各地域、同時代並行の世界史
世界史・納得のツボ(近代編)
home 納得ツボ(近代編) 納得のツボ(案内)

1200年〜1350年:4

(11) イギリスとフランスの国王たち

この時代、イギリスとフランスでは国としてのまとまりができ始めていた。
  1. 十字軍で騎士階級は力を失い始めていた。
  2. 征服王のイギリスは、権力基盤が弱く、実力だのみ。
  3. イギリスの議会は国王に向かって発言。
  4. フランスの国王はこの時代に力をつけた。
  5. フランスの国王は議会の支持を得て、教皇と戦った。

イギリスとフランス

1066年、フランスのノルマンディー公はイギリスの王位継承権を譲り受けたと主張して、イギリスを征服し、ノルマン朝を建国しました。このノルマン朝を引き継いだプランタジネット朝もフランスの諸侯アンジュー伯の出身です。

ですから、イギリスの国王が実家のあるフランスにも領地を持っているということがおこるわけです。そのため、イギリスとフランスの間では次期国王の継承権や領土争いがたびたび起きていました。

国家と言っても現在のような領域国家ではなく、この頃の国家は人間関係に結びついたモザイク状をなしていました。国内に外国の領地があるのも当然なことでした。

ページのトップ

プランタジネット朝の国王たち

この時代、イギリスでは議会政治の伝統が形成されていました。フランスにあった領地を失ったイギリスのジョン王は、負けた戦争の戦費をイギリスの諸侯などに負担させようとしました。

これに怒った諸侯や聖職者は国王に迫って、自分たちの特権を国王に再確認させました。1215年に王が認めた「マグナ・カルタ」は後に「法の支配」の考え方の原点になりました。

イギリスの国王はフランスからやってきた「よそ者」でしたが、この時代、それは特別なことではありませんでした。

ページのトップ

カペー朝の国王たち

10世紀末、フランク王国以来のカロリング家の血筋が途絶えると、パリ近郊の一諸侯ユーグ・カペーが王に選ばれました。弱小の一諸侯にすぎなかった国王は開墾や植民が盛んだった時代の勢いに乗り、力を伸ばしていきました。

フィリップ2世(1180−1223)の時代にはイギリスのジョン王と争い領土を増やし、敬虔なキリスト教徒であったルイ9世(1226−1270)の時代には、王領を増やすとともに、内外からの王権の威信を高めました。

フィリップ4世(1285−1315)は聖職者への課税をめぐって、教皇ボニファティウス8世と争い、聖職者・諸侯・都市の代表からなる三部会を招集して、国内を固めて戦いました。この時起きたのがアナーニ事件です。

アナーニ事件

フィリップ4世は1303年、アナーニにいた教皇を襲い、アビニョンに教皇庁を移しました。1309年から1377年まで教皇はアビニョンに幽閉されるかたちになったこの間のことを古代のユダヤ人の「バビロニア捕囚」に習って、「教皇のバビロン捕囚」といって言っています。最終的には教皇はローマに帰りますが、この出来事をきっかけにして、教皇の力は急速に衰えていきました。

ページのトップ

レコンキスタ

1212年、キリスト教徒の連合軍はムスリム軍を破って優位に立ち、13世紀にはアラゴンとポルトガルはそれぞれの国土を回復していました。また、カスティリャもコルドバ・セビリャ等の重要拠点を奪い返していました。

こうして、イベリア半島ではヨーロッパの他の国と比べて、早くから国の形ができつつありました。

ページのトップ

home 納得のツボ(近代編) | 前ページ | 次ページ