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ザ・ビートルズとロッドの関係  

 ロッドはビートルズを聴いていたか?と言えば、“僕はそれほどファンじゃなかったんでソウル・ミュージックばかり聴いてた”とはロッドの弁。
 とりあげたカバー曲としてもっとも有名なのは、映画「第2次世界大戦」オリジナルサウンドトラック収録曲として発表された「ゲット・バック」でしょう。70年代後半のライブでは常http://kent.parks.jp/30/2629/bbs.cgi時レパートリーにあげられ、96年の日本公演ではオープニングにもなりました。またサントラは全曲ビートルズナンバーのカバーで、他にはエルトン・ジョンやティナ・ターナーによるカバー曲などが入っています。
 また、1986年のアルバム「エブリ・ビート〜」では「イン・マイ・ライフ」を取り上げ、アルバムを締めくくりに歌い上げています。
 そのほか、ライブステージのみで確認できるのは「ヘイ・ジュード」を1998年のサウンド&ビジョンライブで、また2002年のザ・クイーンズコンサートで「オール・ニード・イズ・ラヴ」を、それぞれ出演者と一緒に歌っています。


 ポール・マッカートニーとフェイセズ、ロッドの関係
 
 イアン・マクレガンの自伝「All The Rage」にこういうエピソードがあります。“僕とロニー・レインがカーラジオでチューニングしていると、すごくソウルフルなサウンドが聞えてきて、僕らはボリュームをいっぱいにして聴いていた。曲が終わって、僕が“ポール・マッカートニーが演ったら良そうな曲だな、と思ったらDJが言うんだ、ポールの新曲でしたって(笑)”。そのソウルフルな曲とは「メイビー・アイム・アメイズド(邦題:恋することのもどかしさ)」。彼らはフェイセズのレパートリーとしてさっそくライヴでやってみて、シングル(B面)とアルバム「ロング・プレイヤー」に収録しました。
 これがフェイセズとポールの、さらにはロッドとポールのつながりの切っ掛けになったようで、ポールはフェイセズを見にいくようにもなり、ついには1974年のロッドのアルバム「スマイラー」にポールは「マイン・フォー・ミー」を書き下ろし、同年末にはフェイセズのステージにポール&リンダが飛び入り、「マイン〜」で共演するまでに発展します。
 他には1986年のプリンス・トラストではともに出演していますし、2002年のザ・クイーンズコンサートでも「オール・ニード・イズ・ラヴ」を出演者全員で歌うときはロッドはポールのとなりで曲の出だしを歌っていますが、交友としては、今あるんでしょうかねぇ?

ジョージ・ハリスンとロンの関係  

 
 ジョージとは「ファー・イースト・マン」を共作し、それぞれのアルバム(ロンは「俺と仲間」、ジョージは「ダーク・ホース」)に収録されています。目立った共演はありませんが、ともにボブ・ディランを敬愛する二人は、ボブの芸能30周年コンサートで同じステージに立って1本のマイクを囲んで歌っているほか、プライベートではジョージがロンのホーム・スタジオに来たがっていたとも。またジョージが亡くなる直前には彼に充てて励ましのメッセージも送っている。ロンの最新DVDのタイトル「ファー・イースト・マン」はジョージに捧げられたもの。
 
ポール・マッカートニーとロニー、ケニーの関係
 
 関係というほどものではありませんけど、1979年のポールのウイングスでのラスト・アルバム「バック・トゥー・ジ・エッグ」にロック界のスターを集めた一大セッション曲「ロケストラのテーマ」があります。そのメンバーにロニーはベーシストとして、ケニーもドラムス参加しています。また同年末のカンボジア難民救済コンサートでもふたりはロケストラメンバーとしてステージに立っています。もっとも、人数が多すぎて個々の演奏のほどはまったくわかりません・・・・・。


ジョン・レノンとイアンの関係

 交友関係はなかったようですが、イアンは1度だけジョン見たことがあるそうです。曰く、“1967年の夏、ロンドンのオリンピック・スタジオでストーンズが「ウィー・ラヴ・ユー」(ジョンとポールがコーラス参加)をレコーディングしていた時、ちょうど隣りのスタジオをスモール・フェイセズが使っていたんだけど、ドアからジョンが首だけ出して見渡してるんだ。僕はちょっと視線を鍵盤に落としてまたドアの方を見てみるともうジョンはいなかった。きっと隣りのスタジオと間違えたんだろうけど、結局僕は二度とジョンに会うことはなかったよ。彼に神の御加護をー”。



 Rubber soul

 ビートルズがボーカルグループとして達した頂点というべきのアルバム。「ユー・ウォント・シー・ミー」でのポールを支えるバックコーラス(うぅ〜〜らん、らら)、「ひとりぼっちのあいつ」でのジョン、ポール、ジョージの互いに溶け合うようなコーラスワークはビートルズの曲のなかで最も美しいと断言できる。彼らのアルバム中、もっとも歌に重きが置かれた大傑作アルバム。「イン・マイ・ライフ」収録。

(2003年11月14日)

 
Imagine
  ジョンの最高傑作だと思う。楽曲といい、サポートミュージシャンの演奏といい、ジョンがイマジネーションで呼び寄せた?ジャケットの不思議な雲といい、否の打ち所がない。
 ビートルズのレヴォリューション以来久々のニッキー・ホプキンス参加の「OH YOKO!」のピアノは彼のセッション歴の中ではストーンズの「SHE'S THE RAINVOW」に匹敵する出来栄え。 そして、ビートルズ 時代には間に合わなかったジョージ・ハリスンのスライドが唸る「GIVE ME SOME TRUTH」は、ジョンの乾いたボーカルにマッチして火花の出そうなくらい熱い曲になった。 僕のジョン・レノン・フェイバリットNo.1の「JEALOUS GUY」。切ない口笛。聴くほどに泣けてくるよ。

