昭和20年1月、中島は逼迫する資材状況の中で可能な極限の爆撃機を製作すべく、青木邦弘技師を主務設計者とし、三鷹研究所にて突貫作業により、3月はじめに早くもその初号機を完成した。 キ-115には、甲と乙があり、甲の主翼はジュラルミン製応力外度構造、胴体は鋼管製骨組に鋼板外皮、木製尾翼。 乙は甲の主翼を木製化したもので、主翼面績を増加し、操縦士を前方に移して視界を良好にした。甲の要求速度は、最大515km/h(脚つきの場合は340km/h)、巡航300km/h(脚つの場合は250km/h)で、固定脚は戦闘に入ると投下し帰還は海岸の砂浜に胴体着陸し、発動機は回収する計画であった。 しかし軍の用兵上は神風特攻が考えられていた。 構造と整備の簡素化を狙い、材料は主翼のほかは簡単に入手しやすい鋼管、木材、ブリキ板などを主とした。 発動機は、800〜1,300馬力程度の空冷式星型で、結果的には最初に予定したハ-115「栄」となり、カウリングはブリキ板製である。 キ-115甲の試作1号機は、昭和20年3月5日に完成、陸軍の審査では、重量過大、離着陸性能不臭で実用には相当の改造が必要と判定され、改修中に終戦となっている。海軍では「藤花」と称したが、実際には生産されなかった。試作機・半完成機を含めた終戦までの製作機数は、中島の太田製作所だけではなく、各地の疎開工場で合計105機にのぼったが、幸いなるかな実戦には参加せずに終えることができた。
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