ルターの影響を受け、フランスからスイスに渡り、宗教改革に取り組んだカルヴァンは16世紀前半の人物ですが、その思想は後に先進地となるオランダ・イギリス・フランスに広がり、歴史に大きな影響を与えることになりました。
カルヴァンはルターと同じように信仰の純粋なあり方を追求し、神の恵みとはキリストと一体になることと考えました。ただ、彼の思想の核心は、そこに安らい続けるのではなく、神と隣人のために仕えなけらならないとしたことでした。また、絶対的な神の前では、人間にできること何もなく、ただ神の恵みを信じそれに感謝することだけだと考えました。
その証しとして、神に与えられた天職としての職業に専念してその業績をあげることを積極的に認めました。
また、信徒が平等で一体となれる組織として教会を位置づけ、近代の新しい社会のあり方を模索する人びとにも影響を与えました。
宗教改革によってドイツが領邦国家化したのに対して、カルヴァンの思想は資本主義の発展に大きな影響を与えたと考えられています。価格革命の影響もあり、西ヨーロッパでは商業活動が活発になっていましたから、職業活動の成果である利潤は神の偉大さを示すものとしてそれを認めるカルヴァンの思想は、台頭しつつあった商工業者には励みとなり、イギリス・フランス・スペイン・ネーデルランドに普及していきました。
フランス北部からベルギー西部にかけてのネーデルランド(フランドル)と言われた地域は早くから毛織物産業で栄えていました。そのためブリュージュなどの都市はヨーロッパを代表する都市に発達し、自治の精神が強く根づいた地域でした。
百年戦争ではイギリスとフランスがこの地域の支配権をめぐって争い、14世紀にはブルゴーニュ公国に編入されましたから、宗教改革の頃はハプスブルク家の支配下にあったわけです。この地域にもカルヴァン派の影響が及び、宗教改革の嵐が吹き荒れることになりました。
カール5世は広大な領地を一人で支配することの難しさを痛感して、オーストリアを弟のフェルディナント1世に、スペインと息子のフェリペ2世に引き継ぎました。
フェリペ2世は父親よりさらに新教徒を嫌いましたから、スペインの商工業者は迫害を恐れて、ネーデルランド(現在のベルギー・オランダ)に逃れていました。フェリペ2世はそのネーデルランドも弾圧しました。ここに80年続くネーデルランド独立戦争が始まることになりました。
ヘンリー8世とキャサリンの間には男子は産まれませんでしたが、王女メアリーがいました。母親はカール5世の伯母ですから当然メアリーは熱心なカトリック教徒になりました。先に王位に就いた弟のエドワード6世はイギリス国教会を新教として改革した王でしたから、カトリックのメアリーにはイギリス王室は居心地の悪いところとなりました。
病弱なエドワード6世の後を継いて王位に就いたメアリー1世は新教徒を弾圧し、スペイン王フェリペ2世と結婚しました。彼女のプロテスタントへの迫害は続き、「血のメアリー」と呼ばれることになりました。後継ぎをもうけることもなく失意にのうちに没したメアリー1世は母親の仇の娘エリザベス1世に王位を譲ることになりました。
カトリックに戻ったイギリスの宗教政策をもう一度イギリス国教会に戻し、立て直しを図ったのは、メアリー1世の母キャサリンから夫ヘンリー8世を奪ったアン・ブーリンの娘エリザベス1世でした。
エリザベス1世はイギリス国王の座を狙う数々の陰謀やスコットランド・フランス・スペインとの外交上の駆け引きでイギリスの独立を守り、国内の安定化も図りました。特にフランスやオランダのプロテスタントを援助し、1588年にはスペインの無敵艦隊を破り、オランダ(北ネーデルランド)の独立運動を助けました。