アフリカで誕生した人類は、いくたびも突然変異をくりかえしながら、生きのびる道を探していきました。そのなかから、アフリカを脱出する人類もあらわれ、いくたびも失敗しながら、最後にはそれを成功させました。どのような背景があったのでしょう。
●草原が!:樹上生活をする霊長類のおもな生活の場は、豊かな森林が広がる熱帯雨林の地域でした。そのうち、アフリカの熱帯雨林では南極やヒマラヤからの乾いた風により乾燥化が始まり、ジャングルが縮小していきました。
●ジャングルを追われて:ジャングルを追われ、草原に生活の場を求めた霊長類のなかから、直立二足歩行の道に進んでいった一群がありました。それが最初の人類の姿です。人類学者はいまのところこのような仮説で人類の始まりを説明しています。
●肥るわけ:豊かな食糧に恵まれた森を離れるには、カロリーを脂肪として体に蓄えられる体質をもった身体が必要でした。また、食物連鎖の体系のなかでは上の方には位置しない人類が生きのびるためには、さらに武器が必要でした。それを人類は直立二足歩行によって得ることになりました。
●直立二足歩行で得たもの:ひとつは自由になった手(前足)で労働をするようになったことです。直立により骨盤が変形し、産道が狭くなり、<難産>というデメリットを負うことになりました。十分に生育しないまま出産することでこれを解決した人類は、母子の関係が親密になり、<家族>という精神文化をきづくことになりました。これが人類の二つめの武器となりました。
●脳が大きくなった:直立二足歩行をはじめて、450万年ほどの間は、人類の文化には大きな変化はなく、依然としてアフリカ大陸にとどまったままでした。しかし、今から250万年ころより、人類は剥片石器という精巧な石器をつくるようになり、身体にも変化があらわれ、脳の容積も大きくなりはじめました。
●肉食が原因?:この変化には、肉食により栄養が改善され、余剰のカロリーで脳の活動が支えられるようになったことが考えられます。しかし、肉食をはじめるには、優れた石器が必要ですし、そのためには技術を工夫する脳の働きが必要です。そのような脳は肉食によってはじめて得られるとすれば、この250万年前、人類に変化をもたらしたものとはいったい 何なんでしょうか。
●死肉あさり:人類学者は、アフリカの狩猟民が現在も行っている動物の骨髄をすする食習慣を参考にして、250万年前の人類は、猛獣が食べ残した死肉の骨を割って骨髄をすすっていたと推論しています。人類の肉食はここからはじまりました。
●失敗だった出アフリカ:優れた石器をつくり、火も使用するようになった人類が、170万年前ころにはアフリカを出たことが、東南アジアや東アジアの原人(ジャワ原人・北京原人)の骨の出土によってわかっています。しかし、彼らは子孫を残すことなく絶滅してしまいます。
●二度目の失敗:さらに、50万年前ころより、身体的にも文化的にもより優れた旧人(ネアンデルタール人)がアフリカを出て、ヨーロッパにひろがっていったことがわかっています。しかし、これらの旧人たちもくりかえされた厳しい氷河期をのりこえて生きのびることはできませんでした。
●三度目の成功:そして、4万年前ころより、アフリカを出発して、ユーラシア大陸にひろがっていった新人たちが、三度目にして出アフリカのトライを成功させ、全世界にひろがっていったのでした。
●5万年前の日本は、氷河により大陸と陸続きになることがありましたが、人類が住んでいた証拠はいまのところ確認されていません。
6.人間学の視点
●手の指のうち、親指と他の4本の指が向きあうようについているのは、サルやヒトだけです。これは樹の上の生活をしていた時代のなごりだと考えられています。枝から枝に渡っていくときにしっかりと枝をつかむためでした。
●また、左右の眼が同じ方向に向いているのもサルとヒトの特徴です。両目の重なった視野で見ることで遠近のピントが合いやすくなっています。これも樹上生活のなごりだと考えられています。
●物を握る手はヒトに労働をもたらし、表情の違いまでもわかるピントのあった眼はヒトに豊かなコミュニケーションの世界をもたらしました。
7.チェックポイント