TB53 春風 
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瀬戸内の旅 03年10月13日(月) 
今日は連休の最終日で、当初の予定では広島経由で大分まで行き、女房と子供を大分から飛行機で返して私は足摺岬と室戸岬を経由して四国一周をするつもりだった。
が、この連休の初めから四国沖には警報が出ていて6m〜8mの波浪とのことだった。おまけに天気は曇り時々雨状態である。
とりあえず広島までは行こうと、大三島をのんびり1000頃に出て、幾つかの島々の間を抜けて大崎下島の御手洗に着いた。
インターネットで調べたところによると、この小さな町は江戸時代にタイムスリップしたかのような家並みが続き、元は和船の船大工で今は精巧な和船の模型を作っている人がいるとのことだったので立ち寄りたかったが、風が強く適当な桟橋が見当たらなかったので沖から町並みを眺めながら通過した。
次の目的地は呉だが、その手前、御手洗からは20マイル程の所に音戸の瀬戸がある。この瀬戸は平清盛が一日で開いたという伝説があるが、きっと海水がちょろちょろと流れる程度に地面を掘ったら、後は潮流が幅を広げたのとちゃうやろか。現在の幅は80mほどで瀬戸にかかる橋の高さは海面から23.5m、小型の貨物船が行き交っているが潮の流れが速く、まるで川のようである。
この瀬戸を多少は緊張して通過すると呉である。私にとっては初めての場所だが、実は戦艦大和に「試乗」したことのある父が海軍時代に勤務していた港である。そう言えば高校の数学の先生も江田島の海軍兵学校出身と言ってはった。戦艦大和の砲術長の生涯を綴った本を最近読んだりもしたので、この湾に浮かんだ戦艦大和の威容を思った。
呉には今でも軍港の面影があり、潜水艦だけでも6隻ほど舫われていた。この他大小の艦船が停泊していて、れっきとした艦隊の規模である。どの艦の艦尾にも昔のNORC旗と同じ(と言っては失礼か)海軍旗が掲げられて、強風に翩翻とひるがえっていた。
呉を後にして広島湾に入り、宮島に向かう。北東の風、風速は10m余。小波だがチョッピーなので20ノットで走るとFBまで飛沫が来る。
昼頃宮島の厳島神社前に到着。さすがに行き交う観光船が多く観光客が多かった。上陸して昼食にありつきたかったが、強風の中で、適当な桟橋が見当たらない。後で聞くとビジター用の桟橋があったのだそうだ。
沖から厳島神社の写真を何枚か撮って広島港に向かう。神戸からここまで来て、そろそろ給油の必要があったからだ。
広島港内に入ってみてプレジャーボート・ヨットの多さに驚いた。港内を1キロ近く西進したが延々とボートが係留してある。港の東側にもヨットのマストが林立している。これだけ多くのフネがあるなら給油もできるだろうと思い奥まで入るが給油所は無い。漸く日産マリーナの沖で声をかけたらとりあえず船を仮泊めさせてくれて、タンクローリーを呼んでくれることになった。タンク車を待つ間に昼食をということになったが、このあたりは木材工業団地でラーメン屋が一軒あるだけだった。1時間ほどしてタンク車が来たがホースが桟橋先端まで届かないので1kmほど離れた岸壁に船を移動することになった。強風の中、女房も漸く少し慣れて粛々と接岸、800リットルの給油を受け、親切な運転手は単価を47円にしてくれて、その後粛々と離岸した。
この時、時刻は1530で翌日から学校に行くべき息子を女房と一緒に広島で降ろすことも考えたが、天候不順で私も四国一周は諦めた。結局息子の希望どおり、もう一日を費やして家族一緒に西宮まで帰ることにした。
そうと決まれば今夜は今治で泊まることにしたが来島海峡は5ノット余りの逆潮だった。広島から今治までは往路と同じ音戸の瀬戸を抜けて約43マイルで、エンジンを1800回転に上げて耐水速度は21.5ノットをキープした。今治港もはじめての港なので、真っ暗になる前に着きたかった。

FBにて 大崎大島の御手洗
宮島の厳島神社 音戸の瀬戸を抜けて来島海峡へ

来島海峡は潮流が10ノットを越すこともあり瀬戸内海随一の難所と言われ、海上保安庁の統計によれば毎年6件程度の海難事故が発生している。さすがに航行する船舶が多く潮も速い。来島海峡航路を航行するときは、順潮時(潮流の流向と同じ方向に航行する時)は中水道、逆潮時(潮流の流向と反対方向に航行する時)は西水道を航行することとなっていて、この航法は「順中逆西」と呼ばれ、南流時には左側航行、北流時右側航行になる。と、海上保安庁のホームページにあった。
今治港には1750頃に到着して停泊場所に迷ったが、港の奥の岸壁にスターンからアンカーを打って鼻着けした。
今治は来島海峡で獲れる魚が旨いことで有名だが、たまたま船を泊めた場所から道路一つ隔てた向かい側に「瀬戸」という割烹料理屋があり、地元の人から美味しいよと教えてもらった。この店で息子にはサービス品に違いない800円のお子様定食を与え、親はアワビ、アコウ、ハゲの造り、アコウの味噌汁、生ビール4杯を飲食して計9,100円だった。この店も感激ものの旨さだった。  
来島海峡
10月14日(火)
今日は今治から135マイル走って西宮に戻る予定で、少し早めに起床した。近くのローソンで食料を買って、帰りに港外の海を見るとかなりの荒れ模様だった。折りしも伯方島から農作物を運んできた60尺ぐらいの幅広の船が春風の隣に停泊したが、今朝の波は1.5mで、まだ悪くなるから今日は出港を見あわすと言った。春風は3mぐらいの波の中でも走れるが、北東からの強風では真上りになるので気が重くなる。
「出るのか?」と聞かれて「は〜出てみます」と答えると、「その船にはえー凪日和やろー」と励ますでもなく言われた。さすがに、「これ以上子供に学校をさぼらせるわけにはいかないので」とは言えなかった。
妻子にアネロンとアネロン・ジュニアという優れものの酔い止めを飲ませて0900に出港した。港を出る前に自動操舵器と操舵リモコンがおかしいのに気づいた。船尾のハッチを開けると舵の動きを感知する追従器の連結棒が折れていた。修理は簡単だが部品が無い。ラットをずっと持っていなければならないが、故障個所がはっきりしたのでそのまま出港することにした。
1700回転を維持しようとしたが波の衝撃が激しい。来島海峡の潮流と強風がぶつかって2mぐらいの三角波が立っている。息子の顔色を見ながら徐々に回転を下げ、とうとうプレーニングを諦めて10ノットぐらいに速度を落とす。波を真正面から受けるのはきついから、ヨットと同じようにタッキングしながら走る。今治の北東の大島をかわして伯方島に近づくと島影に入って波がずっと楽になり再びスピードを上げる。因島と弓削島の間の水路を通って燧灘北部に達すると波は収まった。後は瀬戸大橋をくぐり、小豆島をめざし、播磨灘も北東の強風だったので北部を通ることにして小豆島のチブリの鼻を抜けて家島群島をめざした。が、結局波はたいした事もなかったので家島群島の南を通って明石海峡に直進した。今治を出てからずっと雨で視程が悪く、播磨灘は鉛色の世界で目標物が無く保針に疲れた。オーパイとリモコンが無いのも悔しい。明石海峡の潮波も楽勝で、1630に西宮に到着した。
海に飛び込むくせのある犬を4日間預けていたのですぐ引き取りに行き、感激のご対面となった。
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