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1200年〜1350年:3

(10) 教皇と皇帝の権力闘争

互いに支え合う教皇と皇帝の権力闘争はどうなるのか。
  1. ドイツは伝統的に諸侯の力が強い。
  2. ドイツ王は名前だけで、日本の戦国時代の室町幕府に似ている。
  3. 教皇は天皇。権威はあるが、権力がない。
  4. ドイツとイタリアでは都市が急成長していた。

インノケンティウス3世

インノケンティウス3世の時代に教会は全盛期を迎えます。インノケンティウス3世はイギリスのジョン王と大司教の人事問題で争い、敗れたジョン王を家臣としたり、南フランスの異端派に対してアルビジョア派十字軍を派遣したりしました。また、托鉢修道会を許可したのもインノケンティウス3世でした。

この時代に托鉢修道会のような活動が盛んになったのは、貨幣経済が普及し、教会や都市商人などの中にも富裕になる人びとが出始めた社会背景が想像できます。

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托鉢修道会

13世紀、西ヨーロッパで托鉢修道会の運動が盛んになりました。フランチェスコ会やドミニコ会などの修道士達は、有力者の保護を受けたりして世俗化していた従来の修道会のあり方を批判して、一切の財産を持たず、信者の寄付(仏教のお布施)だけで生活し、イエスに近い純粋な信仰を追求しました。

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イタリア政策

皇帝になったドイツの国王が、ドイツを留守にして教皇と争い、イタリアの政治に巻き込まれている様子を指して「イタリア政策」と教科書に書かれています。しかし、これがピンときません。

個々の皇帝や教皇についてはいろいろ争いのごとの原因はあったでしょう。おそらく、次期教皇や大司教・司教の人事や教会財産の管理の他に、イタリア各地の領主や都市の利権争いなど世俗的な問題など争いの種は山のようにありました。

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イタリア政策の影響

ドイツの国王がなぜ、このようなことに巻き込まれるのかが重要です。単純化して言えば、それは教皇と皇帝と諸侯・都市の三者の三角関係です。

武力を持たない教皇は皇帝に頼らざる得ないが、あくまでも主導権は握っていたい。皇帝も教会組織を後ろ盾にすることで、国内の諸侯や都市を自分の支配下におきたい。教皇と皇帝が主導権を争っているうちに、ドイツでもイタリアでも諸侯や都市の力が強くなり、ほとんど小さな国家のような力を持つようになっていきました。

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都市同盟

この時代、北ドイツの諸都市のハンザ同盟や北イタリアのロンバルディア同盟のように、都市が互いに協力して皇帝・国王・諸侯の支配に対抗するようになりました。

特に皇帝と教皇の争いが絶えなかったドイツとイタリアでは諸侯と対等の力を持つ都市も現れ、イタリアでは周辺の地域を支配して国家に等しい力を持つ都市もありました。

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イタリア政策の影響

ドイツの国王がなぜ、このようなことに巻き込まれるのかが重要です。単純化して言えば、それは教皇と皇帝と諸侯・都市の三者の三角関係です。武力を持たない教皇は皇帝に頼らざる得ないが、あくまでも主導権は握っていたい。皇帝も教会組織を後ろ盾にすることで、国内の諸侯や都市を自分の支配下におきたい。

教皇と皇帝が主導権を争っているうちに、ドイツでもイタリアでも諸侯や都市の力が強くなり、ほとんど小さな国家のような力を持つようになっていきました。

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都市同盟

この時代、北ドイツの諸都市のハンザ同盟や北イタリアのロンバルディア同盟のように、都市が互いに協力して皇帝・国王・諸侯の支配に対抗するようになりました。特に皇帝と教皇の争いが絶えなかったドイツとイタリアでは諸侯と対等の力を持つ都市も現れ、イタリアでは周辺の地域を支配して国家に等しい力を持つ都市もありました。

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大空位時代とハプスブルク家

皇帝が「イタリア政策」に翻弄されている間に、諸侯の力は大きくなり、やがて皇帝の位は魅力のないものになっていきます。13世紀の中頃の20年間ほどの間は皇帝の位は空席のままとなり、「大空位時代」と言われるまでになりました。

この時、「非力を見込まれて」選ばれたのがスイスの田舎諸侯、ハプスブルク家のルドルフ1世でした。彼は皇帝になるとベーメン(チェコ)王と争い、オーストリアを領地として手に入れます。このハプスブルク家こそ、やがて神聖ローマ帝国皇帝の位を世襲することになります。

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