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1650年〜1800年:5

(32) 第二次百年戦争

  1. ブルボン朝は侵略戦争を繰り返しますが、ほとんど敗北。
  2. スペインとは親戚関係ですから、
    スペインも一緒に負けて、
  3. 植民地はイギリスに奪われ続けた。
  4. その結果、イギリスは16世紀のスペインのような覇権を確立したことになる。

オランダの衰退

英蘭戦争により疲弊したこともオランダの衰退の原因の一つでしたが、オランダの主力商品だったアジアの香辛料の人気が落ちたこと、イギリスの主力商品のインド綿布の人気が高まったこと、立憲君主制により安心して投資できる環境になったこと、これらの要因がライバル国イギリスの国力を高めていきました。市民革命の影響力の大きさがよく理解できる話です。

ルイ14世

ブルボン朝を開き、ユグノー戦争を終わらせたアンリ4世の孫がルイ14世でした。父親は30年戦争で一貫としてハプスブルク家と戦ったルイ13世です。このブルボン家の三代目がフランスをヨーロッパを代表する絶対王権の輝く国家につくりあげたのでした。

1643年、4歳で王位についたルイ14世は宰相マザランにより、そして1661年親政を開始して1715年まで合計72年間、ヨーロッパの政治の中心にいました。「太陽王」と呼ばれたルイ14世は、貴族の影響力を嫌って、パリからヴェルサイユに王宮を移して、華やかな王宮文化を誇り、「朕は国家なり。」と語った国王でした。

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フランスの絶対王政

領主ごとに法を決め、保護と忠誠の主従関係が網の目のように張りめぐらされたモザイク状の中世国家に対して、絶対王政下では全国一律の法で社会が動くようにするため、全国をカバーする何らかの組織が必要でした。

イギリスの絶対王政は議会を味方にして全国支配を確立したのに対し、フランスの絶対王政は官僚制と常備軍でした。教皇と争ったとき以来フランスでは議会は招集されませんでした。(フランス革命は議会を招集したことからおきたのです!)

官僚制にも常備軍にも給料が必要です。莫大なお金が必要なのが絶対王政でした。その財政を支えたのが財務総監のコルベールでした。

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ルイ14世の侵略戦争

コルベールは、イギリスやオランダには関税を高くして輸入を抑え、国家の保護の下に国内産業を育成しようとしました。この重商主義と呼ばれる政策は、貿易をめぐる争いを引き起こし、戦争に発展しました。

フランドル戦争、オランダ戦争、ファルツ戦争、スペイン継承戦争と次々と侵略戦争をくり返し、国家財政を悪化させることになりました。しかも、領土はさして増えず、イギリスの発展に力を貸すだけの結果に終わりました。

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第二次百年戦争

ルイ14世の時代から百年ほどの間、フランスは断続的にイギリスと戦争状態にありました。フランスのブルボン家はスペイン王室と親戚関係にありましたから、フランスが負ける度にイギリスはフランスとスペインから領土を奪い、世界中にイギリスの植民地を広げていきました。この間、イギリスは一度もフランスに負けることはありませんでした。

また、フランスは伝統的にハプスブクク家とは敵対していましたから、最後の七年戦争を例外として、オーストリアとも戦い続けていたわけです。第二次百年戦争と呼ばれる戦争を列挙してみます。

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