川神社では20年程前より、皇居にて天皇意陛下が御自らお田植え遊ばされている神田にならって境内の神田(しんでん)で古代米を栽培しております。田んぼと言いましても、花壇のような小さなものです。 春先の桜が咲く頃に種を蒔き、5月下旬頃に田植えを行ない、秋の新嘗祭(11月23日)の時に神前にお供えしています。
 次の年に蒔く種籾は根が付いたまま抜き、社殿内に掛けておきます。秋の新嘗祭から正月、2,3月頃にご祈願に上がられた方は、社殿の壁に掛けられた稲穂を見ることができるでしょう。

 

 

 栽培している米の種類は「対馬赤米」「神丹穂(赤米)※現在は栽培しておりません」「黒米」です。 これらの古代米は、現在私たちが口にしている白米の祖先であると思われます。 もしかしたら米の文化がどのように伝播し、品種がどのように改良されてきたかを探る鍵をにぎっているのかも知れません。

 

 

 

 当社で植えているのは、長崎県対馬の多久頭魂神社の神米です。古来、門外不出とされて来た神米でありますが、当神社の先代宮司が対馬を訪れた際に目にし、その後何度か伺い神社境内で栽培し外へは出さないことを条件に、無理をお願いして種籾を譲って頂いた米です。籾から伸びた長い野毛が赤く美しい米。実る時期は一般の白米と較べると遅いようです。分けつはあまりしません。

 

 

写真:境内神田赤米

 

 

 

 

 これも赤米です。対馬系の赤米の一種と思われます。 野毛が赤く、また籾も赤茶色になるので、穂が出た姿はたいへん美しい米です。野毛が赤くなるのは、対馬赤米との交配種である証左と思われます。 「対馬赤米」同様、分けつは少ないようです。
 古代米の一種で、粒は比較的細長くなります。野毛はなく多少背が高いことを除けば、穂が出た姿は一般の白米と似ています。見た目には全く黒くはならないのですが、籾を剥いた中の米粒は見事なまでに真っ黒です。知り合いの神職さんに譲って頂いたもので、品種名や詳細な出自は不明です。粒が長細いのでインディカ米の系統の一種かとも思います。

 

 

写真:境内神田神丹穂

 

 

 

 

社の祭礼行事の中で、米は重要な意味を持っています。
 神社の祭祀は稲作を中心とした農耕文化と切り離して考えることはできないでしょう。先人達は米や野菜を作りつつ自然の摂理と対話し、祈り、感謝する“姿”として祭祀を行なって来ました。

 

 

 神社祭祀は農業を中心とした生活の営みの中で、連綿と受け継がれ熟成されて来たものと言えるでしょう。特に、その祭祀の中心にある農作物が米なのです。それは私達の主食であるということも大きな理由のひとつです。私達にとって米は特別な食べ物です。“神話的”と言っても過言ではないかも知れません。私達は食事をとることをしばしば「ご飯を食べる」と言います。
 常に白いご飯を口に運びつつおかずを食べるのですから、食事の柱はあくまでご飯ということになる訳です。日本人の米の消費量が圧倒的に多いというのも道理です。ちなみに、左手に主食として“ご飯”を持ち、副食として“おかず”を食べるという私達に馴染み深い食事の仕方は、東アジア圏だけに見られる特有の文化なのだそうです。
 神話の中にすでに米は登場しています。米、つまり稲は天照大神から大切な食物として授かったものなのです。『日本書紀』巻の第二にその記述があります。

 

斎庭稲穂之神勅『以吾高天原所御齋庭之穂亦当御於吾兒』
”天照大神(略)みことのりしてのたまわく、吾(あ)が高天原にきこしめす斎庭(ゆにわ)の穂を以て、また吾が児(みこ)にまかせまつるべし”

 

また『古語拾遺』には次のように記述されています。

 

時に天祖天照大神、高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)、すなわちともにのりたまわく、(略)吾が高天原にきこしめす斎庭の穂をも、吾が児にしろしめさむべし。

 

