ドイツの統一は、プロイセンの宰相ビスマルクを中心に進んでいくことになりました。農奴制が19世紀まで残っていたプロイセンではユンカーと呼ばれた地主貴族が政治的にも社会的にも大きな力を持っていました。
ユンカー出身のビスマルクはプロイセンのヴィルヘルム1世の宰相として、富国強兵に努めました。近代化が遅れたドイツでは製鉄など重工業が中心となって産業革命が進みました。
周到な準備の末、1866年の普墺戦争でオーストリアを破ったビスマルクは、南部4邦国を残して北ドイツ連邦としてドイツの統一を一歩進めました。
さらにビスマルクは、ライン西岸と南ドイツへの野心をもつナポレオン3世を、1870年の普仏戦争で破り、南部4邦国を含む全ドイツを統一して、ドイツ帝国が成立しました。
1848年革命以後、立憲君主制へ移行したサルディニア王国が、イタリア統一への主導権をとるようになりました。宰相のカブールはイタリアの統一はオーストリアとフランスを巻き込んだ外交問題として解決するしかないと考えていました。
1854年のクリミア戦争に参戦してイギリスとフランスに接近しました。そして、フランスのナポレオン三世から支援を受ける密約を結んで、オーストリアと戦い、ロンバルディア(北部)を奪い返し、中部イタリアを併合しました。
青年イタリアのガリバルディは制圧した南部イタリアをサルディニアのヴィットーリオ・エマヌエーレ2世に献上しました。次に、1866年の普墺戦争ではヴェツイアを普仏戦争では残る教皇領を併合し、1871年、イタリアの統一はほぼ完成しました。