 (1997年07月04日)
 
Back to the egg

 ’80年のウイングスの来日公演の前に発売(1979年6月)されたが、ポールの大麻持ち込み事件で来日公演はあえなく中止。もし予定通りライブが行われていればアルバムからの曲が主要なナンバーとして演奏されたことだろう。
 サウンドの作りは当時のパンクとニューウェイヴの影響も色濃くって現代的に近づいた。演奏力があるのを見せ付けるためだけのような曲「スピン・イット・オン」や、「ヴィーナス・アンド・マース」を彷彿とさせる「ウィ・アー・オープン・トゥナイト」、メンバーだけは豪華だけど大した曲とはどうしても思えない「ロケストラのテーマ」、などあったりはあったりするが傑出した曲がない分まとまっている。

 (1997年07月17日、1999年12月09日、2003年11月14日)
Wings over america

 1976年のウイングス絶頂期の記録。パンク以前のロックが達した頂点の一つの記念碑的アルバムでしょうか。「ヴィーナス・アンド・マース」から穏やかに幕が開いたかと思いきやいきなり「ロック・ショウ」「ジェット」まで突っ走るメドレーは圧倒的に素晴らしい。
 「メイビー・アイム・アメイズド」はポールのソロオリジナルの出来を遥かに凌駕するライブ前半のハイライトのひとつで70年代ロッカバラードの大作。 
 この時のウイングスのメンバー編成は次の「ロンドン・タウン」で崩壊してしまうのだけど、実に惜しい。ポール以外にもボーカルが取れてしまうことなどもはやポールのワンマンバンドとは言い切れない魅力を醸し出してきている。もし今でも存続していればドーム公演などでストーンズのライバルバンドとなっただろうに。
 
(1997年08月12日)(1998年04月11日)(2003年11月14日)

Cloud nine
 1987年、当時影が薄くなりつつあった元ビートルを再び世界のスターダムへ通し戻した大傑作。プロデュースはジェフ・リン。ジョージ本人は素晴らしいメロディを書いている。ため込んでいた良質のメロディが次から次へと繰り返す波のように押し寄せる・・・・。「ジャスト・フォー・トゥディ」の切ないこと。「ディズ・イズ・ラヴ」の愛を真っ正面から歌い上げている自信に満ち溢れたボーカル、「デヴィルズ・レイディオ」、「ファブ」、、、ああ全部いい。 ファーストシングルになった「セット・オン・ユー」はカバー曲だが誰もこれまでカバーしなかったのが不思議な位いい曲。カッコイイ!!!!!全てはジョージが歌う宿命にあったのか?
(1997年07月12日)
MILK & HONNEY
ミルク&ハニー


永遠に完成されることなく

 これを購入したのは1984、5年の頃で、発売からしばらくしてからだったと思う。正確な発売日は知らないが、僕は当時まだビートルズをまともに聞きはじめた頃で、ジョージとリンゴの顔の区別すら怪しかった。しかしジョンの命日は意識していたから「ダブル・ファンタジー(生前最後のアルバムで名盤との評が既にあった)」を買ってジョンに哀悼の意思を示そうとレコード店に向かった。
 初めて買うビートルズメンバーのアルバムとして「ダブルF」に不足はない。FM雑誌のモノクロ広告欄で見た時はジョンとヨーコが目をつむって顔を寄せ合っているジャケットだった。僕の頭にはそのイメージだけが残ってアルバムタイトルは忘れていた。レコード店でビートルズのコーナーを見ると、ジョンとヨーコが目をつむって顔寄せ合う“カラーの”ジャケットがあった。“モノクロの”広告で見たジャケットだと当然思い、何の躊躇なくそれを買った。間違いであることに気づいたのはレコードをターンテーブルにのせライナーノーツを読んだ時だ。
「何で同じようなジャケットにするんだよお....。」
名盤を買えなかった失望感が染みてくるのを感じた。

翌日この事を友人に話した。
私 「昨日、ジョン・レノンのな、『ダブル・ファンタジー』買うつもりがさあ...。」
友 「ジュリアン・レノンか!?」
笑い話のネタになると感じたのかぐっと顔をよせて友人は聞いてきた。
私 「いや、そうじゃなくて、『ミルク&ハニー』っていう...。」
友 「なんだ、それ?」
今にも笑い出しそうだった友人の顔がスッと退いた。
ジュリアンレノンを間違って買っていればここで笑いがおこっていたかもなあ、とその時思った。

 もともと「ダブル・ファンタジー」の後に発表が予定されたアルバムだからある程度の形は整っている。ジョンとヨーコの曲が交互に入るのは同じだ。しかし「ダブルF」ほどの完成度が感じられないのはジョンの死によって選曲を含めた詰めの作業がされていなかったからだろう。どうも「ダブルF」の選曲漏れ的な感もないこともない。ただ中には名曲となる可能性をもっていた「グロウ・オールド・ウィズ・ミー」がデモ段階ながら収録されているのがアルバムの価値を引き上げている。ジョンの構想ではバックにホーンやシンフォニーを入れる予定だったようだがもしその形で完成されていれば名曲となりそうな雰囲気を持つ曲だ。この曲によって最初の失望感もいつしか薄らいだ。
 この曲を聞くたびに、永遠に完成されることなく未完成曲で終わってしまった理由を思い起こさずにはいられない。