ドイツの開戦時のデマ宣伝などについて。



 ドイツ帝国内で(どこが流言を流したかは不明)、フランスに宣戦布告する数日前より、次のようなデマが流れた説があるようである。
「フランス軍がニュールンベルグとカールスルーエを空襲した。」と。(文献1)
 ドイツの新聞は朝から晩までしきりに号外を発行して騒ぎ立てたらしく、しまいにベルリン市民はハラハラしながら、空を見上げて歩き回るようになったらしい。
 そして、ドイツがフランスへ宣戦布告した際にも
「ニュールンベルグとカールスルーエの空襲、およびフランス航空士がベルギー領内を犯し、ベルギーの中立を侵害した結果、ドイツ帝国はフランスに戦闘状態にあるとみなす」とわけのわからんいいがかりをつけたらしい。
 しかし、このようなデマが群衆を戦争にかりたたてるのにかなりの効果があったとは、どうも私には思えない。
 このようなデマが流れる以前にすでに、ロシアへの宣戦布告の時にすでにドイツ国民は熱狂的になっていたようである。
 ドイツ国内には当時、どうも、ロシアのツァーリズムに対し著しく拒否反応を示す風潮があったようだ。
 たとえば、ドイツの社会民主党は極度にツァーリズムを拒絶し、そのようなツァーリズムの反動制のみを強調する態度が、第1次世界大戦にいたるまで一貫した底流として存在したようだ。
 社会民主党の「ケムニッツ・フォルクスシュテイメ」(ケムニッツ・フォルクスシュテイメが人の名前なのか本なのかは不明。おそらく雑誌と思われる。なおケムニッツという地名がドイツ国内にある)は開戦にさいし、「ドイツの子女を、ロシアの野獣の犠牲に供してはならぬ。ドイツの国土をコサックの略奪にゆだねてはならぬ。・・・・我々は、今や、ドイツの文化とドイツの自由にかかわるすべてのものを無慈悲野蛮な外的にたいして防衛すののである」とさけんでいたらしい。(文献2)
 なんでこのようなツァーリズムに対し極端な拒否反応があったのかは私には明確には理解できない。しかしこのツァーリズムというか、汎スラブ主義に対向して汎ゲルマン主義の勢力がドイツ国内に結構多く存在していたので極端な拒否反応があったように推定する。
 さて、ようするに「偉いサンに言われるまでもなく・・・」で私が訴えたい事に、戦争を起こした責任を為政者だけの責任にしてはならない、戦争に賛同した国民にもかなり責任があるということ、また人間には内面に排他的で集団暴力を好む性格がどこかに潜んでいることを自覚すべきである、ということも言いたかったのである。今でも、この排他的集団暴力行為、または暴力的な民族主義はつい最近起こったボスニア・ヘルツェゴビナ紛争でも見られているように、べつに古き悪しき時代のことだと、のほほ〜んとはしてられないことを自覚すべきである。

参考文献

文献1
 八月の砲声 バーバラ・W・タックマン著 山室まりあ 訳 筑摩書房
文献2
 日本と世界の歴史 第20巻 学研

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