汎ゲルマン主義
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なんか難しくてよくわかりづらいのですが、19世紀後半のドイツは経済的にも技術的にも世界的に優れていたのだが、その割には植民地が少ないせいか、国際的発言力が低かった。その欲求不満などから汎ゲルマン主義が生まれたのかもしれません。そして汎スラブ主義とたがいに反発しながら、発展してきたようです。その主義の概要は広辞苑CD−ROM版が比較的簡単にまとめてくれたので引用すると、
汎ゲルマン主義
ドイツが盟主となり、ゲルマン民族が世界の覇権を握ろうとする主義。ドイツ皇帝ウィルヘルム二世によって政策化され、オーストリアと共にバルカン・中近東への進出が行われたが、第一次大戦の結果挫折。その主張の多くはナチスに継承された。汎ドイツ主義。
だそうです。
詳細は百科事典をほぼベラ写しし、以下に示します。
汎ゲルマン主義
第1次世界大戦前、ドイツの帝国主義への成長・転換を社会的背景にもち、また思想的源流としては汎スラブ主義に反発しながらも影響をうけて、全ゲルマン民族の結束によりその生活圏を拡大することによって、ドイツ帝国主義の世界支配を実現しようとする主張と運動。
その主張を、運動の主軸となった「全ドイツ協会」に則していえば、一部にオランダ、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー等のゲルマン系民族をふくめた大帝国樹立も構想されたが、主流はオーストリア併合と、バルカン諸国内のドイツ系少数民族をそこで主体とした大ドイツ帝国樹立の要求であり、海外植民地の獲得、その手段としての大海軍の建造、ドイツ人の「指導者資性」の強調に基づく非ドイツ人の抑圧、反セム主義(ユダヤ人など、セム語族に対する差別主義か?)、などがあった。主要なプロパガンダ組織は次の三つ。(1)「ドイツ植民協会」(Deutsche Kolonialgesellshaft)1887年、「ドイツ拓殖会社」と「ドイツ拓殖協会」の合同により成立。協会員は93年段階で1万7489人、独占資本の利益を主流に、非独占資本やユンカーの利益も代表していた。(2)「全ドイツ協会」(All−deutscher Verband)1891年、イギリスとのヘルゴラント・ザンジバル協定に反対するフーゲンベルクにより組織され、会員数は1901年2万1924。初期には実業家より大学関係者などが主流を占めたが、後に保守党・帝国党・国民自由党の議員なども多数参加した。(3)「ドイツ艦隊協会」(Deutscher Flottenverein)1898年、「第一次艦隊法」成立直後、「第二次艦隊法」成立を促進するために、クルップやエミール・キールドルフを指導者として結成された。会員数は1898年末約1.4万、1913年個人会員約33万、団体会員約79万以上に達し、おもに鉄鋼独占の利益を推進した。「ドイツ植民協会」「ドイツ艦隊協会」がかなりむきだしの独占資本の利益を代表したのにたいして、「全ドイツ協会」は独占資本の利益のために「中間層」を支持させる役割を果たした。そして1896年のウィルヘルム2世による「世界政策」推進の「大宣言」以後、これらの団体は「民間団体」として、さかんな集会や新聞等によって、その排外主義的・帝国主義的主張を扇動・宣伝し、ドイツ帝国主義政策の推進を促進した。とくに注目すべきは、「全ドイツ協会」の主義・主張などが、当時オーストリア人であった若きヒトラーの思想形成に影響をあたえ、ナチズムの思想的培養器になったことである。
(社会科学大辞典 鹿島出版会 より抜粋)
ここでいう、ウィルヘルム2世の「大宣言」については、たぶんこの発言のことをさしていると思います。
1896年1月18日、ドイツ帝国建国二十五周年記念のこの日に、かれは、つぎのような演説をしたようです。
「ドイツ帝国は世界帝国となった。・・・・・・・・ドイツの財貨、ドイツの知識、ドイツの勤労は、大洋をこえていく。諸君、このより大なるドイツをわが本国にしっかりとむすびつけるために余を補佐することこそ、諸君のもっとも重大な責務である。」
(日本と世界の歴史20 学研 より)
結構重要な言葉と思いますのでもう一つの百科事典をほぼベラ写しして掲載しておきます。
汎ゲルマン主義
ドイツ民族至上主義の立場から、ドイツ民族の統合を図ろうとする思想、運動、政策の総称。ただし、この用語はイギリス、フランスなどドイツ以外の国々で使われ、ドイツ語圏では全ドイツ主義All−deutschtum,全ドイツ運動の語が一般的である。理想的には19世紀前半のドイツ統一運動にその根を持つが、人種論的立場を採った運動体としては1880年代以降に成立した。これは二つの系列として現れ、一つは、ハプスブルク帝国(オーストリア・ハンガリー二重帝国)下でドイツ系住民を基盤とするシェーネラーGeorg von Scho”nerer(1842ー1921)を指導者とする運動で、スラブ系諸民族の台頭やユダヤ人の進出に反対しドイツ民族の優位を説いて、帝国の解体とドイツとの合体を揚げるもので、青年期のヒトラーに影響を与えたことで知られる。もう一つは、1890年頃ドイツに現れ、94年に形を整えた全ドイツ連盟Alldeutscher Verbandをその中心的担い手とする運動である。狭義には、パン・ゲルマン主義はこの系列を指すことが多い。
全ドイツ連盟はドイツ民族の人為的優位性を前提として、対外的には力による世界政策の推進、特に植民地帝国建設と中欧の統合を唱え、ドイツの世界強国化によって国外在住のドイツ人をまとめ上げ、内政面ではポーランド人、ユダヤ人の排除、社会主義運動の抑圧によって民族共同体の強化をめざした。大衆組織ではなかったが教養ブルジョア層、中間層に基盤をもち、他の国粋団体と連帯して世論形成に少なからぬ役割を果たした。第一次大戦中、軍部・経済界と協力して併合論者も先頭に立ち、ワイマール共和国期にも反民主主義の立場から共和制の倒崩を画策したが、1939年に解散した。全ドイツ連盟を始め両系列の人種論的反ユダヤ主義(アンチ・セミティズム)、ドイツ拡張論などの主要な思想や主張はほとんどがナチズムの中に取り入れられている。
(平凡社 世界大百科事典より抜粋)
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