵師伝』p54(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝国虎
【生】 【歿】 【画系】初代豊国門人 【作画期】文化~天保
歌川を称す、前田氏、俗称久米藏、一に繁藏、一龍斎と号す、洋画の遠近法を応用したる風景画あり、
就中「近江八景」最も顕はる。初代豊国の外孫伊川梅子刀自の直話によれば、国虎は画を描く事をあま
り好まざりしが、偶ま筆を執れば必ず相當出来栄えするものを作りき、師の豊国は常に彼が技倆を賞讃
し、時には彼に代作せしめしこともありと、又彼は書を巧みにせり、特に碁と釣とを好み、服装などは
極めて無雑作にしたりき、生涯独身にして家を成さず、安政の頃六十余歳を以て其が甥の家に歿しきと
云ふ〟
◯『浮世絵と板画の研究』(樋口二葉著・昭和六年七月~七年四月(1931~32))
◇第二部「浮世絵師」「独立して後」p81
〝亀戸豊国の高弟であつた国虎の如き、能く師風を呑込み運筆自在で、二世国貞などより合巻物では遥に
上手であつて、柳亭種彦作の『白縫物語』などには、其の代筆の最も多くあつても、豊国と国虎の見分
が附ない程であるに、名を求めるを好まず一生を隠れた画工で、師匠の代筆で終るやうな奇人もあるが
(後略)〟
〈「日本古典籍総合目録」によれば、柳下亭種員作『白縫譚』。この合巻の挿絵を三代豊国が担当したのは、嘉永二年
(1849)~同五年まで。この国虎は亀戸三代目豊国(国貞)の高弟とあるが、初代豊国門人の誤りか〉
◯「集古会」第二百十四回 昭和十三年一月(『集古』戊寅第二号 昭和13年3月刊)
〝中沢澄男(出品者)国虎画 こくせんや 一冊 雪麿著〟〈合巻『国性谷合戦』天保五年刊〉
◯『浮世絵師歌川列伝』付録「歌川系図」(玉林晴朗編・昭和十六年(1941)刊)
「歌川系図」〝豊国(一世)門人 国虎〟
△『増訂浮世絵』p260(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)
〝歌川国虎
初代豊国の門人であつて、俗称を繁蔵といつた。国虎の風景画は、北寿と国芳とを連絡させる如き感じ
のあるもので、西洋銅版画の影響を蒙つたことの最も多い浮世絵流の景色画である。円いカーブを多く
用ひてゐる点にその特色が認められ、樹木の描法などには、豊春の浮絵に現はれた作風を可なり交へて
ゐるが、雲の描法その他にも、豊春などよりも、更に写生的に細心の注意を払つた点が見られる〟
◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)
〔歌川国虎画版本〕
作品数:12点(「作品数」は必ずしも「分類」や「成立年」の点数合計と一致するとは限りません)
画号他:歌川国虎・一竜斎・卜年人・朴年人・一竜斎国虎・卜年人狂
分 類:合巻6・艶本5・読本1
成立年:文政2・7・10~12年(6点)
天保5・7・11年 (4点)
嘉永年間 (1点)