“斎庭の穂”とは稲種、つまり種籾のことです。『日本書紀』『古語拾遺』の両方ともにほぼ同じ文です。天照大神が食物として地上で栽培するようにと、我が児に種籾を授けられたという“天孫降臨”のくだりの記述です。また、稲種と五穀の記述が『古事記』上巻にあります。須佐之男命(すさのおのみこと)が大気津比売神(おおげつひめのかみ)に食物を乞い求めるくだりです。この神様、鼻やら口やらお尻から食べ物を取り出して須佐之男命に差し上げるのですが、「汚いものを出すとは!」と斬り殺されてしまいます。ひどい話といえばひどい話ですが、この斬り殺された神様の体から食物が生まれます。

 

すなわちその大気津比売神を殺したまひき、かれ殺されたまへる神の身に生れる物は、頭に蚕(かいこ)なり、二つの目に稲種なり、二つの耳に粟なり、鼻に小豆なり、陰(ほと)に麦なり、尻に大豆なりき。

 

ずいぶん物騒なエピソードですが神話の中の話のこと、何かの比喩なのかも知れません。いずれにしても『古事記』が書かれた当時、すでに稲、粟、小豆、麦、大豆の五穀は食物とされていたことが窺えます。養蚕も行なわれていたようですね。

 

 神社で米をお供え物として特に大切にしているのは、これらの神話の記述によるのです。神話が書かれた気の遠くなるような昔から、今日まで途切れることなく穀物の種は伝えられてきました。考えてみればこれは感動的ともいえることではないでしょうか。 農作物をはじめとして、私たちが毎日食べる全ての食物は神様のお恵みによるものとして、感謝しつつ食べたいものです。

 

 

社で一年を通して行なわれているほとんどの神事は、農業と密接な関わりをもっています。特にその柱となるのが「祈年祭」と「新嘗祭」です。毎年2月に「祈年祭(きねんさい)」が行なわれます。この祭は「としこいのまつり」ともいい、一年の米をはじめとした農作物の豊作を祈る祭です。この日の深夜、宮中の賢所(かしこどころ)で天皇陛下は御自ら、神様に御神饌をお供えする新嘗祭をご奉仕遊ばれます。陛下が一年の豊作と共に、国と国民の安泰と隆昌を一心に御祈念遊ばされる、古来営々と絶えることなく行われてきた祭儀です。この神事は夕暮れより明け方に至る長時間にわたるもので、宮中の祭儀の中で最も重要にして重い神事なのです。全国の神社で行う新嘗祭はこの宮中の祭儀にならったものと言えましょう。
 そして秋の11月23日に「新嘗祭(にいなめさい)」が行なわれます。この祭は収穫した農作物を神前にお供えし、一年の豊作を感謝するいわば“収穫感謝の祭”とも言えましょう。年に一回の秋祭りとともに、神社にとっては最も重要な神事のひとつです。11月23日は“勤労感謝の日”として祭日になっています。戦前までは一般的にも“新嘗祭の日”と呼ばれていました。勤労感謝とは、毎日を無事に働き豊かな生活を送れることを“神様に感謝する”という意味なのです。日々平穏無事に働けるということはつまり、災害や飢饉がなく、産業は盛んで社会が安定していて豊かだということです。だからこの日は農業のみならず、社会の安定と産業の発展、そして皆の平穏無事を祈り感謝する日でもあるわけです。

 

 

 また「僕の茶碗」「私のお箸」という家族ひとりひとりに専用の食器があるという国は、近年ではほとんど日本だけに見られる習慣です。誰でも自分専用の食器は決して粗末には扱いません。生活に必須の道具として大切にします。それはまた、家族の一員としてその人格が認められているということでもあります。

 

 昔から私たちはそうして食事を楽しみ、“生活道具”と食べ物を慈しんできたのだと思います。道具や食べ物を粗末にしないというのは、とても大事なことです。
 私など子供の頃、ご飯を残したり食べ物を粗末にすると「もったいない!」とよく叱られました。「ご飯粒のひとつひとつには、このお米を作った人の心が入っているんだよ」とたしなめられたものです。食事のたびに“もったいない”という気持ちを大切にしつつ、「頂きます」「ご馳走さま」と大きな声で神様と食べ物に感謝して、ご飯を頂きましょう。

 

 

 境内で神饌米を栽培することで、そうした米と生活とまつりの文化をお参りに来られる皆さんと一緒に考え、一緒に自然の営みと恵みを体感していきたいと思っています。
 どうぞ、ご参拝の折には花壇のようなミニ神田ですが、“神社の田んぼ”も覘いてみて下さい。

 

     私たちは“ご飯の国の人”なのです。


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