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再び、南の島へ

No.2 2日目午後〜3日目午前:「730」の影を追って

 

〜ドミトリーの朝〜

個人的な空間があまり無いドミトリーでは、カプセルホテルみたいな感じで、寝る以外でやれる事は少ない。コンビニで買ってきたアルコールをあおりつつウトウト。朝5時になり夜が明ける(沖縄は夜の日暮れが遅いのに合わせて朝も襲い)のを待って、ビルの1階にある牛丼屋で簡素な朝食を摂る。腹がくちくなったところでドミトリーに戻りもう一度ウトウト。

二度寝を堪能した後、顔を洗ってドミトリーを後にする(流しとかはエスニック調に作られており雰囲気ある)。途中那覇から各方面に向かうバスターミナルを通る。

 

〜再会〜

昼まで那覇市と南隣の豊見城市にある、干潟や海軍壕を観光してから那覇空港へ。今日の午後1時に、青森らK氏が沖縄に来ることになっている。

時間前に空港に着き、ブルーシールのシャーベットを嘗めながら、時間まで飛行機の離着陸を見て過ごした。時間になって到着ロビーに向かうと、預け荷物の無い身軽なK氏にと再会。

そのまま昨日行ったばかりの空港食堂に向かい昼食。前回行った頃とは比べ物にならないくらい酒好きになった自分としてはアルコールを飲みたかったが・・・、とりあえず我慢。

〜モノレール資料館〜

那覇に新しく出来たモノレールの「ゆいレール」。那覇空港近くにあるゆいレールの車庫には「モノレール資料館」がある。自分とK氏は大学鉄研の先輩・後輩といった、両方とも大の鉄道好きだったので、この資料館に寄ってみる。ちなみに土日は休みです。

展示館にはかつて沖縄を走っていた軽便鉄道(線路の幅が狭い簡易鉄道。第二次大戦で完全に破壊された)の写真・資料の展示の他、沖縄在住の鉄道ファン、ゆたかはじめ氏(もと東京高等裁判所長官)のコレクション展示が行われていた。

それにしても暑い。空港近くの何も無いところを歩くと、真夏の太陽の下をだらだら歩いているだけでも汗が噴き出してくる。

 

〜いわゆる「730車」〜

前回も取り上げたが、沖縄県では日本復帰に伴い「730」と称して道路の交通をアメリカ統治時代の右側通行から左側通行に移行する事業が1978年に行われた。前回(2000年)沖縄に行った時は、当時大量に購入した路線バスの車両が未だ我が物顔で稼働しており、「バスファンにとっても理想郷」と強く思った。(2000年にいろいろ撮った沖縄のバスは、このページで整理してあります

今年(2008年)は「730」からちょうど30年。さすがに、「730」は全くといっていいほど姿を消してしまった。2008年現在稼働しているのは沖縄バスと東陽バスの2社数台に限られており、それも「予備車」名義で残っているため普段は運用に就いていないとのことっであった。製造から25年以上経った車両は本土ではほとんど稼働していない(ボンネットバス等は保存目的で若干数残っているが)ため、現在沖縄に残っている「730」のバス車両は非常に貴重な存在である。

今回K氏が「沖縄行こう」と誘ってくれたのも、誘った当時東陽バスで数台残っていた「730車」に乗りたいためであった。

 

〜730その1:沖縄バス1064〜

朝、那覇バスターミナルを通った際に、一瞬目を疑った。「予備車」であり通常は運用に就く事のないはずの沖縄バスの730車である。現在のバスとは作り方が異なるため丸っこい車体、小さい窓、リベット留めの車体。間違いない。

まさか今日稼働しているとは・・・手に汗を握りながらバスターミナルで何枚か写真を撮った。

撮った写真をK氏に見せたらK氏もびっくり。幸い、今日の運行時刻を知る事が出来たので、時間までデパート巡りと那覇のバスターミナルで暇つぶしをした。ターミナルには例の730こと沖縄バス1064が戻って来ていた。

