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1800〜1870:10

(46) 二つの米国像をめぐって

米国の国作りをめぐる対立が米国の歴史。
  1. 連邦政府を作るか、州の独立性を守るか。
  2. 農業中心の大陸国家か、
    商工業で勝負する海洋国家か。
  3. 奴隷生産賛成か、反対か。
  4. 民主党か、共和党か。

国作りをめぐって

発足したばかりの頃の米国には、新しい国作りをめぐって二つの考え方がありました。

一つは、財務長官ハミルトン等の「海洋国家論」で当初はこれが主流となりました。商業・海運業を経済の中心にして工業化を目指す国家ヴィジョンでした。

もう一つは、第三代大統領となったジェファーソン等の「大陸国家論」です。広大な土地を利用した農業を経済の核にしようとする考え方で、19世紀の前半はこの考え方が勢いを得ていくことになりました。きっかけは1812年から始まった米英戦争でした。

第二次独立戦争

18世紀の独立戦争が政治的な独立を達成する戦いでしたが、この米英戦争で米国は英国から経済的に自立したと考えられ、第二次独立戦争とも言われています。

戦争の原因となったのは、ナポレオン戦争でイギリスが行った海上封鎖への米国側の不満と、先住民の土地をめぐる米英の争いでした。

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米英戦争の背景

当時、工業がまだ発達していなかったアメリカでは海上封鎖でヨーロッパとの通商が途絶え、工業製品が入らなくなり、日常生活にも困るようになっていました。

それに加え、内陸へと進出する米国に対して先住民は激しく抵抗し、米国側は追い込まれていきました。「イギリスは先住民をけしかけている。」「ナポレオン戦争で手一杯になっているうちにカナダを奪おう。」そう考える声にも押されて、戦争は始まりました。

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流れを変えたジャクソン

甘く考えていた米国は長引く戦争に苦戦しました。このとき、ジャクソンが登場します。彼は民兵を率いてニューオリンズの戦いでイギリス軍を打ち負かし、米国民の賞賛を浴びます。先住民を大虐殺して広大な土地を獲得したことも、西部出身の学歴とは無縁の農民出身のジャクソンが後に大統領となっていくことに大きな力となりました。

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マニフェスト・デスティニー

「年々増加していく幾百万のわが国民の自由の発展のために,神によって与えられたこの大陸にわれわれが拡大するというマニフェスト・デスティニーの偉大さ・・」。

「明白なる宿命」と訳されるこの言葉は、1845年にオレゴン領有をめぐるイギリスとの紛争について書かれた論文に登場し、19世紀の半ばの米国の機運を象徴する言葉になっていきました。

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西部開拓史

「西部に広大な土地が米国市民に等しく約束されている。自分の力を信じ努力する者には等しく成功のチャンスがあるのだ。」「西部の広大な土地を切り開き、未開拓のフロンティアに文明をもたらすことはすでに定められていた道なのだ。」

こうして西部開拓の歴史は進んでいきましたが、 疑うことを知らなかったこうした明るい自信に満ちた使命感によって、先住民への虐待や迫害に疑問の目を向ける人の声はかき消されていきました。

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