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塹壕その1

「戦争と成長の世紀」の幕開け

 20世紀を一言で表現するならば、それは「戦争と成長の世紀」であったと言えよう。20世紀の戦死者数は古代から19世紀末までの戦死者の総数をすでに上回り、18世紀以降の戦死の9割は今世紀に集中している。
 戦争の破壊力の飛躍的な拡大は20世紀の際だった特質だが、この大量殺戮の世紀の幕開けを告げたのは最初の総力戦とされる第1次世界大戦にほかならない。潜水艦戦略の本格化、戦車の実戦配備、空軍力の開発など第1次世界大戦は技術集約的な兵器による大量破壊の時代への技術革新に満ちていた。軍事技術の発達によって、戦争における兵器生産や通信網など後方支援体制の重要性も拡大した。シュリーフェン計画にみえるように戦略の中枢に組み込まれるまでに発達した鉄道は、後方から前線へと際限ない補給を可能にして社会全体を長期消耗戦に動員していくことになったのである。勢力均衡原理の破綻や帝国主義的競争の行き詰まりを背景とした第1次世界大戦は、こうして以前とは本質的に異なる破壊の水準へと世界を陥れていった。この大戦の特徴である軍事技術の高度化、総力戦体制、大国間対立の構図などは、いずれも第二次世界大戦や冷戦にも引き継がれて20世紀の戦争の様相を規定し、マルヌの会戦に始まる大戦のは戦死の世紀への扉を開けることになった。マルタ米ソ首脳会談(1989)の象徴する冷戦の克服への動きはそのような世紀の果てにふさわしい大転換であり、ヤルタ(1945)からマルタへの過程が冷戦の始まりから終わりまでを意味するなら、マルヌからマルタへの過程は20世紀の大国間戦争やその脅威の発生から終息までを意味するかも知れない。
 戦争と並んで、成長もまた今世紀の顔である。人間社会の科学的知識の9割は過去30年の間に築かれたといわれ、20世紀はかつてない水準の経済成長を実現したのであった。成長の世紀を先導した国に因んで、20世紀は別名「アメリカの世紀」と呼ばれてきたが、アメリカの世紀の開幕を告げたのも第1次世界大戦である。20世紀初頭、大英帝国を工業力で追い抜いたアメリカは第1次世界大戦契機に最強の経済大国へと発展しパックス・アメリカーナの体制の経済基盤を築いたのであった。20世紀は米国の覇権の生成、成長、確立、成熟、揺らぎの全軌跡を内包した世紀であったが、その節目は戦争によってもたらされ、第1次世界大戦は覇権の生成に、第二次世界大戦はその確立に、そしてヴェトナム戦争はその揺らぎにつながった。
 20世紀の覇者アメリカの台頭を可能にした第1次世界大戦は、パックス・ブリタニカの秩序に君臨した英国と新興勢力との間の覇権攻防戦としての性格も有していた。覇権戦争は激烈であり、覇者も挑戦者をも衰退させる。戦後秩序を主導したのは、疲弊した覇者でも覇権に挑戦した新興勢力でもなく、衰える覇者に決定的な支援を提供して戦局を勝利に導いた国である。その意味で、本書の指摘するとおり、アメリカのみがこの戦争の勝利者なのであった。同じ構図は第二次世界大戦においてもくりかえされ、第1次世界大戦時にはいまだ経済国家でしかなかったために主として経済手段による支援を提供したアメリカは、第2時世界大戦では決定的な実戦活動で衰亡する覇者を勝利に導き、正当性に満ちた覇権の継承に成功したのである。
 かつてレーニンは20世紀は戦争と革命の世紀と言ったが、昨今の東欧の民主化に至る社会主義革命の希望と絶望の20世紀史も第1次世界大戦中に始まった。そして日本にとって、この大戦は世界システムの周辺から中心への脱却を図る機会となる。実に第1次世界大戦は、歴史の彼方に封印するにはあまりにも20世紀全体へのつながりの深い大転換点であった。

  文 上智大学教授 猪口邦子 女史
(20世紀の歴史13 第1次世界大戦(上)p7より(平凡社))



BGM ファイナルファンタジー3で使われた「悠久の風」
作曲者「植松 伸夫」さん
データ作成 「YANASO」さんの作成したデータを私こと参謀足軽がループ回数をちょっと増やして楽器も替えたり等のちょこっとデータ変更したもの。

原曲入手先http://www02.so-net.or.jp/~yanaso/index.html
MIDI PULUG をゲットしましょう。
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