各地域、同時代並行の世界史
世界史・納得のツボ(近代編)
home 納得ツボ(近代編) 納得のツボ(案内)

1500年〜1650年:5

(21) 変貌し始めた世界

大西洋を挟んでできた三角形(アフリカ・アメリカ・ヨーロッパ)は後の資本主義社会を象徴している。
  1. アフリカ:安い労働力
  2. 過酷な労働:アメリカ
  3. 豊かな富:ヨーロッパ

教皇による境界線

コロンブスは自分がたどり着いたのはインドだと信じていました。それがアメリカ大陸であることは10年後、アメリゴ・ヴェスプッチの探検によって明らかにされました。コロンブスの航海のあと、ローマ教皇は現在のブラジルを通るあたりに南北の線を引き、キリスト教布教の担当地域を、その東側をポルトガル、西側をスペインの担当としました。

さらに約20年後、マザラン等の世界周航によって地球が球形であることが判明すると、日本の上を通る線によって、ポルトガルとスペインの担当区域を確定しました。

名目的には、両国の世界進出はキリスト教布教が目的でした。

ページのトップ

ポルトガルとアジア

アフリカ・アジアを担当したポルトガルは、インドのゴアを拠点に胡椒貿易で莫大な利益を上げました。さらに商益を求めて東南アジア・東アジアへ進出したポルトガルは、中国や日本との貿易によっても、大きな利益を上げることになりました。

このポルトガル船が種子島に漂着して日本に鉄砲を伝え、鹿児島に宣教師フランシスコ・ザヴィエルを連れてきたのです。

アメリカ先住民

アメリカ大陸の先住民は各地の風土に合わせて、農耕や狩猟・採集の生活をしていました。現在のメキシコにはアステカ帝国が、ペルーにはインカ帝国が栄え、それぞれ特徴のある文明を発展させていました。

ヨーロッパ人を初めて見る彼らは、目の前に迫っている事態を客観的に理解することができませんでした。食糧に困っているヨーロッパ人に食糧を分け与えたり、伝説上の神々と思いこんだりしました。

ページのトップ

コンキスタドール

教皇は原住民がキリスト教徒であれば対等の人間として扱い、そうでなければ布教の対象として導くことをポルトガル人人やスペイン人に求めていました。しかし、ポルトガルのように香料貿易による巨利を期待できないスペイン人は、黄金を求めて、ジャングルをさ迷い、アステカ・インカの文明を略奪しました。

最終的にスペインの征服者(コンキスタドール)達が見つけたのは銀山でした。アメリカ原住民を使って採掘した銀は太平洋を渡って、マニラ(現在のフィリピンの首都)を拠点に、中国との貿易の支払いに使われました。

ページのトップ

デンコミエンダ制

アメリカ大陸に渡ったスペイン人が先住民に過酷な態度で臨むことになった根拠は、当初はエンコミエンダ制に拠っていました。スペイン国王がアメリカ大陸に渡ったスペイン人達に、先住民に貢租賦役(税と労働)を課す権利を与えるとともに、先住民を保護しキリスト教に改宗させる義務を与えるたのです。「保護しキリスト教に改宗させる」ことを理由に略奪や横領が行われたわけです。

ページのトップ

ラス・カサス

アメリカ大陸での征服者達の振る舞いが、「先住民を保護しキリスト教に改宗させる」ことにとは余りにもかけ離れていることは、スペイン本国でも問題となり、宣教師ラス・カサス等の訴えで、「先住民保護」のためにアフリカから労働力を補充することになりました。こうして悪名高い「奴隷貿易」が大々的に始まったのでした。

ページのトップ

三角貿易

アメリカ大陸の銀はヨーロッパにも流入し、そのためにヨーロッパの物価が高騰してしまいます。価格革命と呼ばれたこの経済現象はヨーロッパ社会を大きく変えることになりました。

まず、既に地代をお金で納めていた西ヨーロッパの農民は、高くなった農産物を売って地代を払いましたから、お金が手元に残りのこりますが、農民から入る地代は同じでも、高くなってしまった物価を買わなければならない領主達は経済的に困窮します。

反対に、まだ地代が物納の東ヨーロッパの領主達は手元にある穀物を価格の高い西ヨーロッパで売って、より多くの利益を得ようとします。農民達は経済的に這い上がるチャンスを失って、貧しい農奴のままの状態に取り残されてしまいました。

ページのトップ

アフリカ

アメリカ大陸では銀鉱山だけではなく、サトウキビ栽培によって砂糖をつくるビジネスがスペイン人によって広く行われるようになっていました。原住民や奴隷達は鉱山や農場・砂糖工場で過酷な労働に耐えなければなりませんでした。ヨーロッパ人がもたらした伝染病の感染なども原因となって、アメリカ原住民の人口は急速に減少していきました。

そこで、ヨーロッパ人はアメリカ原住民の替わりに、アフリカ人を連れて来て、アメリカ大陸で働かそうとしました。鉄砲や酒や雑貨などと交換に、アフリカ人を奴隷として買い集める奴隷貿易が始まったのでした。そして、これは19世紀まで続けられました。

ページのトップ

太陽の没することなき帝国

当初はライバルであったスペインとポルトガルでしたが、1581年、断絶していたポルトガルの王位を姻戚関係にあったスペインの王が兼ねることになり、スペインはアフリカ、アジア、アメリカと世界で活動を展開する「太陽の没することなき帝国」になります。

このスペインに対して、フランス、イギリス、オランダそしてドイツの反教皇・反皇帝勢力が反旗をひるがえし、スペインもポルトガルも衰退していくことになりました。

ページのトップ

home 納得のツボ(近代編) | 前ページ | 次ページ