17時40分、那覇バスターミナル出発。この1064は三菱ふそうの車だが、自分は三菱ふそうの古いバスには乗った事が無いため、懐かしいというよりも新鮮に感じる。

ちょうど那覇の市街地を廻って南に行く便であり、那覇市内ではこまめに客を乗せていく。制服を着た通学生だけでなく、通勤客も結構乗ってくる。

バスは片側1車線の道を車をダラダラと走る。昨日乗った幹線国道を疾走するのとは違った、内地でも良く乗るごく普通の市街地の普通の路線バスである。そのうちブロック積みの家がまばらになると、さとうきび畑の中をだらだら走る。終点の大城が近くなってくると、丘陵地を切り開いた新興住宅地に入り込む。

古いバスには気の毒なくらいの坂道を昇り降りすると、大城に到着。ここから今晩宿泊予定の厚生年金会館までは3kmあが、直通の交通機関は無いためタクシーを呼んだ。タクシー待ちの間に乗務を担当したY運転士からいろんな事を聞くことが出来た。

・この1064は「730」と呼ばれる交通方法変更時に大量導入された1台。

・現在は長い期間にわたり動態保存することを前提に、屋根付きの車庫で保管しており、ワックス掛けも行っている。

・月に1度程度は40系統(那覇-大城)で運用しているが、最近はエアコンの整備の都合で車両が足りず連日運用に就いている。

・730は東陽バスにも1台残っている。琉球バスの最後の1台は廃車後内地のバスファンが購入していった、とバスガイドを勤めている子供から聞いている。

・三菱は扱いやすい。以前日野にも乗っていたことがあるが、ギアが扱いにくい。

もう1度1064をよく見ると、会社からも乗務員からも大切に扱われているようで、車体は大変きれいに塗り直されており、丁寧のワックス掛けがされた車体に夕陽が輝いていた。ボンネットバスよりも後に生産された、この世代のバスとしては、おそらく日本で一番最後まで残る車両になるだろう。

 

〜ウエルサンピア〜

夜8時半に南城市にある厚生年金で作ったウエルサンピアに向かった。次の日の行程を考えてここ南城市に泊まったのだが、ここが沖縄かと思うくらい観光客が少ない。修学旅行の小学生が団体で泊まっている他、客は数組しかいなさそうだ。考えてみれば、ここ沖縄東部は、ガイドブックのページ数で分かるように、西海岸・南部・北部に比べてあまり注目を浴びないところである。

エアコンを切ってあり蒸し暑い通路を抜けて、客が2組しか居ない最上階の展望レストランで夕食を食べた。

次の日、部屋は東海岸のちょうど東向きであり、朝日が大変眩しい。いい1日になりそうである。

 

〜730その2:東陽バス906〜

朝、宿を出て東陽バスの馬天営業所にお邪魔する。今回の旅行を手配した6月時点では、東陽バスには「730」の日野車が3台残っており、馬天営業所をベースに予備車ながら91番のバスで稼働しているとのことであった。

自分もK氏も、日野の旧型バスには思い入れがあり、今回の沖縄行きを決めた。

営業所に行くと、予備車で3台いるはずのREが1台しかいない。それも車庫の一番奥におり、車内には自転車もおいてあるような状態だった。営業所の職員氏の話では、6月に代替のバスが納車されて、保存・予備車として残っている1台以外は取り替えが終わり、その1台も車両が足りなくなった時以外は稼働しないとの事であった。

落胆する我々だったが、見上げれば前面の窓上には「21年6月」の車検シールが貼られていた。わざわざ車検を通したのである。なお、今年7月30日には「730」を記念して、特別に運用に入った模様である。

ご好意でエンジンをかけていただいた上、車内に入れて頂き懐かしい車内の造作を見て、前後から写真を何枚か取らせて頂いた。

目撃情報が多数寄せられる沖縄バス1040とはことなり、こちらは乗るのはなかなか難しそうだが、一度乗ってみたいものである。

馬天営業所から与那原を走って那覇市内に戻ると、ちょうど昨日乗った沖縄バスの1040が角を曲がって那覇市内の方角に向かって行った。

 

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更新日 2008.8.16
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